情報発信は 司法や行政の不正をけん制するためよ
北海道にお住まいのその方は、あることで、行政を相手に裁判で争ったのですが、私と同じように不公正な裁判であったそうです。
その方の事件と私の事件とでは、内容も異なりますし、かかわった行政機関も違いますが、その方のメールには、 「○○さん(私)のブログを読んで、私の事実と重なり、代筆をしてくれている様に思える。」 ということが記されていました。
事件としては、内容的にはほとんど関連がないにもかかわらず、私のブログに共感してくださるということは、私のケースのように、公正性や中立性に欠ける裁判は、決して稀なケースではないということを、改めて認識させられます。
もちろん、この方以外にも不当な裁判を経験した多くの方々から、メールやコメントをいただいておりますことを付け加えておきます。
これまで、裁判にかかわったことがなく、比較的平穏に過ごされてきた方には、裁判は、ある程度信頼されているかもしれません。
しかし、決してそうではないということを、是非、知っておいていただきたいのです。
裁判が公正・中立でない社会は、真の民主国家や法治国家とはいえません。

この中の、「法の支配や、司法の平等な適用への信頼。」という礎石が、日本には欠落しているのです。
日本の司法の実情を知らない方には、私のブログを読んで、それを知っていただきたいと思いますし、また、私と同じような経験をされた方には、共感してくださることをうれしく思います。
さらに、私がブログを通じて情報発信しているのは、マスコミが権力者寄りに偏向していて、司法の不正を報道しないことも背景にあります。
裁判所が、違法行為をしてまで行政に有利な判断をしたとしても、、マスコミが報道することはありません。
事実をを知らない国民は、司法を非難することはありません。
また、司法は、不正裁判の事実を知っていても、職権を濫用し不正を断罪することもありません。
その結果、中立性や公正さの欠落した形骸化した国家賠償訴訟や行政訴訟が繰り返されるのです。
また、訴訟になっても、国が勝訴し公務員が保護されることを始めから知っている行政は、業務の不正や怠慢、不作為の温床になり、機能不全に陥っています。

しかし、個人情報やプライバシーに配慮するあまり、、どこの誰がどのような不正をしたのか、情報が漠然としていたのでは、それにかかわった本人に反省を促すこともできませんし、抑止にもなりません。
ですから、私は、少なくとも事件に関係した人たちには明確にわかるように、可能な範囲で事実を詳細に伝えるよう心掛けています。
そのような記事は、一般の方々には、細か過ぎてわかりにくい面があるかもしれませんが、裁判所や行政の不正を牽制するためであることをご了承ください。

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