裁判の不思議

どうして裁判所は、一方の観点から検証しただけで安易に結論づけてしまうの?

私の国家賠償訴訟においては、 『裁判の概要と裁判官を刑事告訴するに至った経緯』で、お話しているとおり、判決は一審、二審ともに同じであるにもかかわらず、判決理由は、一審、二審で全く別の観点から結論づけられました。

それでも、仮に、二審で新たな証拠が提出されたとか、全く新しい主張がされたというのであれば、一審、二審で判決理由が異なってしまうようなケースが生じる可能性は十分に考えられます。
ところが、私が二審で提出した書面は、一審での主張を補足したにすぎない控訴理由書のみ、被控訴人である国の答弁書も 「控訴人の主張は、結局のところ、原審での主張の繰り返しにすぎないが、原判決における証拠採用に違法がないこと及び事実認定が相当であることは明らかであり、原判決に何ら違法はない。」と、ほんの数行の反論のみ、もちろん双方から新たな証拠の提出などはありませんでした。
それにもかかわらず、
どうして一審と二審の判決理由が、大きく異なってしまったのでしょうか?

その最大の原因は、裁判所が、事件を、一方の観点からしか捉えておらず、他方の観点からは、全く検証していないことにあると思います。

ここで、私の裁判のケースを、あるわかり易い例にたとえて説明してみたいと思います。

たとえば、南側の斜面は富士山のようななだらかな円錐型、北側の斜面は断崖絶壁の険しい山があったとします。

国側は、山を南の方角から眺め、
「この山は、山全体が、円錐型のなだらかな山ですよ。」
と主張します。


一方、私は、北の方角から山を眺め、
「この山の北側は、断崖絶壁の険しい山なので、全体が円錐型のなだらかな山ではありません。」
と、証拠である上空から撮影された写真を見せて主張します。


ところが、一審の地方裁判所は、国側が主張するように、南側からのみ山を眺めて、証拠の写真も検証せずに、
「国が主張しているように、この山は、全体がなだらかな円錐型です。」
と結論づけます。


そこで、私は控訴し、
「もう一度、よく証拠を確かめてください。」
と言います。


二審の高等裁判所は、一審において地方裁判所が眺めた位置より、30度ほど東寄りの位置から山を眺め、
「東側の山の稜線が、多少デコボコしていますが、背丈の高い樹木のせいですよ。上空から撮影された写真も、北側がゴツゴツしているように見えますが、これは、多種類の樹木が混在して自生しているせいです。ですから、この山は、全体がなだらかな円錐型なのです。」
と、無理な理由付けをし、決して北側から山を眺めようとはせず、再び誤った結論を下します。


もし、裁判所が、北側からも山を眺め、しっかりと検証をしていれば、このような過ちを犯すことはないはずです。


そもそも、私の国家賠償訴訟は、 『裁判の概要と裁判官を刑事告訴するに至った経緯』でお話しているように、“結論(判決)が先行しての判決理由であった”、つまり、国が勝訴するように、裁判所が意図的に採用する証拠をコントロールした(上記の例では、意図的に北側から山を眺めようとしなかった)のではないかと受け取れますが、このようなことが、いとも平然と行われ得る裁判所の体質にこそ問題があると思います。

私の国家賠償訴訟では、“ひとつの角度(観点)から検証して問題がなかったから、別の角度(観点)からは検討してみる必要はない。”というような手法のもとに判決が導き出されています。

仮に、このようなことが医学や自然科学の分野で行われたとしたら、それは、重大事故を引き起こしかねません。
医師の医療行為の際の判断ミスは、患者の生命を脅かします。機械や建造物の材質や設計の誤りは、大事故を引き起こしかねません。試薬の量や種類の調合ミスなどは、時として想定外の反応が起こり、思わぬ危険な化合物の生成や爆発の危険を伴います。ほかにも挙げたらキリがありません。
ですから、このような仕事に携わる人たちは、あらゆる角度から十分な検証を重ね、細心の注意を払って結論を導き出すことは当然のことなのです。


ところが、裁判はといいますと、刑事裁判の死刑判決ぐらいは、直接被告人の生命に影響を及ぼすことはあっても、とりわけ民事裁判の損害賠償請求などは、被害を受けた当事者にとっては、その後に生活にかかわる重大なことであるにしても、損害がどの程度補償されるのかどうかの違いぐらいで、直接被害者の生命を脅かすようなことはありません。

つまり、裁判が、生命を脅かすなどの危機的状況からかけ離れた問題解決のひとつの手段であるにすぎず、誤った判断をしたところで、それほど重大事件として世間から非難されることもなく、問題視されることもほとんどありません。ですから、そのようなことが、裁判所の事件に対する真摯さの欠如、検証の甘さを誘発し、裁判官の主観が入り込む余地を増幅させ、私の裁判のように、手持ちの証拠も判決(結論)も全く同じであるにもかかわらず、判決理由だけは、どうにでも変えられてしまうというようなことが起こり得るのではないでしょうか。

 MY OPINION
とりわけ民事裁判においては、裁判が、直接当事者の生命を脅かすなどの危機的状況とは無関係の単に問題解決のひとつの手段であるにすぎず、そのようなことが、裁判所の事件に対する真摯さの欠如、検証の甘さを誘発し、裁判官の主観が入り込む余地を増幅させているのではないでしょうか。

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2コメント

初めまして♪

アメリカ留学のブログを書いてる者です。ランキング内の様々なブログを拝見させて頂いてる最中ですが、つい見入っちゃったのでコメントも残す事にしちゃいましたw

機会があったらまた遊びにくるつもりです、よければ僕の所にも一度来て頂けたら幸いです♪

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M Minerva

はじめまして

さっそく、ブログ拝見しました。
こういうの見ると、また、英語を勉強したくなります。
ひそかに英会話を習っていたのですが、どうも三日坊主の私は、あと一歩が乗り越えられていませんが・・・・

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