冤罪事件が生まれる背景
袴田事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審を認めた東京高裁決定に対して、 東京高検は特別抗告を断念しました。
それにより、今後、再審が開かれることになり、袴田さんは事件から半世紀以上を経て無罪を言い渡される公算が大きくなりました。
東京高裁での審理の争点は、事件からおよそ1年2か月後に現場近くのみそタンクでみつかった、犯人のものとされる5点の衣類の血痕の「色」でした。東京高裁は、検証実験の結果から、衣類の赤みは捜査機関によるねつ造の可能性があることにまで踏み込んでいました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/71e119524e396c223bf042fec25b33ff446d79ba
捜査機関によって捏造された証拠により死刑が確定し、無実の罪で逮捕された青年が悲しい結末を迎えるという共通性から、袴田事件と、あるミステリー小説が重なります。
それが「テミスの剣」(中山 七里)です。
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不動産屋で起きた強盗殺人事件で、犯行時間帯にアリバイがなくカネに困っていた、ひとりの青年が逮捕されます。
容疑者は頑なに犯行を否定するのですが、首を絞め上げるなど暴力的で強引な取り調べ、食事や休憩を与えず極限状態に追い込んだうえで自白を強要させられます。容疑者の肩をもつかに振る舞う別の捜査官からは、ここでの自白が事実と違っていても裁判で覆すことができる促され、容疑者は嘘の自白をします。
一刻も早く容疑者を挙げることで、捜査の主導権を握り手柄にしよとする捜査官、警察内部での縄張り意識や権力闘争、上意下達の組織構造の中で捜査のスピードが優先されます。粗雑な取り調べや杜撰な捜査が冤罪事件の背景にあります。
裁判では、犯行時に容疑者が着ていたとされるジャンパーに被害者の血痕が付いていたことが決め手となり、青年は死刑判決を受けるのですが、絶望の中、獄中で自殺を遂げます。
しかし、その5年後、別の強盗殺人事件で逮捕された容疑者が不動産屋で起きた事件の真犯人だったことが判明します。
冤罪事件の担当捜査官だった一人の刑事が、隠蔽を図る警察組織の妨害のを受けながらも事件の真相を追います。
その過程で、被害者の血痕が付いた証拠品のジャンパーが、一緒に捜査を担当した上司によって捏造されたのもであることを知ります。
重大な証拠品でありながら、証拠品のリストの一番最後に、それだけ別人の筆跡で書かれていたことからも捏造を疑うべきでした。
ところが、検察も裁判官も十分な検証をすることもなく、捏造証拠だということに気づかずに死刑を確定させたのです。
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ミステリー小説に書かれていることですが、袴田事件のような冤罪事件も同じようなプロセスをたどったのではないかと思わされる内容です。
戦後の死刑事件で再審開始の判断が確定したのは、これで5例目です。過去4例は再審公判を経1983~1989年に無罪になっています。
冤罪が疑われる事件を洗い直せば、さらに救済される無辜の人が増えるかもしれません。
改めて取り調べの録画の重要性を感じました。
日本の刑事裁判の有罪率は99.9%ともいわれています。起訴された時点で、有罪が確定したも同然です。
検察が裁判所の役割を奪っているといえ、裁判はセレモニーでしかないのです。
小説では警察による証拠の捏造が行われていますが、検察もまた、捏造証拠の常習犯です。
国家賠償訴訟では、訟務検事が証拠の捏造を主導、あるいは容認しています。
ここにも、まやかしの法治国家の片鱗が見え隠れします。
行政機関としての捜査機関、それを判断する司法がまともに機能していません。それに加え、発言がコロコロ変わる嘘つき大臣が跋扈する国会。
無実の人間が罪を着せられる一方で、悪徳政治家などは、ほとんど刑事責任を問われることはありません。
三権分立が求められる、この国の中枢では腐敗臭が漂っています。
それか長年続いてきた結果、近年の国力の低下、経済の衰退を招いているといえます。


それにより、今後、再審が開かれることになり、袴田さんは事件から半世紀以上を経て無罪を言い渡される公算が大きくなりました。
東京高裁での審理の争点は、事件からおよそ1年2か月後に現場近くのみそタンクでみつかった、犯人のものとされる5点の衣類の血痕の「色」でした。東京高裁は、検証実験の結果から、衣類の赤みは捜査機関によるねつ造の可能性があることにまで踏み込んでいました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/71e119524e396c223bf042fec25b33ff446d79ba
捜査機関によって捏造された証拠により死刑が確定し、無実の罪で逮捕された青年が悲しい結末を迎えるという共通性から、袴田事件と、あるミステリー小説が重なります。
それが「テミスの剣」(中山 七里)です。
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不動産屋で起きた強盗殺人事件で、犯行時間帯にアリバイがなくカネに困っていた、ひとりの青年が逮捕されます。
容疑者は頑なに犯行を否定するのですが、首を絞め上げるなど暴力的で強引な取り調べ、食事や休憩を与えず極限状態に追い込んだうえで自白を強要させられます。容疑者の肩をもつかに振る舞う別の捜査官からは、ここでの自白が事実と違っていても裁判で覆すことができる促され、容疑者は嘘の自白をします。
一刻も早く容疑者を挙げることで、捜査の主導権を握り手柄にしよとする捜査官、警察内部での縄張り意識や権力闘争、上意下達の組織構造の中で捜査のスピードが優先されます。粗雑な取り調べや杜撰な捜査が冤罪事件の背景にあります。
裁判では、犯行時に容疑者が着ていたとされるジャンパーに被害者の血痕が付いていたことが決め手となり、青年は死刑判決を受けるのですが、絶望の中、獄中で自殺を遂げます。
しかし、その5年後、別の強盗殺人事件で逮捕された容疑者が不動産屋で起きた事件の真犯人だったことが判明します。
冤罪事件の担当捜査官だった一人の刑事が、隠蔽を図る警察組織の妨害のを受けながらも事件の真相を追います。
その過程で、被害者の血痕が付いた証拠品のジャンパーが、一緒に捜査を担当した上司によって捏造されたのもであることを知ります。
重大な証拠品でありながら、証拠品のリストの一番最後に、それだけ別人の筆跡で書かれていたことからも捏造を疑うべきでした。
ところが、検察も裁判官も十分な検証をすることもなく、捏造証拠だということに気づかずに死刑を確定させたのです。
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ミステリー小説に書かれていることですが、袴田事件のような冤罪事件も同じようなプロセスをたどったのではないかと思わされる内容です。
戦後の死刑事件で再審開始の判断が確定したのは、これで5例目です。過去4例は再審公判を経1983~1989年に無罪になっています。
冤罪が疑われる事件を洗い直せば、さらに救済される無辜の人が増えるかもしれません。
改めて取り調べの録画の重要性を感じました。
日本の刑事裁判の有罪率は99.9%ともいわれています。起訴された時点で、有罪が確定したも同然です。
検察が裁判所の役割を奪っているといえ、裁判はセレモニーでしかないのです。
小説では警察による証拠の捏造が行われていますが、検察もまた、捏造証拠の常習犯です。
国家賠償訴訟では、訟務検事が証拠の捏造を主導、あるいは容認しています。
ここにも、まやかしの法治国家の片鱗が見え隠れします。
行政機関としての捜査機関、それを判断する司法がまともに機能していません。それに加え、発言がコロコロ変わる嘘つき大臣が跋扈する国会。
無実の人間が罪を着せられる一方で、悪徳政治家などは、ほとんど刑事責任を問われることはありません。
三権分立が求められる、この国の中枢では腐敗臭が漂っています。
それか長年続いてきた結果、近年の国力の低下、経済の衰退を招いているといえます。



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