感動的だったはずの菅氏の弔辞 実は裏があったのね!
前回に引き続き、安倍氏の国葬に関することです。
安倍氏の国葬については、安倍氏の業績を正当化・美化するようで当ブログとしては反対の立場であることには変わりありません。
しかし、その国葬の中で、ちょっとだけキラリと光る部分がありました。
それが菅氏の友人としての弔辞です。多くの人が菅氏の弔辞に感動したようで、葬儀にもかかわらず会場から拍手が湧き上がりました。
官房長官時代は決まりきったことしか発言せず口下手な印象でしたが、国葬での弔辞は違っていました。
安倍氏が第一次安倍政権を辞任した後に、再び首相に返り咲くように菅氏が説得したエピソード、安倍氏の読みかけだった本から、山県有朋が長年の盟友 伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌と自分自身を重ね合わせたり、感動させられる場面もあったのです。
「菅氏には素晴らしい文才があったんだ!」「漢字が苦手そうだった安倍氏、意外にも難しそうな本を読でいたんだ!」というのが率直な感想でした。
ところが、この感動的な弔辞、実は別なところからの「使い回し」だったことに加え、感動的になるように作られた演出だったことが分かりました。
菅前首相は弔辞でこう語っていました。
〈衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ〉
「山縣有朋の歌」は、安倍氏がJR東海・葛西会長の追悼するためにFacebookに投稿したものを引用したものだったそうです。
菅氏は、安倍氏の死後、倒れる直前まで読んでいた本を発見し、その読みかけの最後のページにこの歌が載っていたと紹介したのですが、実はそれが嘘だったようです。
実際のところは、安倍氏が正月休みに読む本として2014年12月に葛西氏から薦められたのが岡義武の『山縣有朋』で、その中に載っていた歌だったのです。
しかも、その本を読了したと、安倍氏は2015年1月12日にFacebookで投稿しています。
亡くなる直前の読みかけの本ではなかったのです。
しかし、この辺のことまでは許容できる範囲としても、菅氏が犯した最大の問題は、国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことのようです。
それを理解するために次の二人の人物像を知っておく必要があります。
山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。
葛西氏といえば、安倍元首相の最大のブレーンと言われていた極右財界人で、第一次安倍政権下の2006年には国家公安委員や教育再生会議委員に就任。その後の首相再登板も猛烈に後押しして、第二次安倍政権以降は、首相動静で確認できるだけでも何十回も顔を合わせるなど、べったりの関係を築いてきた。安倍政権の政策への影響力もすさまじく、NHK会長などさまざまな人事まで左右していたことはあまりに有名だ。
私を含め、これらの人物について無知だった人たちは、菅氏の弔辞に素直に感動してしまったのですが、実は怪しげな極右路線を賛美するようなトンデモない弔辞だったということになります。
しかも、大勢の自衛隊員が駆り出された軍国仕立ての国葬だったわけですから、菅氏の弔辞に関連して、いくつかの点と点が線でつながり、安倍氏が目指していた怪しげな国家体制が浮き上がってきます。
菅氏は、このことを理解してた上での弔辞だったのでしょうか?
いずれにしても、国葬としてこのような式典を行ったことは、日本の将来が暗示されるようで、国葬の意義を問いたくなります。
菅氏の弔辞に関して、詳しくは下記の記事をご覧ください。
https://lite-ra.com/2022/10/post-6232.html


安倍氏の国葬については、安倍氏の業績を正当化・美化するようで当ブログとしては反対の立場であることには変わりありません。
しかし、その国葬の中で、ちょっとだけキラリと光る部分がありました。
それが菅氏の友人としての弔辞です。多くの人が菅氏の弔辞に感動したようで、葬儀にもかかわらず会場から拍手が湧き上がりました。
官房長官時代は決まりきったことしか発言せず口下手な印象でしたが、国葬での弔辞は違っていました。
安倍氏が第一次安倍政権を辞任した後に、再び首相に返り咲くように菅氏が説得したエピソード、安倍氏の読みかけだった本から、山県有朋が長年の盟友 伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌と自分自身を重ね合わせたり、感動させられる場面もあったのです。
「菅氏には素晴らしい文才があったんだ!」「漢字が苦手そうだった安倍氏、意外にも難しそうな本を読でいたんだ!」というのが率直な感想でした。
ところが、この感動的な弔辞、実は別なところからの「使い回し」だったことに加え、感動的になるように作られた演出だったことが分かりました。
菅前首相は弔辞でこう語っていました。
〈衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ〉
「山縣有朋の歌」は、安倍氏がJR東海・葛西会長の追悼するためにFacebookに投稿したものを引用したものだったそうです。
菅氏は、安倍氏の死後、倒れる直前まで読んでいた本を発見し、その読みかけの最後のページにこの歌が載っていたと紹介したのですが、実はそれが嘘だったようです。
実際のところは、安倍氏が正月休みに読む本として2014年12月に葛西氏から薦められたのが岡義武の『山縣有朋』で、その中に載っていた歌だったのです。
しかも、その本を読了したと、安倍氏は2015年1月12日にFacebookで投稿しています。
亡くなる直前の読みかけの本ではなかったのです。
しかし、この辺のことまでは許容できる範囲としても、菅氏が犯した最大の問題は、国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことのようです。
それを理解するために次の二人の人物像を知っておく必要があります。
山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。
葛西氏といえば、安倍元首相の最大のブレーンと言われていた極右財界人で、第一次安倍政権下の2006年には国家公安委員や教育再生会議委員に就任。その後の首相再登板も猛烈に後押しして、第二次安倍政権以降は、首相動静で確認できるだけでも何十回も顔を合わせるなど、べったりの関係を築いてきた。安倍政権の政策への影響力もすさまじく、NHK会長などさまざまな人事まで左右していたことはあまりに有名だ。
私を含め、これらの人物について無知だった人たちは、菅氏の弔辞に素直に感動してしまったのですが、実は怪しげな極右路線を賛美するようなトンデモない弔辞だったということになります。
しかも、大勢の自衛隊員が駆り出された軍国仕立ての国葬だったわけですから、菅氏の弔辞に関連して、いくつかの点と点が線でつながり、安倍氏が目指していた怪しげな国家体制が浮き上がってきます。
菅氏は、このことを理解してた上での弔辞だったのでしょうか?
いずれにしても、国葬としてこのような式典を行ったことは、日本の将来が暗示されるようで、国葬の意義を問いたくなります。
菅氏の弔辞に関して、詳しくは下記の記事をご覧ください。
https://lite-ra.com/2022/10/post-6232.html


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