憲法改正を議論する前に 憲法が順守されているのかを検証すべきでは?
昨日は憲法記念日でした。
なぜか憲法記念日になると憲法を改正すべきか否かの議論が毎年のように繰り返されますが、どんなに素晴らしい憲法であっても権力者が憲法を順守しなければ何の意味もありません。
現行の憲法が権力者によって、しっかりと守られてきたのか、憲法の枠を超えて行き過ぎた権力の行使はなかったのか、まずは、そちらを検証することの方が先ではないかと思います。
権力者と憲法の関係について、面白い例えをしているサイトを見つけました。
https://kokocara.pal-system.co.jp/2019/04/15/lion-in-a-cage/
権力をもった者(ライオン)はそれを濫用したがります。ですからライオンに任せていたのでは好き勝手に暴走して、国民に襲いかかってくるかもしれません。そうならないために、ライオンをしばっておく「檻」が必要になります。その檻が憲法だというのです。
小学生でも理解できる、たいへん分かりやすい例えです。
憲法改正の発議に必要な国会議員の「3分の2」という要件を、「過半数」に変えようという、2013年に浮上した憲法96条の改正論をきっかけに、憲法を広める活動を始めた弁護士の楾大樹(はんどう たいき)氏の著書での例えです。
「いま、一番わかりやすい!」と話題の憲法の入門書です。

96条の改正については、檻を次のように表現しています。
もともと憲法には、改正のためのハードルが高く設定されています。ライオンの力で簡単に壊したり広げたりできないように、檻を硬く作っているんです。ところが、96条の改正は、ライオンが、自らをしばる檻を軟らかい檻と取り換えようとするものだった。
憲法を巡る危機はほかにもありました。
憲法21条で保障されている国民の「知る権利」を脅かしかねない、2013年12月成立の「特定秘密保護法」です。
これについては、次のように説明しています。
ライオンが檻にカーテンをつけて、檻の中を隠そうとするようなものです。もしライオンが、自分にとって都合の悪いことを隠してしまったら、私たちは、ライオンの行動の是非や選挙でどのライオンを選ぶのかを判断することが難しくなります。
本来、私たちがライオンをコントロールしなければいけないのに、私たちの目に触れる情報を制限することで、逆に、ライオンが私たちをコントロールしかねない。これでは民主主義は成り立ちませんと指摘しています。
2015年9月に成立した「安全保障関連法(以下、安保関連法)」が「違憲では」ということについては次のように解説してします。
日本が武力攻撃されたときに、やむにやまれず最低限の武力行使で自国を守る「個別的自衛権」だけは、「交戦権にはあたらず、そのための組織である自衛隊も戦力にあたらない」と解釈されてきました。
ところが、集団的自衛権は、「自国を守るため」という要件から外れ、外国が攻められたときにその国を守るために日本が戦争に加わるということであって、「交戦権」の行使にあたります。
ところが、安保関連法では、「集団的自衛権も交戦権にはあたらない」と、憲法の解釈を変更してしまったのです。
檻とライオンでいえば、ライオンが檻の外にあるものに手を伸ばすためには、ライオンが自分で檻を壊して外に出てしまったということになります。
最近ではロシアによるウクライナ侵攻に乗じて「敵基地攻撃能力」ということも言われています。なし崩し的に憲法が骨抜きにされているように思います。
特に憲法9条にかかわることについては、日本独自の判断というよりは宗主国アメリカの意向が大きく働いていると考えられます。
権力より上に位置する「最高法規」が憲法ですが、日本の主権を蔑ろにして、さらに憲法の上にあるのが日米地位協定だからです。
興味のある方は、この本をご覧ください。

憲法96条の改正の議論、特定秘密保護法、安全保障関連法の成立、これらはすべて安倍政権の下で行われてきたことです。
安倍前首相による数々の不正行為が問題にされながらも司直の手が入ることなく、今なお政治家を続けているということは、アメリカに重宝がられているということなのでしょうかね。
まさに憲法14条の「法の下の平等」が脅かされている状況です。


なぜか憲法記念日になると憲法を改正すべきか否かの議論が毎年のように繰り返されますが、どんなに素晴らしい憲法であっても権力者が憲法を順守しなければ何の意味もありません。
現行の憲法が権力者によって、しっかりと守られてきたのか、憲法の枠を超えて行き過ぎた権力の行使はなかったのか、まずは、そちらを検証することの方が先ではないかと思います。
権力者と憲法の関係について、面白い例えをしているサイトを見つけました。
https://kokocara.pal-system.co.jp/2019/04/15/lion-in-a-cage/
権力をもった者(ライオン)はそれを濫用したがります。ですからライオンに任せていたのでは好き勝手に暴走して、国民に襲いかかってくるかもしれません。そうならないために、ライオンをしばっておく「檻」が必要になります。その檻が憲法だというのです。
小学生でも理解できる、たいへん分かりやすい例えです。
憲法改正の発議に必要な国会議員の「3分の2」という要件を、「過半数」に変えようという、2013年に浮上した憲法96条の改正論をきっかけに、憲法を広める活動を始めた弁護士の楾大樹(はんどう たいき)氏の著書での例えです。
「いま、一番わかりやすい!」と話題の憲法の入門書です。

96条の改正については、檻を次のように表現しています。
もともと憲法には、改正のためのハードルが高く設定されています。ライオンの力で簡単に壊したり広げたりできないように、檻を硬く作っているんです。ところが、96条の改正は、ライオンが、自らをしばる檻を軟らかい檻と取り換えようとするものだった。
憲法を巡る危機はほかにもありました。
憲法21条で保障されている国民の「知る権利」を脅かしかねない、2013年12月成立の「特定秘密保護法」です。
これについては、次のように説明しています。
ライオンが檻にカーテンをつけて、檻の中を隠そうとするようなものです。もしライオンが、自分にとって都合の悪いことを隠してしまったら、私たちは、ライオンの行動の是非や選挙でどのライオンを選ぶのかを判断することが難しくなります。
本来、私たちがライオンをコントロールしなければいけないのに、私たちの目に触れる情報を制限することで、逆に、ライオンが私たちをコントロールしかねない。これでは民主主義は成り立ちませんと指摘しています。
2015年9月に成立した「安全保障関連法(以下、安保関連法)」が「違憲では」ということについては次のように解説してします。
日本が武力攻撃されたときに、やむにやまれず最低限の武力行使で自国を守る「個別的自衛権」だけは、「交戦権にはあたらず、そのための組織である自衛隊も戦力にあたらない」と解釈されてきました。
ところが、集団的自衛権は、「自国を守るため」という要件から外れ、外国が攻められたときにその国を守るために日本が戦争に加わるということであって、「交戦権」の行使にあたります。
ところが、安保関連法では、「集団的自衛権も交戦権にはあたらない」と、憲法の解釈を変更してしまったのです。
檻とライオンでいえば、ライオンが檻の外にあるものに手を伸ばすためには、ライオンが自分で檻を壊して外に出てしまったということになります。
最近ではロシアによるウクライナ侵攻に乗じて「敵基地攻撃能力」ということも言われています。なし崩し的に憲法が骨抜きにされているように思います。
特に憲法9条にかかわることについては、日本独自の判断というよりは宗主国アメリカの意向が大きく働いていると考えられます。
権力より上に位置する「最高法規」が憲法ですが、日本の主権を蔑ろにして、さらに憲法の上にあるのが日米地位協定だからです。
興味のある方は、この本をご覧ください。

憲法96条の改正の議論、特定秘密保護法、安全保障関連法の成立、これらはすべて安倍政権の下で行われてきたことです。
安倍前首相による数々の不正行為が問題にされながらも司直の手が入ることなく、今なお政治家を続けているということは、アメリカに重宝がられているということなのでしょうかね。
まさに憲法14条の「法の下の平等」が脅かされている状況です。


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