不純な動機で導入された裁判員制度10年にバカ騒ぎする最高裁とマスコミ
裁判員制度が導入されてから、先週の21日で、10年を迎えたということで、著名人を呼んでの模擬裁判など、各地の裁判所ではイベントが開かれ、その様子を伝えるマスコミなど、いたって肯定的な演出をしています。
しかしながら、この10年で、裁判員制度の対象となる刑事裁判では、何か画期的な変化でもあったでしょうか?
執行猶予がつく判決の割合が増えたとか、性犯罪の量刑が重くなるなど、判決の傾向にわずかな変化は見られますが、どちらかといえば、仕事などの日常生活の都合で裁判員として参加することの難しさ、年々増加する裁判員の辞退者など、負の側面の方が大きいのではないでしょうか。
そもそも、裁判員制度は一審だけに導入されており、有罪とされた4割近くが控訴しており、控訴審で一審判決が破棄される事件も1割近くあるというデータもあります。裁判員の負担だけではなく、裁判員に関わる事務処理が増える裁判所や検察にとっても、それほどメリットがあるとは思えませんし、控訴審で覆れば、その努力も無駄になります。
仮に裁判員制度を導入するのであれば、ヒラメ裁判官が、国や行政に圧倒的に有利な判決を下している国家賠償訴訟や行政争訟にこそ、裁判員による国民としての判断を取り入れるべきで、現在の裁判員制度が、極めて中途半端な状態にあることが認識されます。
一般の人たちから見ても、裁判員制度には何か胡散臭さを感じます。
それもそのはず、導入の目的が極めて不純なものだったからだということが、元裁判官の瀬木比呂志氏の 「絶望の裁判所 (講談社現代新書) 」(2014年2月20日第一刷発行)から知ることができます。
市民の司法参加という、もっともらしい目的でスタートした裁判員制度ですが、この制度の導入を巡っては、実は「公然の秘密」ともいうべき別の目的があったといいます。
「その実質的な目的は、トップの刑事系裁判官たちが、民事系に対して長らく劣勢にあった刑事系裁判官の基盤を再び強化し、同時に人事権をも掌握しようと考えたことにある」と記述されています。
「ことに、キャリアシステムにおける昇進の側面においてそれが顕著になり、裁判員制度導入の中心人物であった竹崎博允氏が、十四名の先輩最高裁判事を飛び越して東京高裁長官から直接最高裁長官になるという、きわめて異例の「出世」をした。事務総局は、刑事系に限らず、ほぼ例外なく竹崎氏と関係の深い裁判官で占められ、こうした大規模な情実人事が下級審裁判官たちに与えた悪影響ははかりしれない。」ということが書かれています。
裁判官らの利権のために利用される司法制度改革
この本の出版からまもなく、竹崎博允氏は、任期途中で最高裁長官を辞任しています。
市民感覚を裁判に反映するとか、多様な人材を法曹にするとか、もっともらしい理由をつけて導入されている司法改革の制度ですが、結局のところ、裁判員制度にしても法科大学院にしても、すべては裁判官や検察官らの利権確保と天下りのために導入されているということが理解できます。
天下りと利権確保に利用される司法制度改革
前述の「絶望の裁判所」には、このような最高裁長官への「秘密の就任劇」だけではなく、はじめに結論ありきの行政裁判、その背景ともいうべき最高裁事務総局による個々の裁判官に対する周到なコントロールの仕組みが具体的な判例とともに赤裸々に記されています。
私自身、不正裁判を経験してみて、その謎を、「絶望の裁判所」に出会い、スッキリと解消することができました。
公正な判断がされることを信じて訴訟を起こした当事者は、訴訟費用を騙し取られただけの「訴訟詐欺」の被害者であり、そのことをこの本は証明しています。
それだけ、日本の司法にとっては重大な告発本であるにもかかわらず、マスコミは、一部の週刊誌を除いてほとんど取り上げることはありませんでした。しかし、瀬木比呂志氏は上梓するにあたり外国特派員協会で記者会見を開いていますし、ネットでもかなり話題になっていました。
これだけ反響の大きい本について、最高裁は何らかの見解を示すべきだったのです。
司法制度改革などするより以前に、最高裁事務総局が変わらないことには何の意味もないということについて、国民にしっかりと説明する必要があったのです。
ちょうど、その時期に最高裁長官だったのが寺田逸郎氏ということで、「絶望の裁判所」と、それに続く「ニッポンの裁判」に記されている時代錯誤の最高裁の内幕について説明し、改革を断行しなければならなかったのです。
そのことこそが、寺田最高裁長官が、長年、慣例となっている退任会見を出来なかった最大の理由ではないかと考えます。
寺田逸郎 前最高裁長官が退任会見を開かなかった理由
『まやかしの国家賠償制度』を証言してくれた救世主 瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」
「絶望の裁判所」 あれもこれも 私のケースとまったく同じ!!
裁判員制度導入を巡るこのような経緯を知っているからこそ、制度の導入が正しかったのか否かの検証をせずして、導入10年の最高裁やマスコミによる過剰な演出をすることには辟易します。


しかしながら、この10年で、裁判員制度の対象となる刑事裁判では、何か画期的な変化でもあったでしょうか?
執行猶予がつく判決の割合が増えたとか、性犯罪の量刑が重くなるなど、判決の傾向にわずかな変化は見られますが、どちらかといえば、仕事などの日常生活の都合で裁判員として参加することの難しさ、年々増加する裁判員の辞退者など、負の側面の方が大きいのではないでしょうか。
そもそも、裁判員制度は一審だけに導入されており、有罪とされた4割近くが控訴しており、控訴審で一審判決が破棄される事件も1割近くあるというデータもあります。裁判員の負担だけではなく、裁判員に関わる事務処理が増える裁判所や検察にとっても、それほどメリットがあるとは思えませんし、控訴審で覆れば、その努力も無駄になります。
仮に裁判員制度を導入するのであれば、ヒラメ裁判官が、国や行政に圧倒的に有利な判決を下している国家賠償訴訟や行政争訟にこそ、裁判員による国民としての判断を取り入れるべきで、現在の裁判員制度が、極めて中途半端な状態にあることが認識されます。
一般の人たちから見ても、裁判員制度には何か胡散臭さを感じます。
それもそのはず、導入の目的が極めて不純なものだったからだということが、元裁判官の瀬木比呂志氏の 「絶望の裁判所 (講談社現代新書) 」(2014年2月20日第一刷発行)から知ることができます。
市民の司法参加という、もっともらしい目的でスタートした裁判員制度ですが、この制度の導入を巡っては、実は「公然の秘密」ともいうべき別の目的があったといいます。
「その実質的な目的は、トップの刑事系裁判官たちが、民事系に対して長らく劣勢にあった刑事系裁判官の基盤を再び強化し、同時に人事権をも掌握しようと考えたことにある」と記述されています。
「ことに、キャリアシステムにおける昇進の側面においてそれが顕著になり、裁判員制度導入の中心人物であった竹崎博允氏が、十四名の先輩最高裁判事を飛び越して東京高裁長官から直接最高裁長官になるという、きわめて異例の「出世」をした。事務総局は、刑事系に限らず、ほぼ例外なく竹崎氏と関係の深い裁判官で占められ、こうした大規模な情実人事が下級審裁判官たちに与えた悪影響ははかりしれない。」ということが書かれています。
裁判官らの利権のために利用される司法制度改革
この本の出版からまもなく、竹崎博允氏は、任期途中で最高裁長官を辞任しています。
市民感覚を裁判に反映するとか、多様な人材を法曹にするとか、もっともらしい理由をつけて導入されている司法改革の制度ですが、結局のところ、裁判員制度にしても法科大学院にしても、すべては裁判官や検察官らの利権確保と天下りのために導入されているということが理解できます。
天下りと利権確保に利用される司法制度改革
前述の「絶望の裁判所」には、このような最高裁長官への「秘密の就任劇」だけではなく、はじめに結論ありきの行政裁判、その背景ともいうべき最高裁事務総局による個々の裁判官に対する周到なコントロールの仕組みが具体的な判例とともに赤裸々に記されています。
私自身、不正裁判を経験してみて、その謎を、「絶望の裁判所」に出会い、スッキリと解消することができました。
公正な判断がされることを信じて訴訟を起こした当事者は、訴訟費用を騙し取られただけの「訴訟詐欺」の被害者であり、そのことをこの本は証明しています。
それだけ、日本の司法にとっては重大な告発本であるにもかかわらず、マスコミは、一部の週刊誌を除いてほとんど取り上げることはありませんでした。しかし、瀬木比呂志氏は上梓するにあたり外国特派員協会で記者会見を開いていますし、ネットでもかなり話題になっていました。
これだけ反響の大きい本について、最高裁は何らかの見解を示すべきだったのです。
司法制度改革などするより以前に、最高裁事務総局が変わらないことには何の意味もないということについて、国民にしっかりと説明する必要があったのです。
ちょうど、その時期に最高裁長官だったのが寺田逸郎氏ということで、「絶望の裁判所」と、それに続く「ニッポンの裁判」に記されている時代錯誤の最高裁の内幕について説明し、改革を断行しなければならなかったのです。
そのことこそが、寺田最高裁長官が、長年、慣例となっている退任会見を出来なかった最大の理由ではないかと考えます。
寺田逸郎 前最高裁長官が退任会見を開かなかった理由
『まやかしの国家賠償制度』を証言してくれた救世主 瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」
「絶望の裁判所」 あれもこれも 私のケースとまったく同じ!!
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