改憲と時代錯誤の政治に奔走する安倍政権の淵源
教育勅語について、安倍政権は、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との時代錯誤の閣議決定しました。
教育勅語という言葉自体、歴史の教科書で習って以来、ほとんど意識にのぼることはありませんでしたが、森友幼稚園が運営する塚本幼稚園での、教育勅語を暗唱する奇妙な園児たち動画に、多くの人の記憶が呼び起されたのではないでしょうか。
教育勅語についてはなんとなくわかっていても、詳しく知っている人はそれほど多くはないはずです。
BLOGOSの小宮山洋子氏の記事で、わかりやすく説明されているので紹介します。
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小宮山洋子2017年04月04日
教育勅語を教材で使用認める閣議決定は時代錯誤
安倍内閣が、教育勅語について、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」という答弁書を閣議決定しました。
これは、時代錯誤でしかないと思います。
教育勅語は、終戦後の1948年、衆議院で排除の決議が、参議院で失効の決議がされているものです。参議院決議では、「われらは日本国憲法にのっとり、教育基本法を制定し、わが国とわが民族を中心とする教育の誤りを払拭し、真理と平和を希求する人間を育成する民主主義的教育理念を宣言した。教育勅語がすでに効力を失った事実を明確にし、政府は勅語の謄本をもれなく回収せよ」としています。
今回の閣議決定は、これと対立するものです。
森友問題をめぐって、稲田防衛大臣が「教育勅語に流れているところの核の部分は取り戻すべきだ」と答弁したことが、直接のきっかけになった、とも言われています。教育勅語は、天皇中心の国体観に基づき、事が起きれば天皇のために命を捧げるという考え方であり、憲法や教育基本法に反するから排除されたものです。親孝行や家族愛、友達を大切に等は、今も必要ということのようですが、それは教育勅語によらなくても教えられるはずです。
戦後レジームからの脱却を掲げてきた総理や、現在の政権の体質に強い危惧を持ちます。
http://blogos.com/article/216902/
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下の動画をご覧いただければ分かりますが、安倍首相が会長になっている「創生日本」の研修会では、衛藤晟一総理大臣補佐官や稲田防衛大臣などの自民党の閣僚たちが多く参加する中、「国民主権、基本的人権、平和主義者、この3つを無くさなければ本当の自主憲法にはならないんですよ!」などの発言に、大きな拍手が湧き上がっています。
教育勅語の肯定と、これら自民党の議員たちの意思に共通するのは、現行憲法の否定です。
ここまでに登場する人物だけでも、衛藤晟一氏、稲田朋美氏、森友学園前理事長の籠池氏には、ある共通点があります。
彼らは、「生長の家原理主義」運動という一本の線でつながるということが、菅野完氏の「日本会議の研究」から知ることができます。
安倍政権と深いつながりを持っている彼らは、なぜ憲法を蹂躙し、立憲主義を踏みにじるのか

それも「日本会議の研究」から知ることができます。
それを読み解く鍵は、日本会議の中核である日本青年協議会(70年安保の時代に、「生長の家学生運動」を母体とする「全国学協」の社会人組織として結成された。)にあるといいます。
日本青年協議会は、全国学協の社会人組織として発足しながらも、発足直後の1973年、全国学協から除名処分を受けます。学生組織の後ろ盾を失った日本青年協議会は、自前の学生運動組織を結成する必要に迫られ、それでできたのが、「反憲法学生委員会全国連合」、略称、「反憲学連」だということです。
名前が示す通り、彼らの狙いは、「改憲」ではなく、あくまでも「反憲」にこそあり、「現行憲法を徹底的に否定する」というのがテーゼだそうです。
それにしても、なぜ、彼らが安倍晋三氏に大きな影響力を及ぼすまでに至ったのか

それは、安倍晋三氏の特異なキャリアにあるといいます。小泉内閣で幹事長に大抜擢された安倍氏は、そのわずか2年の総理総裁になります。十分な権力基盤を構築しないまま総理総裁まで上り詰めた安倍氏は、権力基盤が脆弱で、日本会議や「生長の家原理主義者ネットワーク」をはじめとする「一群の人々」が安倍氏の周りに群がり、影響力を行使しやすかったのではないかと、菅野氏は分析しています。
「一群の人々」ですが、彼らの言動には、いつも胡散臭さがつきまといます。まともな人たちの目には、時代錯誤のバカ丸出しにしか映りません。そのような人々が、なぜ政権に絶大な影響力を行使できるまでに勢力を拡大すことができたのか

その理由が「日本会議の研究」の次のところから知ることができます。
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日本会議事務方が行っているのは、「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」という極めて幼稚な糾合点を軸に「なんとなく保守っぽい」有象無象の各種教団・各種団体を取りまとめ、「数」として顕在化させ、その「数」を見事にコントロールする管理能力を誇示し、政治に対する圧力に変えていく作業なのだ。
個々の構成員は高齢でそのくせ考えが幼稚でかつ多種多様かもしれぬが、これを束ねる事務方は、極めて優秀だ。この事務方の優秀さが、自民党の背中を押し改憲の道へ突き進ませているのものの正体なのだろう。(P132)
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この本を初めて読んだのは、まだ森友問題が表面化されていない昨年の7月ごろでした。今、再び、要所、要所に目を通してみると、以前はバラバラの点だったものが繋がり、大きな流れとして問題を捉えることができます。
一種独特の憲法観の「一群の人々」



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