裁判員制度を意識して報道が変じゃありませんか? (1)
このシリーズ自体は、世界各国の歴史的事件にかかわりをもった家族の近代史を紹介しているもので、一般的な日本人が読めば、“世界には、そういう経験をした人(家族)もいるのか!” ぐらいに受け止められる内容であると思いますし、報道する側も、表面的には、そのような記事であるということを装っているかに見えるのですが・・・・
裁判員制度が始まろうとしている年の初めに、「中国初の行政訴訟」に焦点をあてたこの記事は、特に裁判に無関心な国民、あるいは、現在の裁判に特に問題意識をもっていない国民に、間違った潜在意識を植え付けるもので、メディアとしての信用を損なうものであるということを私は強く感じました。
記事の要旨は、次のようなものです。
ところが、家の半分が、砂防工事の対象地区にかかっていた。父鄭照さんは立ち退きを拒み続けたあげく、地元政府によって建物の半分を爆破された。
松村の父は地元政府を訴え、松村や、その兄弟達も父に従った。家族は、拘束されたり、職を追われるなどの嫌がらせを受けた。
理想に燃えていた若い弁護士が代理人を引き受けた。公権力に対する国民の不満が中国各地で膨らんでいて、無視できないという判断から、意外にも裁判所は、訴えを受理した。
しかし、父の敗訴は最初からわかっており、最初の口頭弁論の直前に政府関係者から、そっと伝えられていた。
以上が事実に基づいた要旨であるのですが、この記事のサブタイトル 『真の法治国家を願い』 という部分の一節に、執筆した記者の(?)見解として、次のように記載されていました。
全文は、下記のとおりです。
行政訴訟法ができたのは翌89年の春。それから20年。中国での報道によると、90年から07年までの行政訴訟件数は128万件に達し、市民が政府を訴えることは珍しくなくなった。ただ、勝訴できるかは、また別の話だ。
この部分に、私は、とても引っかかりました。
何か他人ごとのように書かれており、「これが中国の現実なのよ。でも、日本は違うのよ。」と言わんばかりに。
確かに、この 『家族89~09 20年の物語』 のシリーズの趣旨に沿っているからこそ、日本の国家賠償訴訟や行政訴訟との対比について論じる必要性がなく、あえて、この「中国初の行政訴訟」の記事をこのシリーズに位置づけることで、意図的に、日本の国家賠償訴訟や行政訴訟の正当性を印象付けている気がしてならないのですが・・・・・
これまでの私のブログを読んでくださっているみなさんには、おわかりいただいていると思いますが、日本の国家賠償訴訟や行政訴訟の現状は、この中国の状況とほとんど変わりはないのです。
中国の行政訴訟の歴史は、まだ20年程度ですが、日本の国家賠償法は1947年、行政事件訴訟法と行政不服審査法は1962年に制定されており、中国と比較して2~3倍の年月を経ているにもかかわらず、いまだに進歩や改善の見られない日本の状況の方が、むしろ重症だといえます。 このところの報道は、どうも裁判員制度を意識してか、歪められているように感じてならないのですが・・・・・
- 関連記事