裁判所は“裸の王様”!
それは、私がよく利用しているショッピングセンターに関することで、ショッピングセンター周辺の住民6人が、住宅が傾斜し亀裂が入ったのは、94年~95年のショッピングセンター建設に伴う地盤沈下のためだとして、開発会社など2社に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決の記事です。
一審の福島地裁いわき支部判決は、住宅の被害と工事の因果関係を認め、約3700万円支払を命じたものの、二審の仙台高裁は、一審判決を破棄し住民の請求を棄却したというものです。
このような私の裁判を行った裁判所に関する記事を目にするときは、いつも、私の担当だった裁判官が記事に出てこないことを願ってしまいます。
それは、前にもお話したように、違法行為を行った裁判官が、いまだに平然と誰かを裁いていることに、強い憤りと不快感を覚えますし、また、仮に、新聞に掲載され世間から注目されるような裁判のみが厳正に裁かれているとしたら、余計怒りと悔しさがこみ上げてくるからなのです。
アンラッキーなことに、いやな予感は的中してしまいました。
ぜんぜん関係ない地域の裁判の記事やニュースでしたら平気なのですが、自分がかかわった裁判所のことになると、記事を読みたいという興味と同時に、また嫌なことを思い出したくないという気持ちが交錯するのです。
それだけデタラメ判決は、私の心の傷となっているのかもしれません。
何か面倒な問題や困難なことに直面しても、解決する術を見つけ、それに向かって努力すれば、努力は報われるということを信じてきましたし、体験的にも十分承知しているつもりです。
ですから、国家賠償訴訟に関しても、希望をもって提訴に踏み切りました。
しかし、いくら努力したところで、それが全く報われない世界が司法なのです。しかも裁判官の違法行為によって、いとも簡単に踏みにじられてしまったわけなのですから・・・・・
司法には、本当に失望しました。
少なくとも、私は、一審判決の直前までは司法を信頼していましたが、その信頼は完全に崩れ、おかしな判決を聞くたびに、愚かな裁判官が、またずさんな判決を下したのではないかという疑いのまなざしで、つい見てしまいます。
ですから、冒頭で述べたショッピングセンターの裁判についても、詳細は知りませんが、私個人の感想としては、私のときと同じ裁判官らが、再び権力者寄りの判決を下したのではないかと、冷ややかな目で見ていますが・・・・
私もそうであったように、裁判に直接かかわってみなければ、多くの人々は、その実状に関心を持つことは、ほとんどないと思います。
多くの国民は、“最高裁”“裁判所”という威厳のある言葉の響きに、裁判所の判断を疑いもなく信じているだけなのかもしれません。
そして、裁判所もまた国民の妄想により作り上げられた虚像の権威を利用して、国民の権利を無視した官僚主権のような横暴な裁判を続けてきたのかもしれません。
ということは、裁判所の実像は、国民の妄想により作り上げられた威厳を利用して、国民を欺いている

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