原発事故の謎が解ける本 2 ~東京が壊滅する日~
前回に引き続き、広瀬隆氏の「東京が壊滅する日 フクシマと日本の運命」の紹介です。
前回は、科学的側面から眺めた原子力の歴史を簡単に紹介しました。
19世紀のウラン鉱物が採掘されはじめた時代から、X線の発見、原爆実験、広島・長崎への原爆投下、水爆実験、現在の原子力発電に至るまで、それぞれの場所や周辺で数えきれないほどの健康被害が出ていたことは、早い段階から知られていたにもかかわらず、それぞれの時代で形を変え、現在に至るまで、原子力産業は、なぜ繁栄を続けてきたのか、その答えを知ることで、現在の福島や日本の状況を正しく知り、近い将来の日本の姿を正確に予測することができます。
この本には原子力の歴史が多角的な視点から書かれており盛りだくさんなのですが、その中から福島の原発事故の関係する部分に限定して紹介します。
とは言いましても、まずは原子力に関する世界の流れを知っておく必要があります。
詳しい経緯については本を読んでいただくことにして、大まかに言えば、アメリカのモルガンとロックフェラーの二大財閥が第二次大戦中の「軍需産業」のすべてを握ったことで、その後も彼らが巨額の利益を得続けるためにるために、ある時には仮想敵国を作り、戦争を煽ることで世界をコントロールし、繁栄を極めてきたといえます。
少し前のイラクやアラブ世界、現在のシリアで起こっているようなことは、ソ連を仮想敵国とした冷戦時代からのアメリカの常套手段といえます。
もちろん、広島・長崎への原爆投下も、これまで言われてきたような「第二次世界大戦を終わらせるために原爆が投下された」のではなく、巨額の利益を得ることを目的に実行されたことは確かです。
さらに恐ろしいことは、マンハッタン計画に携わった二大財閥が、被ばく問題を調査する国際的な機関に人材を送り込み、データを独占することで、被ばく被害を過小に評価し、根拠のない基準を世界に示し、その後の原子力産業への影響を排除するような手法をとって、原子力の維持を企ててきたことです。
次に日本への影響を見ていきますが、その際、アメリカのABCCという機関に注目する必要があります。
広島・長崎への原爆投下によって、被曝問題をコントロールする必要性を感じたアメリカは、「原爆傷害調査委員会(ABCC)」を設立して、広島と長崎の被ばく者に対し放射線の医学的・生物学的影響を調べる調査をはじめた。
だが、彼らは、苦しむ被ばく者の治療を一切行わず、人体実験のモルモットとして調べた。その理由は、日本人による被ばく研究を禁止してデータを独占し、放射能被害を隠すための権威として振る舞うことを目的としてABCCが設立されたからである。
このABCC創設を提唱したシールズ・ウォーレン博士が、マンハッタン計画をそのまま引き継ぎ、ロックフェラーとモルガンの企業から送り込まれた人材で埋められた組織「原子力エネルギー委員会(AEC)」の医学顧問をつとめ、その後、放射線影響科学委員会のアメリカ代表となり、さらにアメリカの二大財閥の資金によってスタートした国連の世界保健機構(WHO)の要職に就くことになる。
また、原水爆反対の動きを世界的にコントロールするため、1957年、AECが主導して、国際原子力機構(IAEA)が国連の自治機関として誕生する。第二次世界大戦の戦勝国が、資本主義・共産主義、西洋・東洋を問わず、核兵器開発を独占するための国際シンジケート組織であった。
その2年後の1959年、WHOがIAEAと協定を結び、IAEAが独占的な、原子力の世界的権威と位置づけられ、WHOは、実質的に原子力の分野での独立した医学調査の実施が禁じられた。
これらは、すべてアメリカを中心に行われてきたことなので仕方ないとしても、被爆国の日本としては何かやれることはなかったのか、そこが疑問に思うところです。
しかし、ここでもアメリカに協力する売国日本人の存在が大きな影響力を持ちます。
では、具体的に見ていきましょう。
ABCCは、原爆投下から5年後の時点での被ばく生存者だけを調査対象とし、5年以内の死亡した最大の被害者を調査対象から除外した。加えて10キロメートル以上でも被ばく症状が出ていたにもかかわらず、2,5キロメートルの人だけを被ばく者として調査したほか、ありとあらゆる手段で放射能被害を小さく評価した。
戦後まもなく、このABCCの調査に協力したかなりの日本人が、広島・長崎の医学者と医師の肩書きをもつ者の中にいた。
原子炉売りつけの莫大な利益を狙って、1975年、アメリカのABCCが日本に受け継がれて改組され、放射線影響研究所(放影研)となった。放影研は現在まで、アメリカから資金提供を受けている。
この放影研の理事長として1981年から君臨したのが、薬害・公害で医学的に明白になっていた原因物質をシロと判定し疫学犯罪を重ねてきた重松逸造であった。
ICRP(国際放射線防護委員会)の委員でもあった重松逸造を支援したのが笹川財団で、その傘下で重松逸造と組んだのが、長崎大学の長瀧重信と山下俊一であり、このふたりが、福島の原発事故の放射能被ばくを放置した。
これらが、現在につながるに日本国内での人脈です。
原爆投下による被害を受け、さらに原発事故が起きたにもかかわらず、その後も積極的に原子力にかかわり、推進していこうとしている現在の政府は、まさに二大財閥による世界的な流れの中に完全に取り込まれていると考えられます。
ですから、政府のいう基準値を信じて、汚染地帯に居住し、汚染された水や食品を摂取し続けていたのでは、この本に書かれているような世界各地の汚染地帯で起きてきたようなことが、目の前で展開されることになります。



前回は、科学的側面から眺めた原子力の歴史を簡単に紹介しました。
19世紀のウラン鉱物が採掘されはじめた時代から、X線の発見、原爆実験、広島・長崎への原爆投下、水爆実験、現在の原子力発電に至るまで、それぞれの場所や周辺で数えきれないほどの健康被害が出ていたことは、早い段階から知られていたにもかかわらず、それぞれの時代で形を変え、現在に至るまで、原子力産業は、なぜ繁栄を続けてきたのか、その答えを知ることで、現在の福島や日本の状況を正しく知り、近い将来の日本の姿を正確に予測することができます。
この本には原子力の歴史が多角的な視点から書かれており盛りだくさんなのですが、その中から福島の原発事故の関係する部分に限定して紹介します。
とは言いましても、まずは原子力に関する世界の流れを知っておく必要があります。
詳しい経緯については本を読んでいただくことにして、大まかに言えば、アメリカのモルガンとロックフェラーの二大財閥が第二次大戦中の「軍需産業」のすべてを握ったことで、その後も彼らが巨額の利益を得続けるためにるために、ある時には仮想敵国を作り、戦争を煽ることで世界をコントロールし、繁栄を極めてきたといえます。
少し前のイラクやアラブ世界、現在のシリアで起こっているようなことは、ソ連を仮想敵国とした冷戦時代からのアメリカの常套手段といえます。
もちろん、広島・長崎への原爆投下も、これまで言われてきたような「第二次世界大戦を終わらせるために原爆が投下された」のではなく、巨額の利益を得ることを目的に実行されたことは確かです。
さらに恐ろしいことは、マンハッタン計画に携わった二大財閥が、被ばく問題を調査する国際的な機関に人材を送り込み、データを独占することで、被ばく被害を過小に評価し、根拠のない基準を世界に示し、その後の原子力産業への影響を排除するような手法をとって、原子力の維持を企ててきたことです。
次に日本への影響を見ていきますが、その際、アメリカのABCCという機関に注目する必要があります。
広島・長崎への原爆投下によって、被曝問題をコントロールする必要性を感じたアメリカは、「原爆傷害調査委員会(ABCC)」を設立して、広島と長崎の被ばく者に対し放射線の医学的・生物学的影響を調べる調査をはじめた。
だが、彼らは、苦しむ被ばく者の治療を一切行わず、人体実験のモルモットとして調べた。その理由は、日本人による被ばく研究を禁止してデータを独占し、放射能被害を隠すための権威として振る舞うことを目的としてABCCが設立されたからである。
このABCC創設を提唱したシールズ・ウォーレン博士が、マンハッタン計画をそのまま引き継ぎ、ロックフェラーとモルガンの企業から送り込まれた人材で埋められた組織「原子力エネルギー委員会(AEC)」の医学顧問をつとめ、その後、放射線影響科学委員会のアメリカ代表となり、さらにアメリカの二大財閥の資金によってスタートした国連の世界保健機構(WHO)の要職に就くことになる。
また、原水爆反対の動きを世界的にコントロールするため、1957年、AECが主導して、国際原子力機構(IAEA)が国連の自治機関として誕生する。第二次世界大戦の戦勝国が、資本主義・共産主義、西洋・東洋を問わず、核兵器開発を独占するための国際シンジケート組織であった。
その2年後の1959年、WHOがIAEAと協定を結び、IAEAが独占的な、原子力の世界的権威と位置づけられ、WHOは、実質的に原子力の分野での独立した医学調査の実施が禁じられた。
これらは、すべてアメリカを中心に行われてきたことなので仕方ないとしても、被爆国の日本としては何かやれることはなかったのか、そこが疑問に思うところです。
しかし、ここでもアメリカに協力する売国日本人の存在が大きな影響力を持ちます。
では、具体的に見ていきましょう。
ABCCは、原爆投下から5年後の時点での被ばく生存者だけを調査対象とし、5年以内の死亡した最大の被害者を調査対象から除外した。加えて10キロメートル以上でも被ばく症状が出ていたにもかかわらず、2,5キロメートルの人だけを被ばく者として調査したほか、ありとあらゆる手段で放射能被害を小さく評価した。
戦後まもなく、このABCCの調査に協力したかなりの日本人が、広島・長崎の医学者と医師の肩書きをもつ者の中にいた。
原子炉売りつけの莫大な利益を狙って、1975年、アメリカのABCCが日本に受け継がれて改組され、放射線影響研究所(放影研)となった。放影研は現在まで、アメリカから資金提供を受けている。
この放影研の理事長として1981年から君臨したのが、薬害・公害で医学的に明白になっていた原因物質をシロと判定し疫学犯罪を重ねてきた重松逸造であった。
ICRP(国際放射線防護委員会)の委員でもあった重松逸造を支援したのが笹川財団で、その傘下で重松逸造と組んだのが、長崎大学の長瀧重信と山下俊一であり、このふたりが、福島の原発事故の放射能被ばくを放置した。
これらが、現在につながるに日本国内での人脈です。

ですから、政府のいう基準値を信じて、汚染地帯に居住し、汚染された水や食品を摂取し続けていたのでは、この本に書かれているような世界各地の汚染地帯で起きてきたようなことが、目の前で展開されることになります。



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