原発事故の謎が解ける本 ~東京が壊滅する日~
原発関連の本はこれまでに何冊か読んできましたし、ネットで得られる情報などを含め断片的な知識だけはあったのですが、それらがひとつの流れとしてつながるのが、広瀬隆氏の「東京が壊滅する日 フクシマと日本の運命」です。
原発事故後の政府の対応や福島県の対応には、疑問に思うことがたくさんあります。
福島県の多くの子どもたちに甲状腺疾患が生じているのに、政府はなぜ原発事故との関連を否定するのか、放射性物質が拡散する範囲を考えれば、全国の子どもたちも調査すべきであるのに、なぜ調査しないのか、特に福島県では癌以外でも多くの人が亡くなっているのに、なぜ全体的な健康調査をしないのか、除染しても取り除くことが出来ない危険な地域に、なぜ住民を帰還させるのか、汚染された食品を曖昧な基準でなぜ流通させているのか、原発事故が起きたにもかかわらず、その根本的原因や責任の追されないまま、なぜ再稼働に踏み切るのか、事故を起こした当事国が、その欠陥品の原発をなぜ海外に売りつけるのか・・・・・・
など、健康被害から政府の対応に至るまで疑問に思うことは数限りなくありますが、この本を読むと、その謎が解けます。
まさに、目からウロコです。
一言で表現するなら、“原子力の歴史が余すところなく書かれている”といっても過言ではありません。

原子力の淵源ともいうべき、ウラン化合物の発見は、フランス革命が勃発した1789年にまでさかのぼります。
その半世紀後、化合物だった四塩化ウランを還元することで、元素としての金属ウランをつくることに成功します。
もちろん、当時は、発色のきれいなので塗料としてなど、現在の核兵器や原子力とはほど遠い利用のされ方をしていました。
同じ19世紀後半、多くの物体を透過する光(放射線)が発見され、「X線」と名づけられます。そして、小学校の図書館に置いてある伝記にもなっているエジソンやキュリー夫人も、それにかかわることになるのです。
原子爆弾のアイディアが誕生したのは、1938年12月のことです。
ウランに中性子を照射すると、ウラン原子が核分裂することを発見しました。この核分裂の際に、質量の一部がエネルギーに変換され、とてつもなく巨大なエナルギーが放出されます。
これが、原子爆弾という兵器のアイディアになったのです。
折りしも、時代は第二次世界大戦へと突入していきます。
1942年、極秘に原子爆弾を製造する「マンハッタン計画」がスタートします。
1945年、7月16日、人類最初の原爆実験が行われ、成功します。
この実験の3週間後の8月6日には広島にウラン原爆が投下され、その3日後には長崎にプルトニウム原爆が投下されました。
おびただしい数の人命が失われ、今もその後遺症に多くの人々が苦しめられていることは、私たちも知るところです。
一見すると、核兵器開発がここで終わっていまったかに錯覚しそうですが、実は、ここからが本格的に核実験がスタートします。
その土台となったのがイギリスのチャーチル(前)首相の演説で、共産主義国のソ連を(仮想)敵国であると発言したことで、東西冷戦の時代へと移って行きます。
1952年10月、原爆のおよそ1000倍近くの威力のある水爆実験にアメリカが成功します。これを追うように翌年8月、ソ連も水爆実験に成功します。
それから4か月後の1953年12月、アメリカのアイゼンハワー大統領が、国連総会の演説で、「原子力の平和利用」を宣言して、現代につながる「原子力発電の時代」へと舵を切ったのです。
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これは、この本に書かれている科学的側面からざっと眺めた歴史ですが、19世紀のウラン鉱物が採掘されはじめた時代から、X線の実験、原爆実験、広島・長崎への原爆投下、水爆実験、原子力発電に至るまで、それぞれの場所や周辺で数えきれないほどの健康被害が出ていたことは、早くから知られていました。
しかし、それぞれの時代で形を変え、現在の原子力発電に至るまで、原子力産業は、なぜ隆盛を極めてきたのでしょうか。
さらに、東京電力福島第一原発の事故が起きたにもかかわらず、政府は事故の被害を過少に評価して、なぜ原発を再稼働させようとしているのでしょうか。
これらのなぞを解く鍵は、これらの背後に見え隠れする裏の歴史にヒントがあります。
この続きは、次回にします。

世界の流れ、日本の危険な方向性を正しく理解するために、是非、読んでおきたい本です。



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