安倍政治の暴挙こそが 民主国家としての存立危機
鴻池委員長に対する不信任動議が否決された後、再び鴻池委員長が議長席に着席した途端、大勢の議員が委員長を取り囲み、中にはその人だかりにのし上がる者も現れ、怒号が飛び交う中、自民党の佐藤正久議員が、片方の手を委員長席の人だかりに突っ込んだまま、もう一方の手のひらを上に向けたまま大きく上下させ、与党の議員に起立を促す動作をしているうちに可決されてしまったようです。
その騒ぎに初めから起立していた与党や野党の議員も多数いましたし、もちろん委員長から起立している議員の様子など見えるはずもありません。
これで可決されたと言うのなら、日本の議会制民主主義は完全に死んでしまったというほかありません。
与党の議員たちは、議論は尽くされたと口をそろえて言いますが、政府は質問に対する回答をはぐらかし、肝心なことには何一つまともに答えていません。それにもかかわらず、採決の前の質疑もすっとばし、暴力的に採決をしました。
安倍首長がこの騒ぎの最中、早々と席を外したのは、このような野蛮な採決の仕方からの責任逃れだったのでしょうか。
それにしても、その前に行われた、鴻池院長に対する不信任動議に賛成する議員からの演説は、いったい何のために行われたのでしょうか。憲法を守ることの重要性と、安保法案成立による将来の影響、国民と自衛隊員の生命について切々と説いた民主党の大塚耕平議員や社民党の福島瑞穂議員、時間稼ぎを狙ったのか冗長でしたが、今の自民党政治の本質的な問題点を突いた山本太郎議員など、それぞれが素晴らしい演説でした。
しかし、与党の議員に何を言っても無駄でした。結論は始めから決まっており、国会なんて茶番なんだということを痛感しました。
同じような感覚を味わったことが、過去にもありました。
私の国家賠償訴訟の一審判決書(高原章裁判長)を読み終えた瞬間でした。
一審には1年9か月もかかったにもかかわらず、そのほとんどの期間を費やして審理された内容には一切触れられず、書証などの客観的証拠を完全に無視して、一審の最後の証人尋問での、それまで二転三転する主張を繰り返し、捏造した証拠まで提出した労働基準監督署職員の虚偽の証言を証拠として採用して、私の請求を退けたのです。
1年9か月も費やした審理が全くの無駄になり、しかも、証拠として最もふさわしくない証拠が採用されていることに、まったく驚きましたし、著しい憤りを感じました。
それまで私が抱いていた司法に対する信頼を根底から覆す原点ともいえる判決だったのです。それが、今まで当ブログを7年半続いてる原動力となっています。
裁判でも、国会でも、すべては初めに結論ありきで、裁判や国会は茶番でありセレモニーでしかないというのがこの国の現実なんだと、昨日の中継を見て再認識しました。
しかし、ここで落胆していてはいけません。
この政府の暴挙に対する怒りを、この日本に変革をもたらすエネルギーに変換しなければなりません。
山本太郎議員が常々言及している第三次アーミテージ・ナイレポート、安保法案を含む安倍政治は、なぜそれを履行するように進められるのか、その点を追及しなければ本質的な解決にはなりません。
憲法とは強大な国家権力の横暴・暴走から国民を守るために生まれたもので、国家権力を拘束するための命令なのです。それを、主権者国民の大多数が反対しているにもかかわらず、為政者が勝手に憲法の解釈を変更してしまい、国民の生命・自由を危険にさらすことになる戦争のできる国にしてしまおうというのですから、暴挙としか言いようがありません。
国会では「私が総理大臣なんですから」「私が最高責任者ですから」という文言を繰り返し、独裁者ぶりを発揮してきた安倍晋三という一人の政治家によって、曲がりなりにも、これまで民主主義国家として通ってきたこの国の統治の基本秩序が破壊されることになるのですから、この人物こそが、民主国家としての日本の存立を危機に陥れていると言えます。
刑法第77条に次のような条文があります。
(内乱)
刑法 第77条 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
1 首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
まさに、これに該当するように思いますが、いかがでしょうか




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