最高裁の米連邦最高裁長官 招聘は「暗黒裁判」の予兆か
米軍駐留を憲法違反とした一審の伊達判決を覆すために、駐日大使が、伊達判決の翌日、当時の外相と密かに会い、最高裁に跳躍上告を勧めたこと、さらに田中耕太郎最高裁長官と密談し、最高裁の審理見通しなどについて情報交換していたこと、また,米国のジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官によって論拠が考え出された判決であることが明らかになっています。
これらの経緯からしても、今後、安保法案が成立し違憲訴訟が提起された場合に、この裁判に対してもアメリカから何らかの働きかけがあるのではないかということを、当ブログでも指摘してきました。
砂川判決を持ち出すことの愚かさ
それを予感させるような出来事が、最近、ありました。
いつもタイムリーな情報を発信されている「不思議な不正義」の荒野鷹虎さんのブログではすでに言及されていることですが、米連邦最高裁のジョン・ロバーツ長官が10日、最高裁の寺田逸郎長官と意見交換のために来日しました。
連邦最高裁長官の来日は34年ぶりで、日米司法トップの意見交換や大学での講義が目的ということですが、時期が時期だけに、砂川判決に倣って、そのお膳立てにでも訪れたのでしょうか。
http://mainichi.jp/select/news/20150711k0000m040050000c.html
34年ぶりということは、前回、連邦最高裁長官が来日したのは、昭和 56 年(1981 年)になります。
はたして、その当時、日本の司法を巡って何か大きな動きがあったでしょうか。
調べてみたのですが、それほどの重大事件はなさそうです。
それで最高裁のHPを見てみると、面白いことがわかりました。
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http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/270327oshirase.pdf より
アメリカ合衆国連邦最高裁判所長官の招へいについて
最高裁は,平成 27 年(2015 年)7 月,米連邦最高裁ジョン・G・ロバーツ長官を招へいする。米連邦最高裁長官の来日は昭和 56 年(1981 年)9 月のウォーレン・E・バーガー長官以来 34 年ぶりであり,最高裁の招へいとしては昭和 49年(1974 年)1 月のウォーレン・E・バーガー長官以来 41 年ぶりである。ロバーツ長官にとっては,就任後初めてのアジア訪問となる。
ロバーツ長官は,滞在期間中,最高裁を訪問し,寺田逸郎長官や最高裁判事との間で,日米両国における司法を巡る課題等について意見交換するほか,幅広い法律家との意見交換のため,東京大学と京都大学で講演を行う。特に京都大学では,米連邦最高裁の歴史をテーマに,4 日間連続で,若手裁判官や研究者等を相手に英語で議論する。
日米の最高裁は,平成 24 年(2012 年)に竹﨑博允長官(当時)が訪米し,ロバーツ長官と意見交換するなど,最高裁長官・判事レベルの交流を続けてきた。
今回の招へいは,このような交流の延長線上のものである。
今回の招へいにより日米司法交流が進展し,アジア太平洋地域における法の支配の深化に貢献することが期待される。
各大学の問い合わせ先
〈略)
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このHPの文書から、米連邦最高裁と日本の最高裁は常日頃から交流があり、連邦最高裁長官の今回の来日もその延長線上で、法律家や研究者との意見交換が目的のような印象を受けますが、はたして実際はどうなのでしょうか。
マスコミの報道で言われている「34年ぶり」の基準となる昭和 56 年(1981 年)は、米連邦最高裁長官の「来日」という表現になっていて、前述のように、その前後には司法を巡る大きな動きがなかったようです。
一方、「41年ぶり」の基準になる昭和 49年(1974 年)は、今回と同様、「最高裁の招へい(=礼を尽くして人を招くこと。)」という表現になっており、それだけ今回と41年前は、何か重要な動きがある(あった)のではないかと考えるのが当然です。
もしかしたらと思い、過去の次の記事を読んでみました。
田中角栄氏の「暗黒裁判」

「暗黒裁判」と言われる一つ目の理由が 『嘱託尋問』
暗黒裁判」と言われる二つ目の理由が 「反対尋問(審問)の機会」なきままの有罪判決
※ 詳しくは、田中角栄氏の「暗黒裁判」をご覧ください。

とにかく、しっかりと司法と政府を監視し続けることが、国民の責務でもあります。



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