ニッポンの裁判に共通する結論づけの手法
最高裁判所の中枢に在籍していた元裁判官によって、この国の裁判の実態が語られた意義は重大です。
そして、先月、その瀬木氏の第2弾となる「ニッポンの裁判」が出版されました。
「絶望の裁判所」が、主に、裁判所の組織や制度的な問題点について述べているとすれば、 今回の「ニッポンの裁判」は、個別の事件を例に、結論付けの手法について分析し、その問題点を指摘しているといえます。
また、当ブログが、主に私の国家賠償訴訟での証拠や事実を無視したデタラメな結論づけの手法を公開しているのに対し、「ニッポンの裁判」は、私の裁判で行われたようなことが他の裁判でも日常的に行われており、その普遍性を証言しているとも言えます。
裁判所の悪辣さを知り尽くしている私としては、前作に以上に歯に衣着せぬ瀬木氏の裁判批判が、実に小気味よく感じられました。もちろん、「日本は法治国家である」などと信じているような人にとっては、かなり衝撃的な内容であるには違いありませんが、不正裁判の実態を自身の裁判で思い知らされ、全国の被害者の方から不正裁判の実態を伺っている私にとっては、最高裁判所を頂点とするこの組織・この制度にして、この結論づけの手法は十分にあり得えると、予想通りの内容として受け留めています。
「ニッポンの裁判」の内容については共感する箇所がたくさんあり過ぎて、どれからお伝えしてよいやら、目移りしてしまいそうな衝動に駆られますが、今回は、私の裁判と共通する結論付けの手法についてお伝えします。
最高裁判決に特徴的な結論づけの手法で、「あざむきのレトリック・からくり」として「韜晦(とうかい)型(ごまかし型)」と「切り捨て御免型」の二つがあるというのです。
「韜晦型」は、脆弱かつ問題の大きい論理の欠陥をおおい隠すために、くだくだと細かいことを長ったらしく書いているタイプで、「切り捨て御免型」というのは、都合の悪いことには一切触れないか、あるいは、都合の悪い部分を省略するというのがこのタイプだということです。
「なるほど~!!」、私の判決、特に二審判決(大橋弘裁判長、鈴木桂子裁判官、岡田伸太裁判官)が、まさに、これらに該当します。
私の主張に含まれていた行政関与の部分を完全に削除して、それを判決理由として、結論付けている部分(刑事告訴の対象箇所)は、前者に該当します。
長ったらしく文章を書いたあげくに、「しかしながら、(個人的な問題であって、行政は関係ない)」というような結論づけの仕方をしているのですが、『しかしながら』と書かれているのだから、『しかしながら』の前には、当然、行政関与の記述があるかのように錯覚させられるのですが、実際にはまったく書かれていないのです。
サッと読み流したときには、『しかしながら』に惑わされて気がつきにくいのですが、精読してみると、『しかしながら』の前後がかみ合っておらず、論理性が欠落した表現になっているのです。
仙台高等裁判所の虚偽の文書作成の手口 ~その1~
仙台高等裁判所の虚偽の文書作成の手口 ~その2~
さらに私のケースとまったく同じと失笑してしまったのが、ロジック、レトリックのお粗末きわまりない例で、真実を述べたのでは説得力のある結論を導きだせないために、支離滅裂なレトリックを持ち出しているという例です。
「判例時報」からの引用で述べているこの部分、まさに私のケースと極めて類似しています。

どっちつかずの、意味不明な結論づけです。
私のケースでは、労基署への相談の際に、詳しい情報を伝えることを躊躇していた私から、会社名,部署、役職等、個人を特定できるほどの夫についての情報を積極的に聞き出しておきながら、当初の確認とはまったく違う方法で対応し、結果として損害を与えたのは労基署であるにもかかわらず、そのことにはまったく触れず、実際に損害を受けたのは夫であるのだから、控訴人(私)には関係ないという結論付けをしているのです。
しかも、夫の損害賠償請求をするにあたっては、一審から上告に至るまで、原告適格について、任意的訴訟担当という法理論を持ち出してかなりのスペースを割いて論証したにもかかわらず、ごく短く簡素化されて要約され、原告適格の当否については判断されませんでした。さらに、信義則の判例を示して、本件の場合にも適用されるべきであるということを主張したのですが、信義則の主張をしていることすら、一切、判決書に盛り込まれませんでした。
事件の経緯と裁判の最大の疑問点 ~記載されなかった信義則の主張~
まさに、これは後者の 「切り捨て御免型」にカテゴライズされます。
素人の私が、自分の主張を正当化するために、出来る限りの法理論を駆使して論証しているというのに、プロである裁判官らは、厄介な法理論には一切触れずに、都合が悪いことは冗長な文章でごまかし、非論理的な支離滅裂な理由で結論付けているのです。
こんなことでは裁判をする価値など、まったくありません。

「おバカでも務まる裁判官」ていう表現がぴったりです。
もちろん、すべてがそういう裁判官ばかりではないことも確かです。
素人に配慮してくれた良心的な裁判官だっています! (一審・1)

イスラム国に拉致された後藤氏・湯川氏の惨殺劇の真相については、こちらのブログをご覧ください。
新ベンチャー革命2015年2月1日 No.1053
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