「売国官僚」によって歪められてきた日本の司法
その書面の流れを規定しているのが、民事訴訟法・民事訴訟規則です。そして、この法律を作成したのは、まぎれもなく最高裁判所事務総局でしょう。
民訴訴訟法・民事訴訟規則については、確認が取れていませんが、敗戦後の新しい刑事訴訟法・刑事訴訟規則が、最高裁事務局刑事部長らによって立案されたことが、「最高裁物語(下)(山本祐司著)」に記されていますので、民事訴訟法・民事訴訟規則も最高裁事務局で立案されたものと思われます。
ついでに、この本について付け加えておくと、「最高裁物語(上・下)」というタイトルからフィクションかと思われるかもしれませんが、中身は、終戦前後から近代に至る実在の事件・人物を基に書かれた最高裁を巡るドキュメンタリーです。詳しくは、下記の解説をご覧ください。
とにかく、憲法をはじめとするメジャーな法律では民主国家・法治国家らしい規程になっているのですが、民事訴訟規則・事件事務規程(法務省訓令)などのマイナーな法律に不正をしやすい仕組みが盛り込まれているというのが、この国の法律の特徴です。
ですから、表の法律ともいえるメジャーな法律で、裁判所や検察の事件処理を追及していくと、裏の法律ともいえる不正処理が可能な規定に従って事件処理をしている彼らとの間に、上手くかみ合わない部分が歪みとなって生じ、それらが法律の矛盾だったり、あるいは、明らかな違法行為が手続き上は合法にできてしまったりという不可解な現象となって現れてきます。
これまでも追及してきた、不起訴裁定の要件を満たしていない不起訴処分、不起訴処分の理由を説明していない「不起訴処分理由告知書」、最高裁判例に違反する上告(不受理)費用・・・・、不可解な現象を表の法律の基づいて追及されればされるほど、彼らは何も説明できなくなってしまうのです。
要するに、法律の二重基準(ダブルスタンダード)が存在しているということになるのですが、そのような状況が生じた背景、それらの位置づけについて、実に的確に書かれている本に出会いましたので、ご紹介します。
『日本はなぜ、「「基地」と「原発」を止められないのか(矢部宏治 著)』という本なのですが、法律の二重基準について書かれている部分を、かいつまんでお伝えします。

『戦後日本』という国は、占領終結後も国内に無制限で外国車(米軍)の駐留を認め、軍事・外交面での主権をほぼ放棄することになった。
「自国内の外国車に、ほとんど無制限に近い行動の自由を許すこと」と、「民主的な法治国家であること」は絶対に両立しない。その大きな矛盾を隠すために、「戦後日本」という国は、国家のもっとも重要なセクションに分厚い裏マニュアルを必要とするようになった。
それが、次の3つです。
① 最高裁の「部外秘資料」(1952年9月:正式名称は「日米行政協定に伴う民事及び刑事特別法関係資料」最高裁判所事務総局?/編集・発行)
② 検察の「実務資料」(1972年3月:正式名称は「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料」法務省刑事局/編集・発行)
③ 外務省の「日米地位協定の考え方」(1973年4月:正式名称同じ。外務省条約局/作成)
これらはいずれも、独立した法治国家であるはずの日本の国内で、米軍および米兵に事実上の「治外法権」をあたえるためにつくられた裏マニュアルだ。
米兵が、基地の中で、日本人主婦を遊び半分に射殺した「ジラート事件」の犯人は、米軍と日本官僚、検察、裁判所の連係プレイで事実上の無罪となった。一審の米軍基地の違憲判決をくつがえそうと、東京高裁を飛び越して最高裁へ上告し、逆転判決となった砂川裁判では、駐日アメリカ大使、外務省、日本政府、法務省、最高裁というウラ側のチャンネルで、アメリカ側の「要望」が最高裁に伝えられた。
先の3つの裏マニュアルは、、こうしたウラ側での権力行使(=方針決定)を、オモテ側の日本国憲法・法体系の中にどうやって位置づけるか、また位置づけたふりをするかという目的のためにつくられたものだ。
この米軍基地問題に関してくり返されるようになった「ウラ側での権力行使」には、さらに大きな副作用があった。
つまり、こうした形で司法への違法な介入がくり返された結果、国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまった。
歴代の検事総長を含む、日本のキャリア官僚の中でも正真正銘のトップクラスの人たちが、この日米合同委員会という「米軍・官僚共同体」のメンバーとなることで、ウラ側の法体系と一体化してしまった。その結果、日本の高級官僚たちの国内法軽視は、ついに行きつくところまで行きついてしまった。
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法律を無視して、権力側に都合がいいように事件を恣意的に処理している現在の検察・裁判所の体質が、どのように形づくられてきたのかが理解できます。さらに、無実の政治家が陥れられた超法規的な謀略事件の数々が、実にすんなりと納得できてしまいます。
尚、砂川裁判の最高裁逆転判決については、連係プレーだけがすべてではないようで、それについては、別の機会にお伝えします。
2冊の本をご紹介しましたが、どちらも素晴らしい本です。
『日本はなぜ、「「基地」と「原発」を止められないのか(矢部宏治 著)』という本は、日本人なら必読の書です。
もうひとつの「最高裁物語(下)(山本祐司著)」は中古本しか出回っていませんが、大日本帝国憲法のもとの大審院の判決では、「司法権の独立」を守る「勇気」と「英知」がありましたし、最高裁の発足当初は、地裁・、最高裁の垣根を越えてリベラルで闊達な議論が交わされていた裁判所が、どの辺りから変質し始め、現在に至ったのか、その“歴史”を知ることができます。


内容(「BOOK」データベースより)
昭和・激動の時代の大疑獄事件、「司法の独立」をめぐる男たちの熱き闘い、新憲法制定の知られざる人間模様、命をかけ正義を貫いた裁判官餓死事件、猥褻裁判、そして日本中を震撼させたあの事件。再起不能といわれた著者が“奇跡の生還”を遂げ、脳出血の後遺症と闘い執筆、8年の歳月をかけた入魂の名著。司法記者が書かれざる最高裁の内幕と驚愕の真実を鋭くえぐる!1995年度・日本記者クラブ賞受賞作品。



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