まったく無意味な原子力規制委員会の審査合格
規制委の田中俊一委員長は、「基準の適合性を審査した。安全だということは申し上げない。」と述べ、審査は必ずしも原発の安全性を担保したものではないという認識を示しました。
毎日新聞 2014年07月16日 20時18分(最終更新 07月16日 21時13分)より
規制委は「基準に適合しているかどうかを審査するだけで、稼働させるかどうかには関与しない」との姿勢を崩さず、政府も「稼働させる政治判断はしない」との立場だ。実質的に再稼働の判断は電力会社と立地自治体に委ねられ、国策でもある原発が、国の責任があいまいなまま稼働する可能性もある。
なんとも無責任な構図なのでしょうか。
サンデー毎日6,22号「原子力規制委『不穏な人事』 原子力村の最終兵器!新委員 田中知氏の役割」によれば、遅々として進まぬ再稼働審査に業を煮やしたかのように、安倍官邸が、5月27日、「原子力村」のエースとして名高い田中知氏を原子力規制委員会の新委員候補として発表したというのです。
これまで厳しい審査をしてきた地震・活断層担当の島崎邦彦・委員長代理と、それを追認してきた前述の田中委員長を抑える〝重し〟として田中知氏が期待された面があるようだと記されてます。
さらには、規制委の改革を狙う「自民党原子力規制に関するプロジェクトチーム(PT)」座長の塩崎恭久・元官房長官が委員会に乗り込み、島崎氏と田中委員長を名指しで批判する「緊急提言」をしたというから驚きです。
再稼働に向けた動きが、官邸の主導で行われているにもかかわらず、その責任については、政府も国もとらないといういい加減さなのです。
話を戻しますが、合格した審査書案については、福島第1原発で起きた全電源喪失、炉心溶融、水素爆発などの事故のほか、航空機の衝突やテロ対策についても、対応の手順を整備したということですが、はたして、手順通りにいくかは、極めて疑わしいです。
といいますのも、朝日新聞がスクープした「吉田調書」の内容が大きくかかわってくるからです。
スクープの内容は、事故直後に、所員の9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令を無視して、10km南の福島第二原発に退避してしまったということが記載されています。その中には、部課長級の幹部社員の一部も入っていたということです。
所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性があると書かれています。
以上、http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-1m.html より
もっとも、このスクープには疑義が相次いでいるようで、「所員は命令に違反して退避したのではなく、命令に従って退避した」というのが疑義に共通している点なのですが(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39685)、いずれにしても、この中で政府事故調の最終報告の欠点として、本質的な問題を指摘していますので、ご紹介します。
「『吉田調書』福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの」 より
過ちは生かされたか
政府事故調の最終報告の欠点は、原発の暴走を止めるのは人であり、原発被害から住民を救うのも人であるのに、当時のそれぞれの組織の長、首相、経済産業大臣、原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電社長、そして福島第一原発の所長の行動・判断を一つひとつ検証しなかったことだ。772人もの関係者から聴き取りをおこなったのに、「個人の責任を追及しない」との方針を掲げたため、事故の本質に深く切りこめなかった。政府や電力会社がいま、再稼働に向け、防潮堤のかさ上げやフィルターベントの取り付けなど設備の増強に走るのは、政府事故調が分析・検証を現象面にとどめたからと言っても過言でない。
未曽有の原子力事故に立ち向かった人間の声は、歴史に刻まなければならない。歴史は人類共通の財産である。第1回の聴取の際、政府事故調は「お話しいただいた言葉がほぼそのままの形で公にされる可能性があるということをお含みいただいて、それでこのヒアリングに応じていただきたいと思います」と説明した。吉田氏は「結構でございます」と即答したことをここに記す。(宮崎知己)

そのことは、事故後のみならず、再稼働に向けた安全審査をする段階においても重視されなければならず、審査にかかわる委員が、どのような立場の人物かを考慮したうえで、審査の適正さを検証する必要がありそうです。
そのような点が欠落している今回の審査合格は、まったく無意味なものではないでしょうか。



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