近代国家としての道を踏み外した日本!!
武力行使は、密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、日本国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に限定するなどと主張していますが、前にお伝えしたとおり、これらに該当するケースは、個別的自衛権の範囲で十分に対応できます。
憲法9条の理念をないがしろにして、なぜ、集団的自衛権を持ち出さなければならないのか、その点が、安倍首相の説明には、まったくありません。
そもそも、憲法とは、強大な国家権力の横暴・暴走から、国民を守るために生まれたもので、国家権力を拘束するための命令なのです。それを、国民の理解も得られないまま、政府による解釈変更だけで実質的な中身を変えてしまおうというのですから、安倍政権の暴挙としか言いようがありません。
安全保障政策の大転換、防衛政策の転換などと言われていますが、それどころか、戦後、曲がりなりにも立憲主義に基づく近代国家として歩んできた日本が、この日を境に前近代的国家へと逆戻りをはじめたということになるのです。
「曲りなり」と申し上げたのには、理由があります。
当ブログのテーマと密接なかかわりがある国家賠償を請求する権利は、憲法第17条で保障されています。ところが、この規定がまったく機能していないどころか、最高裁判所自らの不正によって、憲法第17条の権利が完全に踏みにじられているのです。
憲法の番人の不正行為によって、憲法違反が行われているという状況なのです。
この国の憲法は、ほんとに、枯れ葉のように軽~いものなのだということを実感します。

ほかにも、国家権力によって憲法が踏みにじられている例を挙げればキリがないのですが、ほとんどが国内問題についていですので、対外的には、見せ掛けの立憲主義・法治主義をどうにか取り繕ってきたところはあるのですが、憲法9条の解釈変更は対外的な問題になりますので、この閣議決定をもって、うわべだけの立憲主義・法治国家であることを、国内外に表明したことになります。
最も、法治国家かどうかの疑念は、すでに3年前の東日本大震災による原発事故のときから始まっていると言えます。あれだけ重大な事故を起こしておきながら、未だに、だれひとりとして刑事責任を問われていないのですから。
今回の閣議決定による憲法解釈の変更で、近代国家としての国際的な信用は完全に失われることになるでしょう。
今後、集団的自衛権行使のために、裏付けとなる法整備が行われるということですが、ここでも、また、姑息な手段がとられることが想定されます。
とにかく、平和憲法を謳っている9条の条文はそのままに、細かい法律で武力の行使を認めることになるわけですから、そこには必ず矛盾が生じるはずです。集団的自衛権の行使のための手続きを定め、それに沿って行えば、一見、合法的に見えるのですが、その中身である関連法規を突き詰めていけば、整合性が取れない事態に遭遇するはずです。
ちょうど、当ブログでお伝えしてきた不起訴処分理由告知に関する、刑事訴訟法と事件事務規程(法務省訓令)の関係のようなものです。
法務省刑事局の事件事務規程(法務省訓令)の矛盾を証明します!

それより、「せっかく特定秘密保護法を成立させたのだから、特定秘密に指定してしまった方が手っ取り早い」なんて政府は考えているのかもしれません。



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