『まやかしの国家賠償制度』を証言してくれた救世主 瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」
それが、元裁判官の瀬木比呂志氏です。
国家賠償訴訟の体験から得られた事実はともかくとしても、裁判所内部のことについては推測の域を出ないところがありましたが、その推測の部分が、最高裁事務総局民事局付・最高裁調査官を歴任したエリート裁判官によって語られたことは、私の推測の正当性が証明されたことになります。
しかも、一般論として語られたことは、私の裁判だけではなく、他の大半の裁判にも当てはまることなのです。
瀬木比呂志氏が、「絶望の裁判所 (講談社現代新書) 」を上梓するにあたり、2月27日、外国特派員協会で記者会見したときの模様を、まずはご覧ください。
この動画の前半部分の反訳については、こちらのサイトで公開されています。
動画をご覧になる時間がない方は、そちらをご覧ください。
http://www.bengo4.com/topics/1243/
上記の2つ動画の中から、当ブログで訴えてきた不正裁判の実態、まやかしの国家賠償制度の実態と重なる部分・関連する部分についてのみピックアップしてみました。
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日本の裁判所は、大局的に見れば国民・市民支配のための道具・装置であり、装置としてみればよくできています。
裁判官たちは、最高裁や事務総局の気に入らない判決を書かないようにということから、ヒラメのようにそちらの方向ばかりをうかがいながら裁判をするようになり、結論の適正さや当事者の権利は二の次になりがちです。
国が被告になっている、あるいは行政が被告になっているような困難な判断につき、棄却・却下の方向をとりやすい。また、困難な判断を避け、当事者に和解を強要する傾向が強いといえます。
最高裁の判例の一般的な傾向については、このように言えると思います。
すなわち、統治と支配の根幹はアンタッチャブルであり、しかしながら、それ以外の事柄については、可能な範囲で一般受けの方向を狙うということです。
日本の社会はそれなりに充実した民主社会ですが、その構成員にとって、あるいは日本に住む外国人にとって、息苦しい部分があると思います。
その原因の一つは、おそらく社会の二重構造、二重規範にあるのではないかと思います。つまり、法などの明確な規範の内側に、それぞれの部分社会特有の『見えない規範』があるのです。人々は、どちらかといえば、その『見えない規範』によって縛られています。
日本の裁判所・裁判官制度が根本的に改革されなければ、日本の裁判は、本当の意味において良くはならないでしょう。また、現在の裁判所はもはや自浄能力を欠いており、法曹一元制度の採用による根本的な改革が必要だと考えます。
日本の社会全般について、みなさんも感じていらっしゃることではないかと思いますが、一種の形式主義というものがあり、裁判所もまた、この形式主義にとらわれている部分があります。
つまり、表に出る部分はきれいに取り繕うのですが、裏側では非常に不透明であるというダブルスタンダード・二重性の問題が日本の社会の大きな問題であり、司法においてそれが非常に顕著に現れています。
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ここにきて、やっと元裁判官の瀬木比呂志氏の著書・会見が、その答えを示してくださいました。
国家賠償訴訟の経験から得られた事実、調べてわかったことなどから、「国家賠償詐欺」を確信するに至りましたが、そのことを、瀬木比呂志氏がまさに証言してくれたと言えます。



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