国家賠償訴訟

国家賠償訴訟の形骸化の事実を証明します!

前回に引き続き、なぜ最高裁判所は違法な手法によって結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまったのか、その原因として考えられるふたつ目の可能性について考えてみたいと思います。

ふたつ目の可能性というのは、次のことです。

最高裁が、仙台高裁判決の違法性を認識していたが、最高裁もまた行政寄りの偏った判断を支持し、仙台高裁判決の見直しをしなかった。

(1) 国家賠償訴訟の形骸化の証明
裁判の進行の方向性からいえば、違法な手法で結論付けられた仙台高裁判決に、最高裁が追従したという形になりますが、最高裁が国(行政)寄りの判決を下すようなヒラメ裁判官を養成してきたという歴史的背景から考えれば、仙台高裁の裁判官が、最高裁の意向を察し、それに従ったと解釈するのが自然な流れだと思います。

私のブログを読んでいただいてる方の中には、“ヒラメ裁判官”って、いったい、どんな裁判官のことだろうって疑問に思っている方もいらっしゃると思います。
その意味を知らないと、これから私が申し上げることを理解していただけませんので、ここで、ちょっと説明をつけ加えておきたいと思います。


ウィキペディアの「裁判官」の一節には、

『日本の裁判官の人事は最高裁判所によって行われ、その評価は裁判所内で完結している。ユーザーの企業に対する評価のようなチェック機能が働いておらず、出世したいがために国や権力者に都合のよい判決ばかり出している裁判官が目立つという批判がある。そのような上ばかり見ている裁判官は「ヒラメ」のようだと「ヒラメ裁判官」と揶揄されることがある。また、裁判官は独立して判決を下すことが法に定められているものの、最高裁の意向に逆らう判決を下すと、差別的処遇を受けることなどが指摘されている。検察庁と裁判所の癒着を指摘する意見もある。』

と記述されています。

町田前最高裁判所長官が、2004年の新任裁判官の辞令交付式で、“ヒラメ裁判官を歓迎しない”と訓示したことは(朝日新聞に掲載)、有名なエピソードのようで、それほどヒラメ裁判官の存在は、社会的に認められていることだと思うのです。
ということは、最高裁判所を頂点とする裁判所の上層部は、国(行政)に有利な判決になるように、下級裁判所が裁判を導くことを期待しており、形式的に裁判を行っているだけなんじゃないかということは、明らかな事実として認識されます。
つまり、はじめから結論が決められているような国家賠償訴訟自体が形骸化していると考えるべきではないでしょうか?
すなわち、“ヒラメ裁判官”の語源を踏まえれば、ヒラメ裁判官の存在は、国家賠償訴訟の形骸化を証明していることになるのです。


何か、数学の証明問題みたいになってしまいましたが・・・・
余談ですが、裁判の立証と数学の証明問題、筋道を立てて結論付けるという意味では、この両者には極めて共通性があります。
このことについては、そのうち詳しくお話したいと思います。



(2) 最高裁判所の憲法違反
ブログの冒頭で述べた最高裁が違法な手法のよって結論付けられた仙台高裁判決を確定させたふたつ目の原因として考えられることは、最高裁が、仙台高裁判決の違法性を認識していたということが前提になるわけですが、その判決を確定させたということは、つまり、最高裁が、仙台高裁の裁判官の違法行為を黙認したということになります。
それと同時に、最も法律に厳格であるべき最高裁が、なぜ仙台高裁の裁判官の違法行為を見逃してしまったのかという疑問が生じます。
ということは、最高裁自らが、憲法14条の法の下の平等を犯していることになりませんか?



上記の(1)(2)のことからも、違法な手法によって結論付けられた仙台高裁判決を確定させてしまった原因として考えられるふたつ目の可能性についても、最高裁が責任を取るべき問題と考えられるのです。

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7コメント

さばかん

証明というからには、論理的でなければなりません。
結論がはじめから決まっているという事実は、認容された国家賠償訴訟の存在によって、容易に反証できてしまいます。
他の記事が、法学部以外出身の方からの切り口で、理知的に論じられているのに、この記事によってずいぶんと説得力が落ちているように思われます。
残念です。

Edit

よく理解できないところがあるのですが・・・・

「結論がはじめから決まっているという事実は、容認された国家賠償訴訟の存在によって、容易に反証できてしまいます。」
コメントのこの部分の解釈なのですが・・・・
国家賠償訴訟という制度が存在しているので、結論がはじめから決まっているはずがないということなのでしょうか?
言い換えれば、結論がはじめから決まっているのならば、国家賠償訴訟が存在するはずがないということなのでしょうか?

国家賠償訴訟の“形骸化”についてのことですので???

Edit
さばかん

わかりにくいコメントで申し訳ありませんでした。
私が言いたかったのは、認容された(勝訴した)国家賠償訴訟が何件もあるので、結論が決まっているとはいえないということです。
きちんと調べてはいませんが、本人訴訟であっても勝訴しているものはあると思います。

よく考えれば「認容」といったら原告勝訴というのは法律用語でしたね。
う~ん一般的な言葉で法律を説明できるようになろうと勉強しているのに・・・つい初心を忘れてしまいます。もうしわけありません。

Edit

そういうことでしたか。

私も裁判をしているとき、“この言葉の使われ方、一般的な使い方と違うんじゃない”というのに、何度も遭遇しました。
裁判のときに出てきた言葉については理解しているつもりでしたが、それ以外のことまでは把握していませんので・・・・・

ただ、「容認」をそのように解釈したとしても、私の言っていることと、ちょっと見識のずれを感じるのですが・・・・

「“ヒラメ裁判官”の語源を踏まえれば、ヒラメ裁判官の存在は、国家賠償訴訟の形骸化を証明していることになる。」
この部分を、理解していただくためには、「“ヒラメ裁判官”の語源を踏まえれば」というところがポイントになるのですが・・・・

ヒラメ裁判官とは、最高裁の意向をくみ、それに沿うような判決(国や権力者に都合のよい判決)を出すことから名づけられているので、ということは、最高裁は、国や権力者に都合のよい判決を出すことを暗黙のうちに指示していることになるわけで・・・・・
つまり、国家賠償訴訟が形骸化していることになるのです。

このブログを読んでいただいた方からは、けっこう拍手をいただいておりましたので、理解していただいているものと認識しておりましたが、ちょっと、わかりにくかったでしょうかね?
失礼いたしました。

Edit
さばかん

議論みたいになってしまって申し訳ないです・・・。

>ウィキペディアの「裁判官」の一節には、 ~
出世を求めて裁判官を目指す方は少なく(給料が欲しかったら弁護士か検察官ですから)、また上に逆らっても少なくともクビにはなりませんし、給料も下がりません。
憲法で身分保障がされているからです。なぜ身分保障がされているかといえば、上からの圧力にまけないようにするためです。

>町田前最高裁判所長官が、2004年の新任裁判官の辞令交付式で、“ヒラメ裁判官を歓迎しない”と訓示したことは(朝日新聞に掲載)、有名なエピソードのようで、それほどヒラメ裁判官の存在は、社会的に認められていることだと思うのです。

後ろからいうと、最高裁判事が訓示で語れば社会的に認められているといえるのでしょうか。なんの留保もなく言っているのだから有名な事実だということでしょうか。
しかし検察官が残業代0で1日20時間とか働いていることなど、法曹を目指す者には常識です。
ひらめについては私は聞いたことはありませんでしたが、法曹を揶揄する言葉として有名なのかもしれません。
「上にたてついてでも、信念をつらぬけ」とか、「お客様第1主義で」というのは、普通の会社でも言うことなのではないですか?

>ということは、最高裁判所を頂点とする裁判所の上層部は、国(行政)に有利な判決になるように、下級裁判所が裁判を導くことを期待しており、形式的に裁判を行っているだけなんじゃないかということは、明らかな事実として認識されます。

私がおかしいとご指摘させていただいたのは、主にこの部分なのですが、司法と行政は分割されていますから、司法府のトップの最高裁をはじめとするヒエラルキーがあったと仮定して(その仮定が真実かどうかは、分かりませんが)、最高裁の意に沿う判決をだそうとするという所までしか証明できません。
最高裁が、行政の意に沿う判決をもとめるはずだ、という部分については、この記事ではどこでも立論されていないのです。

最高裁判事には、裁判官出身や行政出身の方以外の方もおられます。最高裁=行政の味方、というのは、当然に認められる論拠とはならないと思うのです。


それから、国家賠償訴訟は、民事訴訟です。
ですから、当事者主義のもと、事実認定に必要な証拠をすべて自分でださなければなりません。
権利や義務があるかどうかを、神様ではない裁判官が判断しなければならないので、常に「本当にこの当事者に権利があるのか」「本当にこの当事者に義務はあるのか」ということを考えなくてはなりません。
一応にほんの制度では、どちらの当事者も証拠をだしあって、権利があるかどうかよく分からなかったら、権利の実現に裁判所は手を貸さない(原告敗訴)ということになっています。
これは、権利がありそうなひとの権利実現をさせることを主眼におくよりも、義務のない人に義務をおしつけることを避けようという思想からきています。

そして、行政が訴えられた場合、かなり優秀な法曹が訟務検事として訴訟をします。
本人訴訟が不利なのは、どちらかというと、優秀な法曹を相手にしなければならないという点にあるのであって、裁判所の人事制度とはほとんど因果関係がないのではないかというのが、私の私見です。

Edit

お気持ちは とてもよくわかります。

多少、議論がすり替わっているような気もしないでもありませんが・・・・
「最高裁判事が訓示で語れば社会的に認められているといえるのでしょうか。」
コメントのこの部分ですが、厳密にいえばそうとも言い切れず、確かにごもっともなご意見だと思います。
だた、そのへんのおじさんなどが言ったことではなく、当時の司法のトップがおっしゃったこととして、私は重く受け止めております。

それから、おかしいとご指摘されている「最高裁が、行政の意に沿う判決をもとめるはずだ、という部分については、この記事ではどこでも立論されていないのです。」の部分についてお答えします。
とても単純な答えで申し訳ありませんが・・・
それは、上のウィキペディアの「裁判官」の抜粋の中にありますように、
「出世したいがために国や権力者に都合のよい判決ばかり出している裁判官が目立つという批判がある。そのような上ばかり見ている裁判官は「ヒラメ」のようだと「ヒラメ裁判官」と揶揄されることがある」
ここでいう裁判における国というのは、ほとんど行政のことでありますので・・・・・(参考文献よりということになると思います・・・・)
ですから、私の“証明”の部分で、「ヒラメ裁判官の存在は」という条件をつけさせていただいたわけです。

さばかんさんは、法曹を目指していらっしゃるということで、司法に対して、きっと大きな夢と希望をお持ちのことと思います。
コメントからそんな印象を受けます。
ですから、私のブログのような司法批判は、聞くに耐えないこと、決して受け入れたくないことなのかもしれません。
そのお気持ち、とてもよくわかります。

そういう私も、当初は、純粋に司法を信頼し、司法こそが正しい判断をしてくれると期待を持っていたからこそ国家賠償訴訟を提起したわけですが・・・・
しかし、現実は・・・・
敗訴したからという単純な理由ではなく、その判決が出される過程と判決の中身に完全に失望しました。

一国民として、こんなおかしなことがまかり通るような司法であってはいけない、悪い制度や体質は改善されるべきだと思うからこそ、多くの人々に、この現実を知っていただきたいと思いブログで体験をお話しているわけです。

司法制度改革が叫ばれ、来年5月からは、裁判員制度もはじまります。
それは、現在の司法に、何かしらの問題があるからこそ、改革する必要があるのです。
歴史や伝統を大切にすることも必要ではありますが、よくない制度や体質を絶ち、国民の権利や自由が保護されるような国民のための司法であることを望んでいます。

さばかんさんも がんばってください。 

Edit
ろーずまりー

拍手コメントさん

コメントありがとうございます。
非公開コメントでしたので、詳細な返信は控えます。
がんばってください。

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