一種の漁夫の利をもくろむ裁判官 ~日本の司法の滑稽な構図~
私は、不起訴処分の理由を聞くために、仙台地検に出向いたわけですが、検事との話を通して、不起訴処分の理由 「嫌疑なし」 の根拠については、全くうかがい知ることはできませんでした。
そして、今回の検察の処分には、いくつかの疑問を感じます。
虚偽有印公文書作成に該当するかどうかは、告訴状とともに提出した証拠の控訴理由書と二審判決書をつき合わせて見れば一目瞭然のことで、検察が、当初の判断で、犯罪の嫌疑があったからこそ立件したと思うのですが、告訴から半年もたって、なぜ嫌疑がなくなってしまったのかが、極めて疑問です。
はっきりした証拠があるので、「嫌疑不十分」とできない事情もあるでしょうが・・・・
また、私が、裁判のおかしなところ、判決で疑問に思うところを、検事にぶつけてみたのですが、検事は沈黙を保つのみで、何の返答や説明もありませんでした。
そして、私の言い分に対しても、否定したり、異議を唱えることも、ほとんどありませんでした。
どうやら、検事も、国家賠償訴訟が公正じゃないこと、仙台高裁判決がおかしいということは、十分承知している様子でした。
だからこそ、検事も何度も判決書を読み、起訴すべきかどうか悩んだんじゃないでしょうか?
それにしても、仙台高裁が、なぜ、私の主張をねじ曲げ、違法性が問われるようなことをしなければならなかったのでしょうか?
それは、労働基準監督署がかかわった当初の事件で、労働基準監督署の担当職員が、夫や私に対しても嘘の説明をし、また、行政内部でも、嘘の報告をしていたことが、裁判で行政が提出した証拠書類などから明らかになり、私の主張、反論により、行政の主張が二転三転し、行政を勝訴させる材料がほとんどなかったことが、背景にあるのです。
それで、判決理由に困った仙台高裁が、素人の本人訴訟であることをよいことに、ヒラメ性を発揮し、違法行為に及んだのではないかと、私は分析しています。
仙台高裁判決には、告訴している部分以外にも、おかしなところがけっこうあるんです。
“素人だと思って、いいかげんな判決を書いたんじゃないの!”っていうのが、私の率直な感想です。
それでも、本来なら、上告不受理により、相手方に送達されることもなく、闇に葬られる運命の上告受理申立理由書や、正しい判断であったのか検証されることのない二審判決書が、私のブログで公開されたり、刑事告訴により、検察関係者に読まれたりと、白日の下にさらされたということだけでも、大きな意義があったのではないかと思っています。
仙台高裁が、このようになることを事前にわかっていたなら、きっと、違う書き方をしたでしょうね。
それにしても、なぜ、検察は、不起訴処分にする前に、私の話を聞かず、不起訴処分の後に、私を呼び出し、直接説明したかったのかってことが、問題になるのですが・・・・
実際に、検事から、具体的な説明など、ほとんどありませんでしたし・・・
私の推測ではありますが・・・・
はじめから起訴するつもりがなかったので、私の話を聞く必要もないと判断したんじゃないでしょか。
そして、私の、不起訴処分の理由についての問い合わせに対し、説明に困った検事が、まさか、私が仙台まで来ることはないだろうと思い、緊急避難的に、「直接会って、説明したい。」と言ったのではないかと思いますが・・・
それにしても、本来、最も非難され、罰を受けるべき立場の労働基準監督署の職員が守られ、一種の漁夫の利ともいうべき恩恵をもくろんだ、当初の事件とは直接関係のない裁判官が、刑事告訴される羽目になろうとは、なんとも滑稽な構図ですよね。


でも、これが、日本の司法の現状なのです。
私は、そのうち、といいますか、近い将来、日本の司法は、世界中から笑いものにされるんじゃないかって、本気で心配しているのですが・・・・・
そして、今回の検察の処分には、いくつかの疑問を感じます。
虚偽有印公文書作成に該当するかどうかは、告訴状とともに提出した証拠の控訴理由書と二審判決書をつき合わせて見れば一目瞭然のことで、検察が、当初の判断で、犯罪の嫌疑があったからこそ立件したと思うのですが、告訴から半年もたって、なぜ嫌疑がなくなってしまったのかが、極めて疑問です。
はっきりした証拠があるので、「嫌疑不十分」とできない事情もあるでしょうが・・・・
また、私が、裁判のおかしなところ、判決で疑問に思うところを、検事にぶつけてみたのですが、検事は沈黙を保つのみで、何の返答や説明もありませんでした。
そして、私の言い分に対しても、否定したり、異議を唱えることも、ほとんどありませんでした。
どうやら、検事も、国家賠償訴訟が公正じゃないこと、仙台高裁判決がおかしいということは、十分承知している様子でした。
だからこそ、検事も何度も判決書を読み、起訴すべきかどうか悩んだんじゃないでしょうか?
それにしても、仙台高裁が、なぜ、私の主張をねじ曲げ、違法性が問われるようなことをしなければならなかったのでしょうか?
それは、労働基準監督署がかかわった当初の事件で、労働基準監督署の担当職員が、夫や私に対しても嘘の説明をし、また、行政内部でも、嘘の報告をしていたことが、裁判で行政が提出した証拠書類などから明らかになり、私の主張、反論により、行政の主張が二転三転し、行政を勝訴させる材料がほとんどなかったことが、背景にあるのです。
それで、判決理由に困った仙台高裁が、素人の本人訴訟であることをよいことに、ヒラメ性を発揮し、違法行為に及んだのではないかと、私は分析しています。
仙台高裁判決には、告訴している部分以外にも、おかしなところがけっこうあるんです。
“素人だと思って、いいかげんな判決を書いたんじゃないの!”っていうのが、私の率直な感想です。
それでも、本来なら、上告不受理により、相手方に送達されることもなく、闇に葬られる運命の上告受理申立理由書や、正しい判断であったのか検証されることのない二審判決書が、私のブログで公開されたり、刑事告訴により、検察関係者に読まれたりと、白日の下にさらされたということだけでも、大きな意義があったのではないかと思っています。
仙台高裁が、このようになることを事前にわかっていたなら、きっと、違う書き方をしたでしょうね。
それにしても、なぜ、検察は、不起訴処分にする前に、私の話を聞かず、不起訴処分の後に、私を呼び出し、直接説明したかったのかってことが、問題になるのですが・・・・
実際に、検事から、具体的な説明など、ほとんどありませんでしたし・・・
私の推測ではありますが・・・・
はじめから起訴するつもりがなかったので、私の話を聞く必要もないと判断したんじゃないでしょか。
そして、私の、不起訴処分の理由についての問い合わせに対し、説明に困った検事が、まさか、私が仙台まで来ることはないだろうと思い、緊急避難的に、「直接会って、説明したい。」と言ったのではないかと思いますが・・・
それにしても、本来、最も非難され、罰を受けるべき立場の労働基準監督署の職員が守られ、一種の漁夫の利ともいうべき恩恵をもくろんだ、当初の事件とは直接関係のない裁判官が、刑事告訴される羽目になろうとは、なんとも滑稽な構図ですよね。



でも、これが、日本の司法の現状なのです。

- 関連記事
スポンサーサイト