国家賠償訴訟での私の主張、やっぱり、あれでよかったの? ~初めての評価~
8月6日、私は、裁判官の不起訴処分の理由を聞くために、仙台地検に行ってきました。
仙台市内は、前夜の花火大会に続き、七夕初日となったこの日、私は、喧騒の街を通り抜け、仙台地検が入っている庁舎に着きました。
約束の時間になると、事務官から、担当検事の部屋に案内されました。
持ち物など、特に言われなかった私は、運転免許証などの身分証明書を持ち合わせておらず、住所等を聞かれ、本人確認をされました。
検事 「今、何か、ほかに訴訟をしていますか?」
(いきなり、予想外の質問に、何でこんなことを聞くのだろうと不思議に思いました。
私のことを、訴訟マニアか何かだと思ったのでしょうか?)
私 「いいえ、していません。」
検事 「裁判は、弁護士に相談しながらしたのですか?(おおよそ、このような趣旨でした。)」
私 「いいえ、自分でしました。
はじめの頃、何人かの弁護士に相談したのですが、いわきは、弁護士の数が
少ないこともあり、行政相手だと、勝ち目がないせいか、ほとんど相手にされず、
ダメだったんです。
それでも、私は、行政がおかしいと思っておりましたので、これは自分でやるしかないと
思いました。」
検事 「文章の書き方など内容が、弁護士が書いたようにできていましたので・・・・」
私 「何度も書いているうちに、だんだん上達したのかも知れませんし、インターネットで
調べると、いくらでも例が見れますので・・・・」
私の国家賠償訴訟は、原告適格の問題など、難しい内容を含んでいるにもかかわらず、弁護士のアドバイスを受けたりすることも一切なく、すべて自分でしました。
私が、事件の事実関係を記録していたことや、一時期、法律の勉強にはまっていたこともあり、訴訟に関する法律的な知識も、ある程度は得ることができましたので、 “私の主張、けっこういけるかも” “もしかしたら、バッチリかな”と、自分では、ちょっぴり自信を持っていた一方で、法律に関しては、全くの素人である私は、 “こんな主張でよいのだろうか” “見当違いの独りよがりの主張ではないだろうか”という不安も、常に隣り合わせでした。
ですから、今回、検察庁に呼ばれたあげく、 “あなたの主張は、めちゃくちゃです。” なんて、頭ごなしに批判されたりしたらどうしようなどという一抹の不安もありましたが、その不安は、取り除かれました。
国家賠償訴訟の提訴から、すでに3年が過ぎ、裁判での私の主張が正しかったのかどうかということは、私自身、ずっと気になっていたことではありましたが、私の主張に関しての評価を聞いたのは、この日が初めてでした。
しかも、法律の専門家である検事から評価されたことで、私の主張の方向性が正しかったのだということを、初めて認識することができました。
でも、私の主張が評価されたところで、それが結果に反映されなければ、ちっともうれしくはないのです。
むしろ、余計悔しさが増すばかりです。
この続きは、次回に・・・・
仙台市内は、前夜の花火大会に続き、七夕初日となったこの日、私は、喧騒の街を通り抜け、仙台地検が入っている庁舎に着きました。
約束の時間になると、事務官から、担当検事の部屋に案内されました。
持ち物など、特に言われなかった私は、運転免許証などの身分証明書を持ち合わせておらず、住所等を聞かれ、本人確認をされました。
検事 「今、何か、ほかに訴訟をしていますか?」
(いきなり、予想外の質問に、何でこんなことを聞くのだろうと不思議に思いました。
私のことを、訴訟マニアか何かだと思ったのでしょうか?)
私 「いいえ、していません。」
検事 「裁判は、弁護士に相談しながらしたのですか?(おおよそ、このような趣旨でした。)」
私 「いいえ、自分でしました。
はじめの頃、何人かの弁護士に相談したのですが、いわきは、弁護士の数が
少ないこともあり、行政相手だと、勝ち目がないせいか、ほとんど相手にされず、
ダメだったんです。
それでも、私は、行政がおかしいと思っておりましたので、これは自分でやるしかないと
思いました。」
検事 「文章の書き方など内容が、弁護士が書いたようにできていましたので・・・・」
私 「何度も書いているうちに、だんだん上達したのかも知れませんし、インターネットで
調べると、いくらでも例が見れますので・・・・」
私の国家賠償訴訟は、原告適格の問題など、難しい内容を含んでいるにもかかわらず、弁護士のアドバイスを受けたりすることも一切なく、すべて自分でしました。
私が、事件の事実関係を記録していたことや、一時期、法律の勉強にはまっていたこともあり、訴訟に関する法律的な知識も、ある程度は得ることができましたので、 “私の主張、けっこういけるかも” “もしかしたら、バッチリかな”と、自分では、ちょっぴり自信を持っていた一方で、法律に関しては、全くの素人である私は、 “こんな主張でよいのだろうか” “見当違いの独りよがりの主張ではないだろうか”という不安も、常に隣り合わせでした。
ですから、今回、検察庁に呼ばれたあげく、 “あなたの主張は、めちゃくちゃです。” なんて、頭ごなしに批判されたりしたらどうしようなどという一抹の不安もありましたが、その不安は、取り除かれました。
国家賠償訴訟の提訴から、すでに3年が過ぎ、裁判での私の主張が正しかったのかどうかということは、私自身、ずっと気になっていたことではありましたが、私の主張に関しての評価を聞いたのは、この日が初めてでした。
しかも、法律の専門家である検事から評価されたことで、私の主張の方向性が正しかったのだということを、初めて認識することができました。
でも、私の主張が評価されたところで、それが結果に反映されなければ、ちっともうれしくはないのです。
むしろ、余計悔しさが増すばかりです。

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