原発事故の責任
先月11日の大地震と原発の相次ぐ爆発の後、避難するにあたり、新聞の購読を停めようと新聞店に電話をしました。
留守番電話になっていたので、「明日から無期限でお休みします」とメッセージを入れたのですが、1ヵ月近くたって帰宅してみると、郵便受けに、1週間分ぐらいの新聞が郵便物と混ざって、ぎっしり入れてありました。
どうやら、避難する人たちからの連絡が殺到し、新聞店の留守番電話がパンク状態になり、メッセージが録音されていなかったようです。
長年、朝日新聞を購読していたのですが、ここ数年は偏向報道が甚だしく、この機会に別の新聞に変えようかと考えていたところでしたが、そのチャンスを逃してしまいました。
そんな朝日新聞ですが、4月23日付の福島県内版の「東日本大震災の衝撃 専門かに聞く」という欄で、京都大原子炉実験所助教の今中哲二氏が、原発政策のどこに問題があったのかという点について、前回のブログでお伝えした佐藤栄佐久前福島県知事と同じようなことを主張されていました。
原発事故については、既存メディアが、御用学者ばかりを登場させて、「想定外だった」ということを盛んに報道していますが、それとは異なり、珍しくまともな記事でしたので、全文を紹介します。
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リスク伏せ原発推進
安全神話
京都大原子炉実験所助教 今中哲二さん
福島第1原発の事故では、電力業界の矛盾や体質のツケが一気に噴き出した。
原発で最悪の事態が起きたらどうなるのかー。そのリスクを、日本に原発が導入された当時の政府・電力関係者は十分承知していたはずだが、国民には正しく説明してこなかった。
例えば、原発を設置する際に国が行う安全審査の指針では、「技術的見地からは起こるとは考えられない事故の発生を仮想しても、周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと」と絶対に安全であることを求めている。その一方、電力会社は原発1事業所あたり1200億円の賠償保険への加入が義務づけられ、それを上回る損害がでた場合は、電力会社が負担しきれない部分について政府が支援する制度が整っている。
万一の事態に備えているとはいえるが、なぜ、絶対安全なはずの原発でここまで手厚い制度が必要なのか。そもそも「安全神話」は業界のタテマエに過ぎず、住民に事故のリスクを伏せて立地を推進してきたのが日本の原発政策の実態だ。
私はかつて、「夢のエネルギー」と期待された原子力にひかれて研究の道に入った。ところが、原発の安全神話は1979年の米スリーマイル島原発事故で崩れ、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故で地に落ちた。
事故後、欧米では「このままではやばい」と対策を強める雰囲気が生まれた。しかし、自然災害の多い日本こそ、明日は我が身と受け止めて原発のリスクに正面から向き合うべきだった。
チェルノブイリ原発の30キロ圏内は、事故から四半世紀たった今も封鎖されたまま。住民たちはこの間、放射能のリスクと向き合ってきた。「人はいつまでも非常事態下では生きられない。非常を日常として受け入れるしかない」。現地を知るウクライナ人研究者の重い言葉だ。
日本でもこれから汚染が続く。残念ながら、放射能と共存するしかない時代に入ったのだ。
(聞き手・小林哲)
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今回の原発事故は、自然災害が引き金になったとはいえ、想定外の出来事などでは決して済まされるものではありません。政府や電力会社が原発に伴うリスクを知りながら十分な検証や検討を行うこともなく、また、国民に対して十分な説明を怠って強引に推進してきた結果として引き起こされた明らかな人災であり、その関係者の責任を明確にする必要があります。
原発事故の損害賠償についての政府原案によると、賠償の支払いには東京電力の責任を明確にしていますが、政府においては、東電に対し、原子力損害賠償法に基づいて1事業所あたり1200億円の保証をするほかは、電力各社が負担して新設する「機構」に交付国債を発行するだけの間接支援に留まるということです。
これは、東電以外の事故を起こしていない電力会社にとっては甚だ迷惑な話であるとともに、政府にとっては、責任逃れのまったく都合が良い案になっています。
政府が原発を国策として推進してきたにもかかわらず、その管理・監督体制がほとんど機能していなかったために、今回の重大な原発事故が引き起こされたともいえ、政府にも損害賠償を負担させる必要があります。
ところが、ここで、単純に政府が損害賠償の一部をを負担するということになれば、その財源は国民の税金ということになり、最終的には国民が負担することになります。
残念ながら、判例(最高裁昭和53年10月20日判決・民集32巻7号1367ページ)においても、国が国家賠償法1条1項の責任を負うとした場合には、その責任主体は国であって、公務員個人に対して損害賠償請求をすることができないとしており、これにならって処理される可能性が十分あります。
(詳しくは 「公務員に都合がよいように作成・適用されている国家賠償法 (一審・3)」 )
しかしながら、今回の原発事故は、風評被害も含め、広範囲にわたり巨額の損害を与えています。特に、原発周辺で直接的な被害を被られている方にとっては、それまで居住していた土地や家・故郷を奪われ、生活の糧となる農地や漁場までも奪われてしまうという深刻な状況に陥っています。それにもかかわらず、原発を推進してきた政府関係者は何の痛手を受けることなく何食わぬ顔でいるというのでは、被害者をはじめとする国民の理解を得ることができません。
ですから、過去に遡って関係者の責任を明確にし、それらの関係者個人とその所属していた組織に損害賠償を負担させるような法律を制定すべきです。
これにより、膨大な賠償額の一部を関係者に直接負担させるという目的のほかに、責任を明確にすることで、今後、原発のようなリスクを伴う政策が、不十分な検討・検証のもとに推進されるということを抑止する効果が期待できます。
最後に、26日に満25年を迎えたチェルノブイリ原発事故についての番組を紹介します。
冒頭の朝日新聞と同様、偏向報道が著しいNHKですが、今回の福島第1原発事故の以前に制作されたせいか、、公正で冷静な立場から報道している良質な番組です。是非ご覧ください。
枝野官房長官が、「直ちに健康に影響を及ぼすようなレベルではない」ということを盛んに言われていますが、「5年後、10年後、20年後になって健康に支障が出る可能性がある。」ということを予感させられます。






留守番電話になっていたので、「明日から無期限でお休みします」とメッセージを入れたのですが、1ヵ月近くたって帰宅してみると、郵便受けに、1週間分ぐらいの新聞が郵便物と混ざって、ぎっしり入れてありました。
どうやら、避難する人たちからの連絡が殺到し、新聞店の留守番電話がパンク状態になり、メッセージが録音されていなかったようです。
長年、朝日新聞を購読していたのですが、ここ数年は偏向報道が甚だしく、この機会に別の新聞に変えようかと考えていたところでしたが、そのチャンスを逃してしまいました。
そんな朝日新聞ですが、4月23日付の福島県内版の「東日本大震災の衝撃 専門かに聞く」という欄で、京都大原子炉実験所助教の今中哲二氏が、原発政策のどこに問題があったのかという点について、前回のブログでお伝えした佐藤栄佐久前福島県知事と同じようなことを主張されていました。
原発事故については、既存メディアが、御用学者ばかりを登場させて、「想定外だった」ということを盛んに報道していますが、それとは異なり、珍しくまともな記事でしたので、全文を紹介します。
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リスク伏せ原発推進
安全神話
京都大原子炉実験所助教 今中哲二さん
福島第1原発の事故では、電力業界の矛盾や体質のツケが一気に噴き出した。
原発で最悪の事態が起きたらどうなるのかー。そのリスクを、日本に原発が導入された当時の政府・電力関係者は十分承知していたはずだが、国民には正しく説明してこなかった。
例えば、原発を設置する際に国が行う安全審査の指針では、「技術的見地からは起こるとは考えられない事故の発生を仮想しても、周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと」と絶対に安全であることを求めている。その一方、電力会社は原発1事業所あたり1200億円の賠償保険への加入が義務づけられ、それを上回る損害がでた場合は、電力会社が負担しきれない部分について政府が支援する制度が整っている。
万一の事態に備えているとはいえるが、なぜ、絶対安全なはずの原発でここまで手厚い制度が必要なのか。そもそも「安全神話」は業界のタテマエに過ぎず、住民に事故のリスクを伏せて立地を推進してきたのが日本の原発政策の実態だ。
私はかつて、「夢のエネルギー」と期待された原子力にひかれて研究の道に入った。ところが、原発の安全神話は1979年の米スリーマイル島原発事故で崩れ、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故で地に落ちた。
事故後、欧米では「このままではやばい」と対策を強める雰囲気が生まれた。しかし、自然災害の多い日本こそ、明日は我が身と受け止めて原発のリスクに正面から向き合うべきだった。
チェルノブイリ原発の30キロ圏内は、事故から四半世紀たった今も封鎖されたまま。住民たちはこの間、放射能のリスクと向き合ってきた。「人はいつまでも非常事態下では生きられない。非常を日常として受け入れるしかない」。現地を知るウクライナ人研究者の重い言葉だ。
日本でもこれから汚染が続く。残念ながら、放射能と共存するしかない時代に入ったのだ。
(聞き手・小林哲)
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今回の原発事故は、自然災害が引き金になったとはいえ、想定外の出来事などでは決して済まされるものではありません。政府や電力会社が原発に伴うリスクを知りながら十分な検証や検討を行うこともなく、また、国民に対して十分な説明を怠って強引に推進してきた結果として引き起こされた明らかな人災であり、その関係者の責任を明確にする必要があります。
原発事故の損害賠償についての政府原案によると、賠償の支払いには東京電力の責任を明確にしていますが、政府においては、東電に対し、原子力損害賠償法に基づいて1事業所あたり1200億円の保証をするほかは、電力各社が負担して新設する「機構」に交付国債を発行するだけの間接支援に留まるということです。
これは、東電以外の事故を起こしていない電力会社にとっては甚だ迷惑な話であるとともに、政府にとっては、責任逃れのまったく都合が良い案になっています。
政府が原発を国策として推進してきたにもかかわらず、その管理・監督体制がほとんど機能していなかったために、今回の重大な原発事故が引き起こされたともいえ、政府にも損害賠償を負担させる必要があります。
ところが、ここで、単純に政府が損害賠償の一部をを負担するということになれば、その財源は国民の税金ということになり、最終的には国民が負担することになります。
残念ながら、判例(最高裁昭和53年10月20日判決・民集32巻7号1367ページ)においても、国が国家賠償法1条1項の責任を負うとした場合には、その責任主体は国であって、公務員個人に対して損害賠償請求をすることができないとしており、これにならって処理される可能性が十分あります。
(詳しくは 「公務員に都合がよいように作成・適用されている国家賠償法 (一審・3)」 )
しかしながら、今回の原発事故は、風評被害も含め、広範囲にわたり巨額の損害を与えています。特に、原発周辺で直接的な被害を被られている方にとっては、それまで居住していた土地や家・故郷を奪われ、生活の糧となる農地や漁場までも奪われてしまうという深刻な状況に陥っています。それにもかかわらず、原発を推進してきた政府関係者は何の痛手を受けることなく何食わぬ顔でいるというのでは、被害者をはじめとする国民の理解を得ることができません。

これにより、膨大な賠償額の一部を関係者に直接負担させるという目的のほかに、責任を明確にすることで、今後、原発のようなリスクを伴う政策が、不十分な検討・検証のもとに推進されるということを抑止する効果が期待できます。

冒頭の朝日新聞と同様、偏向報道が著しいNHKですが、今回の福島第1原発事故の以前に制作されたせいか、、公正で冷静な立場から報道している良質な番組です。是非ご覧ください。
枝野官房長官が、「直ちに健康に影響を及ぼすようなレベルではない」ということを盛んに言われていますが、「5年後、10年後、20年後になって健康に支障が出る可能性がある。」ということを予感させられます。






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