日本の裁判所も検察もデモクラシーの原理をわきまえていない!
国民に対しては法律の遵守を求め、違反したときは厳格な刑罰を科しておきながら、自らは刑事訴訟法や憲法を無視した適法性に欠ける手続きで事件を処理しており、そのようなことが現在に至るまで受け継がれているのではないかと推測されます。
これまで当ブログでお伝えしてきたデタラメな国家賠償訴訟や検察の恣意的な判断が、起こるべくして起こっていると考えられるのです。
田中角栄前首相(当時)がターゲットになるという日本中の国民が注目していた裁判においてさえ、刑事訴訟法や憲法を無視した裁判がいとも簡単の行われたのです。
しかも驚くべきことは、適法な手続きによらない裁判により角栄氏の人権が蹂躙されているにもかかわらず、それを論ずる新聞もなければ、憲法違反を発言するものもいなく、そのような裁判が、国民にすんなりと受け入れられてしまったことです。
なぜ、このような不思議なことが起こったのでしょうか。
その背景について、今回も、 『田中角栄の遺言』 からご紹介します。

異常とも言うべき角栄氏の裁判が国民に受け入れられた背景は、日本人に近代的法意識(リーガル・マインド)を欠いている人が多いからである。
デモクラシーの要諦は、為政者(現役の権力者)の権力から在野の人の基本的人権を守るにある。
日本人は、このデモクラシーの根本命題を知っていない。
欧米などのデモクラシー諸国と日本人では、法意識に大きな違いがあります。
裁判に対する意識の違いをまとめました。
【デモクラシー諸国の裁判】
裁判が始まれば、学者評論家は発言を控え、マスコミも、ごく簡単な経緯しか報道しなくなる。
予断が入って、裁判官の心理に影響が及ぶと、公平な裁判ができなくなるからである。
【日本の裁判】
検事が求刑しただけで被告を有罪と決めつけてしまう。角栄氏の場合には、マスコミがいっせいに角栄有罪と書きたてた。
対照的な例として、ニクソン大統領のウォーターゲート事件と角栄氏のロッキード事件を比較してみると、根本的な違いが明確になります。
【ニクソン大統領の犯罪】
(当時の立場) 大統領・・・現役の権力者
(告発者) マスコミ
マスコミは権力の告発者としての任務を立派に果たしており、
これを受けて議会は、議会の責任において権力者ニクソンを追及し、
辞職に追い込んだ。
(検察の役割) 脇役の脇役ぐらいを演じたにすぎない。
検事は行政官僚にすぎず、行政のトップにいるのが大統領。
同じ行政のひとつ穴の狢(むじな)では徹底的な追及が期待できない。
(犯罪を追及の主体) 立法府たる議会と在野のマスコミ。
為政者(政治権力者)を、在野の人びとが弾劾した。

【田中角栄首相の犯罪】
(当時の立場) 前首相・・・行政権にタッチしておらず、現役の権力者ではない。
(犯罪の追及の主体) 行政権力たる検事に、司法権力たる裁判所が加担した。
検事は行政権力にすぎないので、行政権力者たる首相の矛先である。
検察が求刑するや否や、マスコミも国会議員も国民も有罪と決めつけた。

人権を守るというデモクラシーの原理を分かっていない。
ここで注目すべきことは、二人の立場の違いだ。
為政者(現役の権力者)であるニクソン大統領と、絶大な権力を有するといっても、当時、行政権にタッチしていない在野の角栄氏。
デモクラシーの目的は、絶大な国家権力から、いかにして人民の権利を守るかにある。
この目的のために、国家権力を、立法、行政、司法の三つに分け、互いに牽制させて、バランスをとらせる。
ここで、人民の権利を行政権力から守るために、決定的に重要な役割を演じるのが司法権力である。裁判所の主機能は、行政権力から人民(国民)の権利を守ることにある。
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デモクラシーの原理をわきまえていれば、立場の違いでそれぞれに対する姿勢がおのずと決まってくるはずなのです。
ところが、角栄氏の裁判では、行政権力たる検察に、司法権力たる裁判所が加担したのですから(詳しくは 「田中角栄氏の『暗黒裁判』」 をご覧ください。)、検察も裁判所もデモクラシーの原理を全く理解していないということになります。
刑事裁判の有罪率が99%、国家賠償訴訟の国の完全勝訴率が98%という状況からも、角栄氏の裁判だけが特殊なケースであったとは、決して考えられないのです。





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