柳田前法相「2つ覚えて・・」発言は 「デモクラシーの死」を表現
などと申し上げると、何か偉そうな政治学者みたいに思われるかもしれませんが、実は、小室直樹氏の 『田中角栄の遺言 (官僚栄えて国滅ぶ)』 を読むと、その辺のことがよく理解できます。
最近よく小室氏の本を引用させていただいていますが、興味をもつきっかけとなったのが、ブログを通じて知り合ったある方の紹介です。
小室氏の本を1冊読んだだけで、すっかりファンになってしまいました。
その方のご配慮で、今では中古本しか出回っていないような貴重な本の数々を読む機会を与えていただいたのですが、小室氏の本を読んでいると、必ずといっていいほど、現代社会の問題点に深く通じている部分に遭遇します。
そして、それらが、すべて正鵠を射ているのですから、私もブログで紹介せずにはいられません。
『田中角栄の遺言(官僚栄えて国滅ぶ)』 から、ご紹介します。

角栄氏の政治哲学というと、「デモクラシーは数、数はカネ」と言われるように、カネで数を獲得する方法のみが強調されているが、政治家・田中角栄氏の最大の遺産は、立法府たる議会を機能せしめたことに尽きる。
具体的には、議員の本分である議員立法を行ったことだ。
つまり、立法のための舞台もシナリオも角栄氏が作る。監督も角栄氏だ。そこまでお膳立てされた役人は、角栄氏の命ずるままに働くしかない。
角栄政治の偉大さは、役人を自由自在に駆使したところと、雄弁な討論によって議会を制し、議員立法によって日本再建を推進していったことである。
討論こそ議会政治のエッセンス。角栄氏のみが、この神髄を理解し、体得し、実践した。
デモクラシーの眼目は、議会を有効に機能せしむることにある。
議会の最大の機能とは、自由な議論を通じて国策を決定することである。国権の最高機関として立法を行うことである。角栄氏はこれを見事に実行した。
「自由主義とは、政治の権力から国民の権利を守ること。民主主義とは政治権力に国民が参加すること。」 この2つが結合したのが近代デモクラシーである。
憲法の条文には、そのことが盛り込まれているが、実質的に機能していなければ意味がない。
日本は、近代民主主義の根本的条件である三権分立が機能していない。
モンテスキューは『法の精神』において、三権分立の思想を定式化した。
近代国家の強大な国家権力から人民の権利を守るために、国家権力を、立法、行政、司法の三権に分け、互いに牽制させて、バランスをとらせる。
所謂、「三権のチェック・アンド・バランシズ」のメカニズムであり、それが法と正義の存立条件である。
三権分立のないデモクラシーはありえない。

彼らの視野にあるのは、法律と前例と、自らの権限と昇進のみ。自由な意志、自由な言論とは無縁である。
国権の最高機関であるはずの国会(憲法第41条)は、官僚の傀儡(かいらい)になってしまった。
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以上が、 『田中角栄の遺言』 に書かれている政治に関する部分を極簡単にまとめたものですが、まさに現在の日本は、デモクラシーから程遠い状況なのです。
国会答弁で、議員が官僚が作った原稿を読むのは当たり前、当然のこととして冒頭でお伝えした柳田稔前法務大臣のような発言が飛び出してしまうのです。
もちろん、そのような国会運営を平然と行っている他の議員らには、柳田前法相の発言を批判する資格など全くありません。

それについては、次回お伝えしましょう。



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