犯罪捜査に理系バカを活用してみては?
隠蔽できるような事件ではありませんし、仮に隠蔽を図れば、いずれバレテ捜査関係者が刑法103条の犯人隠匿罪で処罰されることになりますし、公になれば、パンドラの箱が開き、国家の信頼を根底から揺るがす事態になりかねません。
ですから、関係する機関は、相当、手こずっているのではないでしょうか。
前回の記事のコメントで、ふうせんかずら様が、捜査機関の内部協議の様子を想像して書いてくださいました。
とてもお上手で、面白いので、ご紹介します。
(想像する内部協議の光景)
(上司)「なんとかならんのかあ。その告訴―」
(部下)「それがその、なかなか・・・」
(上司)「まいったなあ。それはまずい。まずいぞそれは。」
(部下)「ですよねえ、そうなんですよねえ」
(上司)「そうだ、なにか考えろ」
(部下)「なにか、ですか」
(上司)「そうだ、何かだ」
(部下)「・・・・・・・・」
(上司)「まかせたぞ」
(部下)「(そんなあ)」→月日だけが過ぎる。
なんて感じではありませんように。
まさに、こんなやり取りが行われているのでしょうね。
とりあえず、この話題はここまでとして、これ以降は、最近読んだ本についてお伝えします。
たまたま本屋でタイトルにひかれて手にした「理系バカと文系バカ(竹内薫著、PHP文庫)」という本です。
一見、当ブログの趣旨から外れるように思われますが、意外にも、法学に関することが書かれており、思わず拍手したくなるような記述がありましたので、ご紹介します。
それもそのはず、著者は、東京大学法学部に入学したものの、法学に興味が持てず、転部して「科学哲学」を学んで卒業した後、理学部物理学科の3年に学士入学したという異色の経歴の持ち主なのです。
法律に関係する部分のみ、かいつまんでご紹介します。
『 理系のセンスも法学も「論理的に考えること」「仮説を立てて検証すること」という点においては似ているが、法学に場合の「論理」「仮説」「検証」は、「ニセモノ」っぽくて、科学の世界とはどこか違っていた。
たとえば、違法建築であることを知りながら大きな建物を建ててしまった人がいる。訴えられて裁判になったが、判決では、「違法だが、これからその建造物を壊すとなると膨大な費用がかかり、社会的損失が大きい」という理由で、その構造物は撤去しなくてよいとなったりする。
まるで悪人が得をするような法律体系に「不純」なものを感じ、納得がいかない判例ばかり気になって、気持ち悪いこと、この上ない。
科学の世界の論理や仮説検証は、自然が基準で不変であるが、法学の世界の論理や仮説検証は、人間社会の法律、すなわち「取り決め」に関するもので中身が違う。
国家転覆を狙って人を殺せば、法律に則って、論理的に裁かれ刑に服するが、国家を転覆して自分が支配者になれば、誰にも裁かれることはない。その意味で、人間が作る法律は常に変わり続ける。』
まさに、そのとおりで、思わず拍手を送りたくなります。

また、理系バカの特徴として面白いことが書かれていましたので、かいつまんでお伝えします。
『理系バカは、一つのことを掘り下げる力、極める力がすごく、正確でないと思ったり、自分が気に入らなかったり、納得がいかない箇所があると、とことん追い詰めて、間違いを糾弾するためのデータ集めに走り、感情度外視で真実を求める。
「自分の中の基準」は絶対に正しく、それに反するものは叩かなければならず、ある意味、理系の正義なのだ。』
とありました。
なんか、私の姿そのものといった感じもしますが

相手方のわずかな矛盾もとことん指摘しますが、当然、自分の主張は、どの角度から検証しても矛盾がないように完璧を目指します。
でも、これは裁判でのことで、日常生活でこんなことをしたら、回りからヒンシュクを買ってしまいますので、あしからず。
それから、理系バカは、
『 分からないことは、何でもネットで検索してしまい、調べる工程やデータを集めていく作業が快感なのだろう。』
ということなのですが、著作権法違反事件の犯人が郵政だって突き止めたのも、検索とデータ集めの賜物かもしれません。
集めたデータから、その裏に潜んでいる本質的な部分を読み解くという作業、けっこうワクワクします。




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