権力を監視するというマスコミ本来の機能が完全に損なわれている状況の中、捜査機関からの発表に頼らず、「調査報道」という記者本来のスタイルで事件の真相に迫り、社会を動かしてきた事件記者の清水潔氏の著書について、以前、ご紹介したことがあります。
そのとき初めて読んだのが、「騙されてたまるか 調査報道の裏側(新潮新書)」という本だったのですが、地道で綿密な取材から真犯人を特定していく様子は、下手な推理小説よりもスリルと迫力があり、その後、「殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」「桶川ストーカー殺人事件」清水氏の著書を続けて読みました。
なんといいましても、組織の威信を保つことと保身のためならどんな違法行為もいとわない、捜査機関と裁判所のデタラメを嫌というほど思い知らされている私としては、どの本も共感できることばかりです。
「桶川ストーカー殺人事件」については、マスコミで大きく取り挙げられていたことは記憶していますが、その割には、どういう事件だったのか内容がハッキリしません。
嘘であっても、警察の発表をそのまま報道するだけのマスコミによって、事件の本質が歪められてきたせいだと思います。この本を読んで、その事件の全容と本質が理解できました。
本の最後にある「補章 遺品」には、被害者である猪野詩織さんのご両親が、埼玉県警に対して起こした国家賠償訴訟のことが書かれています。ここでも、また、当ブログのテーマでもある「不公正な国家賠償訴訟」が行われていたのです。
埼玉県警が適切な対応を怠ったことで、ひとりの女子大生の命が奪われたという重大事件であるにもかかわらず、この事件でも、「結論ありき」の裁判を成し遂げるために、被告代理人らによるデタラメなストーリーのでっちあげと、違法な証拠集め、証拠の改ざん・選別と都合の良い解釈、さらには、被害者やその家族に対するデタラメなイメージ作りなど、当ブログで指摘してきたようなことが行われていました。
詩織さんが告訴をした時点で埼玉県警が犯人逮捕に向けて迅速な捜査を行っていれば、詩織さんの殺害は防げたはずです。警察官に対する刑事裁判では非を認め謝罪していた警察が、国賠訴訟が始まるや態度を一変させ、前述のようなことが、警察や被告代理人らが組織を挙げて行っていたというのです。
判決では損害賠償請求は認められたもの、わずかな慰謝料だけで、怠慢捜査と殺害との因果関係については否定され両親の最大の思いは叶うことはありませんでした。
さらに、判決では、殺害を企てた首謀者による殺害前の嫌がらせと、首謀者の指示で実行した仲間による殺害を分離することで、警察が責任逃れできるように結論づけられており、事件の本質からは程遠い経緯と事実関係にされています。
ほとんどが共感できる内容でしたが、この本の中にひとつだけ気になる一文があります。
前述の結論づけについて「警察の醜い言い逃れに、裁判所までまんまと乗せられたとしか言いようがなかった。」と記述している点です。
裁判所と法務局(被告代理人)のダブル不正によって行われた国家賠償訴訟の闇を暴いてきた私にとっては、裁判所もグルだとみるのが妥当です。
最後にひとつ、警察と裁判所の関係で思い出したことがあります。
司法批判をしていた当ブログがいかがわしいサイトにコピーされた事件のことです。
警察に相談し、福島県警本部のサイバー警察に連絡が行った当日、最高裁から当ブログにアクセスがありました。IPアドレスを特定したところ、仙台中央郵便局のパソコンから犯行が行われていることがわかりました。そのことを警察に伝えると「どうして、わかったのですか?」と事実を認めるも、犯人を特定することもなく、サイトも削除されないままなので、福島県警に告訴状を提出しました。その後、当時、福島県警本部サイバー対策室(課)ナンバー2のノヤという人物からヒソヒソ声で電話があり、「告訴をやめてもらえないか」ということでした。
福島県警には頼めないと思い、告訴状の提出先を探すのですが断られ続け、半年後、やっとのことで仙台地検に受理されました。ところが犯人を特定されることはなく、根拠もなく不起訴処分です。
これらの事実から、裁判所、警察、郵便局、検察は、裏でつながっており、組織的に国家の不正に加担し、不都合な事件を隠蔽していることが推測できます。

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