同じような経緯をたどった方は、おふたりのほかにもたくさんいますが、彼らに共通していえることは、自民党政権の下で、国家の闇を暴こうとした者は、無実の罪で司法によって断罪されるという怖ろしい現実です。 そのことを民主党政権は、しっかりと見抜いているのではないでしょうか。 新政権は、これまでの自民党政権下での歪んだ司法判断を重視しておらず、臆することなく鈴木宗男氏を外務委員長にして、北方領土問題への期待を託したのではないでしょうか。 この鈴木宗男氏の委員長就任は、もしかしたら自民党政権の下、ずっと続いてきた歪んだ司法判断への決別姿勢と受け取ってよいのかもしれません。
前回の記事 「『国家戦略局』のほかに『司法監視局』なんてのは、どうかしら?」 へのコメントには、たくさんの情報を提供していただきました。 ところが、残念なことにコメントの部分は、本文に比べて読まれる頻度が低いようですので、今回の記事でいくつかご紹介します。 重複する箇所がありますが、ご了承ください。 その情報の多くは、記事中の下記の部分に共感されてのことだと思います。 「行政の対応に過失や違法性があったとしても、その責任を問われることがないこと(たとえ訴訟に発展したとしても結果は判っており、国が敗訴して責任を負わされる可能性がほとんどないこと)を熟知している行政は、自らの過失や違法性を指摘され、行政自身もそれらを認識しているにもかかわらず、決して非を認めようとはしませんでした。 そればかりか、裁判においても、虚偽の主張を繰り返したり、自分たちに都合のよい証拠を捏造して提出をするなど、違法な手段を用いてまで、行政の正当性を主張し続けるというようなことを平気でしました。 それに対し、原告の私が、客観的な証拠を提示して反論したり、行政の主張の矛盾を多数指摘したとしても、裁判所は一切無視し、国に有利な判断を下しました。」 不当な裁判を受けられた多くの方々から、たくさんの情報が寄せられますが、これらを拝見しますと、刑事事件にしても民事事件にしても、国や行政が相手となる裁判には、ある共通した特徴があります。 それは、行政による証拠の捏造、虚偽の証言、そして、客観的証拠を無視した合理性の欠落した判決と三拍子そろっていることです。 この種の三拍子そろっている典型的な事件が、ミラクルヤンさん から情報提供がありました「高知白バイ衝突死事件」です。 (高知白バイ衝突死事件) 2006年3月に高知で、白バイがスクールバスに衝突し、白バイの巡査長が死亡した事件です。 スクールバスに乗っていた生徒全員と、直後を走っていた校長先生は、バスは止まっていたと証言しているにもかかわらず、裁判では、その証拠を採用せず、バスのブレーキ痕などの警察が捏造した可能性のある証拠から、スクールバスの運転手の有罪が確定した事件です。 http://www.news.janjan.jp/living/0801/0712318233/1.php
日本の司法の腐敗を物語っている象徴的な事件であるといえます。 なぜ、このような司法のデタラメがまかり通るのでしょうか その手がかりを、私の裁判から垣間見ることができました。 全ての裁判官が偏向した判断をするわけではなく、良心的な裁判官がいる一方でヒラメ性を発揮する裁判官もいることは前にもお伝えしましたが、私の経験からすると、これには、ある傾向があるようです。 比較的若手の中堅ぐらいの裁判官は、裁判資料に忠実に審理し妥当な判断をしようとするようですが、裁判長クラスや、高裁の比較的経験を積んだべテランの裁判官ほど、裁判資料を無視し、初めから結論ありの裁判をする傾向にあるようです。 そして、この傾向は、ヒラメ裁判官について知るにはバイブルとでもいうべき「裁判が日本を変える!(生田暉雄著、日本評論社)」に書かれていることと一致するのです。 大まかな内容は、ある一定の時期までは、どの裁判官も一定に昇給していくが、それ以降は、昇給にかなりの差異がでてくる。 また、「陽の当たる場所(大都市)」ばかり転勤する者と「ドサまわり」の者に分かれる。 そして、このふたつの操作によって、正義など無縁の裁判がまかり通る。 つまり、 「正義を重視する良心的な裁判官は昇給に不利で、ゴマスリ裁判をする反民主的裁判官は早く昇給する」 と書かれています。 ですから、その年齢に差し掛かるベテランの部類の裁判官は、結果を出そうとして打算が働くのではないかと考えられるのです。 そのようなことは、弁護士がついている裁判より、本人訴訟のほうがやりやすいので、標的にされるのではないかと思うのです。 つまり、最高裁が国や行政に有利な判決を望んでいるということがうかがい知れ、ヒラメ裁判官が最高裁のご機嫌を伺うような判断をするために、裁判がほとんど形骸化しているのです。 自由心証主義の下に、客観的証拠に基づかないいいかげんな事実認定や判断が横行し、デタラメな裁判がされているのです。 そして、裁判所がそのような偏った判断をすることを熟知しているからこそ、検察も弁護士も、そして行政もいいかげんなことをするのです。 このような民主国家とは到底いい難い司法の構図は、今すぐ絶ち切らなければなりません。 その最も効果的な方法は、“裁判を正すこと”ではないでしょうか。 そのために、ひとつは最高裁自らが官僚的意識を変えること、そして、もうひとつは裁判所の判断を第三者がチェックし、不適格な裁判官にはペナルティーを科すなどの仕組みを構築することが、今すぐ必要なのです。 行政改革と真の司法制度改革、これらを同時進行で行わなければ、民主党政権の力量も半減します。
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