西松建設の違法献金事件に関し、米コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授(日本政治)が3月12日の朝日新聞で、「検察には説明責任がある」と主張していることについて、前回の記事で、私は、これを支持するという意見を述べましたが、このジェラルド・カーティス教授の主張に反論する形で、3月20日の朝日新聞「私の視点」で、さわやか福祉財団理事長、元東京地検特捜部検事の堀田力氏が、「検察に説明責任がない」ということを述べておられます。
今回は、この堀田氏の意見に対する私の率直な考えをお伝えします。 堀田力氏のお名前は、これまでテレビや新聞などで何度かお目にかかったことがあり、私の記憶の片隅にもありましたので、かなり有名なお偉い方でいらっしゃることには違いないと思いますが、 そのような方が、朝日新聞の記事のようなことを述べていらっしゃることに、私自身まったく失望しましたし、外国人のジェラルド・カーティス教授が、中立的な立場から論理的に、しかも、ていねいに検察の捜査に対する問題点を指摘されているにもかかわらず、その主張の本質を理解されていない堀田氏の反論に、日本人として恥ずかしく思いました。 さらに、ジェラルド・カーティス教授の主張に対する意見としては、ピントはずれとも言うべき堀田力氏の意見を、著名人であるからという理由で掲載したのか、あるいは世論の誘導のために掲載したのかどうかはわかりませんが、平然と掲載した朝日新聞にも、著しい違和感を覚えました。 堀田力氏の主張の要旨は次のとおりです。 違法献金事件 検察に説明責任はない
東京地検特捜部が捜査中の政治資金規正法違反容疑について、特に「(政権交代が取りざたされる)微妙な時期に」「形式犯で」異例の逮捕をしたからという理由で、検察には説明責任があるという主張がある(ジェラルド・カーティス教授の論述)。
しかし、以下の理由で、これらの主張は成り立たず、検察には説明責任がない。
政治資金規正法は、政治がカネの力でゆがめられることなく国民一般のために行われるようにしたいという国民の長い間の悲願に応える法律で、政治浄化のための適切な手段は、第一にカネの動きをすべて透明にして、選挙権を持つ国民の監視と判断に委ねることである。第二に、特定の利益を追求するための組織である会社等からの献金を禁止することである。この政治浄化の手段を迂回献金やダミー団体によってくぐり抜けたのでは、国民の監視は不可能になり、規制を破る行為は悪質である。
一方、個別の利益と結びつきやすい会社等から政治家個人に対する献金は、99年に禁止が実現した。
今回問題になっているこれらの規制は、国民の望む政治の実現のために重要な役割を担っており、その違反を「形式犯」の一言で軽視することは出来ず、容疑が発生した時は、万全の捜査を遂げ法廷で容疑の全容を明らかにすることが検察の任務である。
捜査の時期については、時機を失すれば解明ができなくなる恐れがあるので、端緒が得られれば進めるべきだ。
堀田氏の主張を一言にまとめるなら、政治資金規正法や政治家個人に対する献金の禁止は、政治がカネでゆがめられることなく国民の望む政治が実現するためには重要なので、その違反の容疑が発生した時には、検察は、時機を失することなく万全の捜査を行い真相解明すべきなので、検察に対する不信感につては、説明する必要がないというものです。
しかし、政権交代が取りざたされている微妙な時期に政治資金規正法違反という形式犯での逮捕、国策捜査の疑い、同じように西松建設から献金を受けている自民党議員への捜査がされていないことに対する不信感、マスコミの情報操作への疑念・・・・など、何割かの国民は、今回の東京地検特捜部による捜査に対して不信感を持っていることは事実なのです。
ジェラルド・カーティス教授は、 「このような国民の不信感に対し検察が説明しないことは、国民の政治不信ばかりか、国家権力に対する不信感を深めることになりかねず、この危険の重大性こそ、検察は認識すべきである 」と述べているのです。
つまり、国民の政治に対する不信よりも、国家権力に対する不信感のほうが危険で重大であるという主張なのです。
国家権力があくまでも公平・公正に使われていると国民に信じられることが、民主主義の絶対条件であり、ジェラルド・カーティス教授は、検察に対する不信感の払拭のために、検察が国民に対し説明責任を果たすべきだということに重点を置いて主張しているにもかかわらず、堀田氏は、このことについて、まったく応えていないのです。
明確に言えば、極一部の理性のある国民が国家権力に対し不信感を抱いている程度であれば、社会的な影響も小さいと思われますが、多くの国民や理性の欠落した国民が国家権力に対し不信感をもつに至った場合には、恐ろしい事態に陥ることは容易に想像されます。
その危険の重大性をジェラルド・カーティス教授は述べておられると思うのですが、この本質的なことを、堀田氏はまったく捉えていないのです。
この続きは、次回にしたいと思います。
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