前回は、裁判官のみなさんにおすすめの本ということで、「細野真宏の数学嫌いでも『数学的思考力』が飛躍的に身に付く本!」(小学館)を紹介しました。
裁判と数学のいったいどこが関係があるのかっていうことに関しては、詳しくお話していませんでしたので、今回は、そのへんのところをお話します。
この本の題名を見ると、数式がいっぱいの普通の数学の本を想像するかもしれませんが、すでに読まれた方はご存知のとおり、数式はほとんど出てきません。
また、数学的思考力というと、たいていの人は、複雑な計算ができたり、公式や定理を駆使して難しい応用問題が解けたりする能力のことで、“日常生活には、ほとんど関係ない” なんて思っていらっしゃるかも知れません。
しかし、この本での「数学的思考力」とは、 「物事の仕組みを一つひとつ整理して考えることのできる能力」と記述されています。
そして、その数学的思考力を、あらゆる分野に応用し、物事の本質を見抜くことによって、様々なことを正確に理解し、わかりやすく解説できることで、人を動かす力を身に付けることにもなるというように、数学的思考力の活用法にまで触れています。
この本の内容で、裁判をする際に、裁判官にとっても、また、当事者である原告や被告にとっても、特に重要であると、私が思った部分をまとめてみますと、
「一見すると正しそうであっても実は大きな矛盾のある論理は以外に多くあるため、素朴な疑問やつっこみによって論理を総合的に判断する『論理的洞察力』を用いて仮説と検証を繰り返し、情報の本質を見抜く」
というところだと思います。
どうやら、私の一審、二審判決には、これらのことが完全に欠落していたようです。
同様のことは、 『どうして裁判所は、一方の観点から検証しただけで安易に結論づけてしまうの?』 『二審のインチキ判決のわけ、実は、仲間(一審の裁判官)思いの“お情け”だったの?』 でも、すでにお話しています。
もっとも、裁判官がヒラメ性を発揮するために、あえて本質から遠ざかろうとしたのではないかという可能性も大きいのですが。
仮にそうであったとしても、素人の私に即座に論理の矛盾を指摘され、ネット上で公開される羽目になるということにまで考えが及ばなかったこと自体、世の中の本質を見抜けていないことになるのかも知れませんが。
以上のように、私は、生意気にも裁判官の判決を批判したわけですから、私の裁判での主張は、当然、パーフェクトでなければならないことになりますが・・・・
ということで、裁判が全く初めての私は、とにかく本に載っていた戦術のノウハウを忠実に実行するよう努めました。
相手(国)に付け入る隙を与えないように、矛盾がないかあらゆる角度から検証を重ね、細心の注意を払って論理を組み立てました。
事件としては複雑なケースであったとは思いますが、事件の経緯を記録していましたので、それに従って正直に主張を展開したまでのことで、主張に矛盾がなくて当然といえば当然のことなのですが・・・・
だからこそ、一審では、福島地裁いわき支部が採用した証拠が限りなく不適切ではありましたが、国を勝訴させる理由を、自由心証主義の下に合法的にかろうじて見つけたものの、控訴の際に私が、その判決理由をことごとく否定したため、国を勝訴させる理由が何ひとつ見つけられなかった二審の仙台高裁は、矛盾した論理と私の主張をねじ曲げたデタラメなものを判決理由として、犯罪行為に及ばざるを得なかったのでしょうけど・・・
「数学的思考力」、これは、鋭い洞察力で物事の本質を見抜くためにも、裁判官に必要不可欠な能力なのではないでしょうか
いっそのこと、司法試験に数学の試験を導入しては、いかがでしょうかね