ついに原発処理水の海洋放出が始まってしまいました。
沿岸部や近海でとれる新鮮で美味しい海の幸が安心して食べられなくなったり、人々に癒しや元気、楽しみを与えてきた風光明媚な海岸線や雄大な海洋が放射性物質で汚染されてしまうのかと思うと暗澹たる気分になります。処理水の海洋放出については賛否両論ありますが、当ブログは一貫して原発に否定的で処理水の放出についても反対する立場をとっており、そういう意思が形成された背景は、実は遥か前の18歳の夏にまで遡ります。大学1年のある教科の夏休みの宿題が、原発に関する指定された本2冊を読むことでした。
2冊とも似たような感じの本だったと記憶していますが、そのうちの1冊が、確か「原子炉被曝日記」というタイトルだったと思います。
原発作業員を体験したルポタージュで衝撃的な内容でした。
労働量といえば、通常は労働時間で管理されるのですが、原発作業員の場合は被曝した線量で管理されます。線量計を常に身に着け、作業時間が短くても規定の被曝上限に達したら仕事は出来なくなります。
ある原発で上限に達すると、そこの原発では働けなくなるので、健康が脅かされるという恐怖に苛まれながらも別の原発を渡り歩かなければならないというのが大まかな内容だったと記憶しています。原子力発電は作業員の被曝という犠牲のもとに成り立っている発電であること、放射性物質の恐ろしさを、この2冊の本から植え付けられたといっても過言ではありません。
夢と希望に満ちあふれ多感だった18歳の時にこれらの本と出合ったことは、その後の原発に対する考え方に深く影響を及ぼしていることは確かです。
今思えば、国策で進められてきた原発であるにもかかわらず、学生たちに、このような宿題を課した先生は、ずいぶんと勇気のある行動をされたと思いますし、学生たちに原発の実態を知らせ、それに対する考え方を指南することを意図していたとしたなら大成功だったのではないかと思います。ところで、短期間でしたが、医療廃棄物の処分依頼、事務手続きに、つい最近まで携わっていたのですが、原発処理水の海洋放出と対比して考えさせられることがあります。医療廃棄物については、それぞれの種類に応じて専門の業者に引き取ってもらいます。
引き取った業者からは、いつ、どれだけの量の廃棄物を受け取り、中間的にどこの業者を経由して、最終的にどこの業者が処分したかということが記録されているマニフェストと呼ばれる伝票が医療機関に配布されます。それを医療機関は年度ごとにまとめ、翌年度の5月ごろに県に報告することが義務付けられており、それを怠れば罰則が科せられます。
原発処理水に含まれるトリチウムを海水で基準値以下に薄めて海洋に放出するということが許されるのであれば、劇薬・毒薬だろうが病原菌だろうが海水で薄めて海に流せばよいということになりかねません。
明らかにダブルスタンダードというべき状況です。
一般企業でしたら一時的な汚染水の放出であっても海洋汚染等防止法違反で処罰されることになりそうです。
ところが、原発処理水の放出は30年といわれておりますが、デブリの取り出しも一向に進まず廃炉の見通しが立たない状況では更に長期間にわたることが危惧され、それが政府のお墨付きで行われています。
政府は、最低限、この違いをしっかりと国民に説明すべきですし、それができないのであれば海洋放出以外の別の方法を検討すべきです。