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Archive | 2009年04月

合議体で判断が食い違った場合 誰の判断が優先されるの?

04/28
前回の記事では、痴漢冤罪裁判にせよ、私の国家賠償訴訟にせよ、新たな証拠や事実が何も出されていないにもかかわらず、判決や判決理由が、前の下級審の判断とまったく異なってしまったということをお伝えしました。

上訴審で判決が覆ったり、判決理由がまったく異なってしまったこれらふたつの裁判(痴漢裁判では一、二審,国家賠償訴訟では一審)に共通していえることは、被害者あるいは被告一方の供述(証言)のみを証拠として採用し、鑑定結果や書証などの客観的証拠をまったく無視している点にあります。
ですから、このような裁判が行われた場合、判決は、裁判官の主観に左右され易く、判決を恣意的にコントロールすることが可能になるのです。
これらふたつの裁判において、供述(証言)のみを証拠として採用するという、極めて誤判のリスクが高い手法をとったことについては疑念を抱かざるを得ませんが、司法が、一応三審制をとっており(最高裁が、すべての事件の裁判資料を読んでいるかどうかは疑わしいため“一応”をつけますが)、厳正な判断を求められる機会が複数回保障されているので、判決が覆ったり、判決理由が異なってしまうことは十分あり得ることです。
しかも、裁判官は自由心証主義のもとに判断するので、私が一審の証拠採用の妥当性や事実認定の不審さを非難するだけでは、単なる素人の思い込みとしか受け取られかねません。


刑事告訴の対象となった二審判決は当然非難されるべきものであるとしても、それだけにとどまらず、一審判決まで、自信たっぷりに私が批判するのには、それなりの理由があるからなのです。

それは、裁判が途中から合議体になり変則的であったことに加え(詳細は後述)、裁判長と担当裁判官との意見の食い違いが、はっきりと読み取れたからなのです。

二審については、たった一度の口頭弁論で結審となりましたので、裁判の流れを把握する機会はなく、どのような経緯で判決に至ったかは、まったくわかりませんでした。
ところが、一審は、5回の口頭弁論、3回の弁論準備手続き、証人尋問、判決という経緯を辿りましたので、その裁判の進行状況、裁判官の発言や表情、被告当事者や代理人の様子などから、それぞれの裁判官の考えや裁判の成り行き、判決に至る流れが読み取れました。
また、裁判が始まった当初は単独の裁判官で行われており、裁判の方向性がほぼ決まりかけたところで、その裁判官が転勤になり、それ以降は、新たな3人の裁判官の合議体で行われました。


素人であることに配慮してくださった裁判官がいる一方で、提出した書面を本当に読んでくれたのかどうかと疑問を感じた裁判官、裁判長と担当裁判官との判断の隔たり・・・・・
(これまで、国家賠償訴訟については、大局的な見地から論じることが多く、私の裁判にかかわった裁判官のほとんどがヒラメであるかのような印象をもたれている方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。)
さらに、一審判決に至るまで1年9ヶ月を要したわけですが、判決直前までの裁判の流れとは、まったく異なる予想外の判決、さらに、最も想定外の証拠の採用・・・・・
一審の福島地裁いわき支部判決には、様々な要素が含まれていて、判決に関しては不信感と疑問ばかりが残りました。


その疑問のひとつは、合議体で裁判官の判断が異なったとき、いったい誰の判断が優先されるのでしょうか(?)ということです。
裁判長の判断であるのか? それとも、提出された書面や資料にていねいに目を通した担当裁判官の判断であるのか?


私の一審では、裁判長の判断が優先されました。
そして、それは、裁判で国が提出した資料等から労働基準監督署を巡る一連の事件の真相を知ることができた私にとっては、真相とまったく相反する判決であったのです。
つまり、裁判で提出された国の書証等から、事件の真相を、私は、ほぼ把握することができたわけですが、裁判所の判決は、まったく真相を捉えていなかったということになります。


このような結論に至ったことについては、合議体の裁判の意義についても疑念を抱かざるを得ません。
もしかしたら、不当判決の責任を分担するために存在するのではないかと・・・

そうなると、裁判員制度も、死刑判決のような重大な責任を国民に押し付けるための制度ではないかと思えてなりません。
 
 一審の裁判における詳細については、次回から、数回に分けてお伝えしたいと思います。

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痴漢冤罪裁判との共通点 (一躍ヒーローになった最高裁第三小法廷ではありますが・・・)

04/21
電車内で女子高校生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた名倉正博防衛医大教授の上告審判決で、最高裁第三小法廷は、先週14日、懲役1年10ヵ月の実刑とした一、二審判決を破棄し、無罪を言い渡しました。
最高裁判決後のテレビや新聞の報道では、『このケースでは目撃証言などがなく、証拠は女子高校生の供述だけであった。他の痴漢事件でも同様なケースが多く、検挙件数が増加している一方で、無罪になるケースも続出。』 として、痴漢事件の捜査や裁判の難しさを強調しているようでした。
そのときは、事件について、それ以上の詳しい事情を知りませんでしたので、無罪になった名倉教授には同情しつつも、仕方のない状況だったのかと思っていました。
ところが、19日のサンデープロジェクトに出演された名倉教授と弁護士の秋山賢三氏が話していた詳細な事件や裁判の状況を聞いて、あることに気がつきました。
それは、刑事と民事との違いこそはありますが、判決を導き出すための手法が、私の国家賠償訴訟のときと共通していたことでした。


共通点を列挙します。

① 客観的証拠に基づいた事実認定をしていない。
(痴漢冤罪裁判)
名倉教授の手から採取した検体のDNA鑑定をしたが、検察はそのような都合の悪い証拠を出さなかったし、裁判所も証拠を出すよう指示もしなかった。着衣の繊維鑑定では、犯行を裏づけるような証拠が得られていないにもかかわらず、証拠採用していない。
(国家賠償訴訟)
私が提出した書証や国が提出した書証には、私の主張を裏づけるものが多数あったが、完全に無視し採用しなかった。

② 供述のみを証拠として採用している。
(痴漢冤罪裁判)
有罪判決を出すために有利な被害者の供述のみを採用している。
(被害者は、検察と詳細、入念な打ち合わせをしており、単純なケースであるので、普通の能力を備えていれば、本当らしく、具体的、詳細、迫真的に供述することが可能であるとして、最高裁では疑いの余地があるとされた。)

(国家賠償訴訟)
一審判決において、国の主張が二転三転しているにもかかわらず、書証をまったく無視し、国の証人(加害公務員本人)の証言のみを証拠として採用している。
しかも、国の二人の証人は、嘘をもっともらしいストーリーに作り上げ、よく暗記したせりふを述べているという感じであった。


※ 共通していることは、結論がはじめから決まっており、それに合わせて証拠を採用していると思われる。

③ (痴漢冤罪裁判) (国家賠償訴訟)双方に共通していえることであるが、結論を導くための論理が、あらゆる角度から検証されることはなく、不自然であったり不合理な点があっても、もっともらしいある一側面だけを捉えて結論づけている。

④ 新たな事実や証拠が出されていないにもかかわらず、判決や判決理由がまったく変わってしまう。
(痴漢冤罪裁判)
一、二審が、被害者の供述をそれぞれ、十分信用できる、詳細かつ具体的であり疑問をさしはさむ余地がないとして有罪判決を下したが、最高裁は、信用性については、なお疑いを入れる余地はあるとして無罪を言い渡した。
(国家賠償訴訟)
一、二審判決ともに棄却ではあったが、判決理由がまったく異なった。
一審では、1年9ヶ月に及んだ裁判であったにもかかわらず、最終の裁判で行われた証人尋問の国の証人の嘘の証言を基に、事件の内容にはまったく触れることなく棄却とし、二審では、多少内容に触れたものの、判決理由が矛盾していたり、“裁判官により作られた控訴人の主張”が判決理由とされた。


以上のことより、これらふたつの裁判に共通して言えることは、これまでのブログの中で何度もお伝えしてきたことではありますが、 判決が、裁判官の主観に左右され、客観的な証拠に基づかない非科学的な手法によって、合理性の欠落した判決が導き出されているということです。

このような共通点のある痴漢冤罪裁判と国家賠償訴訟ではありますが、唯一の違いといえば、最高裁で取り上げられたことと不受理になったことでしょうか。
名倉氏が、防衛医大教授ということで、仮に職務にかかわる事件であるのなら、国に保護される立場の方であるとか、話題になった映画 『それでもボクはやっていない』 のモデルになった秋山弁護士が代理人であったことなどもあり、社会的にも注目され、最高裁の目に留まったのかどうかはわかりませんが、私としては、 「法の下の不平等」 を痛感しています。
これは、最高裁の注目の仕方にのみ焦点をあてたもので、名倉教授の無罪は確信していますのでお間違えなく・・・・


 最後に一言
逆転無罪という極めて妥当な判決を下し、一躍ヒーローになった第三小法廷の裁判官のみなさんではありますが、私のデタラメの仙台高裁判決を確定させ、昨年、刑事事件として立件された(根拠もなく不起訴処分にされてはいますが)方々であることは、くれぐれもお忘れなく。


“見せ掛けの民主国家”日本の変革は真実のネット情報から

04/15
4月8日の朝日新聞に、「『人肉捜索』中国熱狂」という見出しがありました。
中国語に疎い私は、一瞬、人食い人種か何かの記事なのかと思いましたら、サブタイトルに「個人情報 ネットに暴露」、小見出しに「腐敗役人つるし上げ」 「悪用され殺人事件も」とありましたので、何のことが書かれているのか、おおよその見当がつきました。


キーワードとして
人肉捜索 「人肉」は中国語で「人の力で」という意味合いがあり、「捜索」はネット検索を指す。必要な情報をみんなで探し出し、公開するという意味の造語。(以下省略)

リードには、次のように掲載されています。
標的にした人物の個人情報をインターネット上で大勢がよってたかって暴き出す「人肉捜索」が中国で論議を呼んでいる。政府統制化の既存メディアが報じない不祥事や腐敗があぶり出され「世直し」につながる一方、思わぬ中傷や非難を浴びる市民も続出。「両刃の剣」に、当局は規制強化に動き、市民は反発している。

「腐敗役人つるし上げ」の例では
「○○(ある人物)を追跡せよ」とネット上の掲示板に書き込みがあった。
市民の反発を招いた発言をしたこの役人に関する情報提供を求めたところ、高級品を使用している写真や情報が掲載され、非難が集中。市規律検査委員会が調査を始め、公金による高級たばこの購入や数十万元の収賄容疑などが判明し、共産党籍と一切の公職を奪われた。


「悪用された例」では
女性に振られ連絡を絶たれた男性が、うその書き込みで情報提供を呼びかけ、殺人事件に及んだ例や、些細なことから市民が標的にされ中傷された例など。

「中国では新聞やテレビは共産党・政府の統制下にあり、権力の腐敗や不祥事の報道には消極的。市民が比較的自由な言論が期待できるネットに「真のニュース」を求める。」と記事には記載されていますが、“中国では”というこの表現に、私はとても引っかかりました。
“(新聞やテレビが)権力の腐敗や不祥事の報道には消極的。市民が比較的自由な言論が期待できるネットに「真のニュース」を求める。”というののは、日頃、ネット上のブログや書き込みをご覧になっているみなさんは、すでにおわかりかと思いますが、日本も、まったく同様です。


相違点といえば、中国では“新聞やテレビが共産党・政府の統制下にある”ということが公にされているのに対し、日本では、建て前は表現の自由が謳われている民主国家であっても、既得権を得ている見えない国家権力によって支配されているということです。
病気にたとえるのなら、中国のように体の表面に現れている症状なら(新聞やテレビが共産党・政府の統制下にある)、すぐに対処することができますが(ネットに真実を求めるとか)、日本のように体の内部に病巣があり、外部からはまったくわからず一見健康そうでは(建て前は表現の自由が謳われている民主国家では)、病巣が治療されることもなくじわじわと広がっていくのです。
つまり、民主国家であると信じている日本の国民は、マスコミや政府の言うことを疑いもなく信じ、社会が間違った方向に向かっていることさえも気がついていないのです。
ですから、日本のほうがより重症になる危険性をはらんでいます。
西松建設の違法献金事件の報道からも明らかなように、実際に、かなり多くの人々が新聞やテレビの報道が正しいと信じているために、世論誘導されてしまっているのが現実です。


人肉捜索に加わる男性は「政府やメディアが解決できないことも解決できる。社会的責任だ。」と話しており、中国青年報は「通常の方法が通じない状況では市民はネットの強大な力を使って権力を監視するしかなく、人肉捜索はその主要な手段となった。」と報じています。

中語の例のように、一般市民が些細なことで標的にされ中傷されたり、公務員であってもすぐさまネット上で非難の対象にされたり、行き過ぎた個人情報の暴露は慎むべきです。
しかし、行政や裁判に訴えるなど適切な手段をとっても不当な扱いを受け一向に解決の見通しが立たないときには、躊躇せず行動すべきです。


国家賠償訴訟で、デタラメ判決が確定された私は、こんなことが許されてはならないという思いから裁判官らを刑事告訴し、この事実をより多くの方に知っていただく目的でブログで公開しています。
国家権力が正しく機能しておらず、どうすることもできない状況であるから、解決の一手段として、その救いの手を社会に求めているのかもしれません。
私を含むネット上で“真実の情報発信”をしている多くの人々は、権力に対する抗議の意味合いで、まさに人肉捜索のようなことを社会に期待しているのかもしれません。


ネットをあまり利用しない人や政治や社会に関心のない人、問題意識の低い人は、民主国家というイルージョンの中で既存メディアの報道を信じ、ネット上の情報には見向きもしません。
また、陳腐な考えのお役人は、情報網の発達に対する認識が甘く、高をくくっていることでしょう。
ですから、今のところ表立った動きはありませんが、近い将来、中国のような状況に発展する可能性は十分にあります。

真実を発信しているネット情報が優勢になり、デタラメなことをしている役人たちが罰せられ、社会が変革することを待ち望んでいます。

 “国策捜査” “情報操作”の問題が取りざたされている今こそ、そのことに気がつくチャンスなのです。

二審の裁判長が依願退官!刑事告訴との因果関係は? 

04/09
西松建設の違法献金事件では、マスコミの偏向報道が批判され、新聞等で報道されていることが必ずしも信頼できる情報でないということの認識が、国民の間にも広がりつつあるようです。
それでも、新聞には、紙面を広げるだけで一度にたくさんの情報に触れられるよさもあり、その中で見つけたのが次の記事です。


3月末の新聞の隅に、最高裁人事が掲載されていました。
それによると、仙台高裁の裁判長(裁判官が作り上げたデタラメな控訴人の主張を根拠に、判決(確定)を結論づけた。)が依願退官されたようです。
もちろん、私の刑事告訴との因果関係については知る由もありませんが、私としては、とても複雑な心境です。


以前にもお伝えしたとおり、私の裁判の担当だった裁判官がニュースや新聞記事に出てくると、とても嫌な気分になります。
それは、犯罪行為を行った裁判官が、いまだに誰かを平然と裁いていることに強い憤りと不快感を覚えますし、また、テレビや新聞で報道され世間から注目されるような裁判のみが厳正に裁かれているとしたら、余計怒りと悔しさがこみ上げてくるからです。
しかし、 これからは、少なくとも高裁判決に関しては、そのようなことで心が動揺することもなくなるかと思うと安堵感を感じます。
また、多くの時間や労力や費用を費やして裁判を行ったにもかかわらず、デタラメ判決を下され、現状では、それが修正されるめどもつかず、私は著しい精神的苦痛を感じているというのに、本来なら、起訴され、断罪されるべき裁判官が、何事もなかったように円満に退職することに対して強い憤りを感じます。
さらに、一審の福島地裁いわき支部判決では、客観的証拠を無視したいいかげんな事実認定をしており、その延長線上に二審判決があり、その一審判決の巻き添えを食ったとも考えられ、ある意味、被害者であるということに対しては気の毒に思いますし・・・・・
様々なことが、私の心の中で交錯しています。


裁判は合議体で行われましたので、裁判官個人の責任にしてしまうことには問題があると思います。
しかし、3人のうちの誰一人として、判決理由の矛盾やデタラメに気がつかないというのは、理解しがたいことですし、ある裁判官が、判決の矛盾やデタラメに気がつき指摘したとしても、控訴人は素人だし気がつかないだろうなどと考えて、訂正せずにそのまま押し切ってしまおうと示し合わせたのであれば、常識的に考えて、トップの責任は重大であると思います。


私の刑事告訴が、裁判官の退官に影響を及ぼしたかどうかは、私も気になるところであり、何かヒントにでもなればと思い、裁判官の経歴を調べてみました
過去10年ぐらいの経歴がネット上のあるサイトで公開されていました。
最高裁判所調査官をはじめ、大きな裁判所ばかり渡り歩く、エリート裁判官だったようです。


 ここで気になることがあるのですが、最高裁判所調査官の経験があり、最高裁の内部事情を知っている裁判官が、二審でデタラメ判決を下したということは、最高裁では、裁判資料がろくに読まれていないということをご存知だったからじゃないかって、つい考えてしまうのですが・・・・・

最高裁が仙台高裁判決の違法性を認識していながら、ひたすら隠し通そうとしているようでなりません。
[ それは、ストーカー判事の事件のように、裁判官個人の責任で済むような問題ではなく、三審制の司法の問題点、最高裁の欺瞞を自らさらけ出すことになり、これまでの司法の信頼を根底から覆すことになりかねないからではないでしょうか。

政権交代は ある種の名誉革命!

04/01
前回の記事では、西松建設の違法献金事件を巡る検察の捜査に関連し、国民の政治に対する不信よりも、国家権力に対する不信感の危険性こそ重大であるというところで終了しましたが、さらに発展させて考えてみたいと思います。

国民の政治に対する不信は、一応、議会制民主主義の形態をとっている限り、国民の意思によってある程度変革することが可能であると思われますが、国家権力に対する不信は、時として個人をターゲットに、その周囲に及ぶ取り返しのつかないダメージを与えるだけでなく、国家権力による行為が明らかに誤っていたとしても、国家権力が自らその誤りを認めない限りは、誤りを修正させることは、ほとんど不可能であるということが最も恐ろしいことなのです。

私は、国家賠償訴訟の経験から、国家権力の暴走の恐ろしさを痛感しています。
二審判決で、デタラメの判決理由が書かれ、上告不受理により、デタラメの判決が確定されてしまいました。多くの時間と費用と労力を費やしたにもかかわらず、何のための裁判であったのかという疑問は解消されることはありません。
それを解決する唯一の手段として、民事訴訟法に従い、裁判官らの刑事告訴、有罪、再審というシナリオを描いたわけです。
それで、裁判官らを仙台地検に刑事告訴したのですが、検察は、立件はしたものの、「嫌疑なし」という根拠のない理由で不起訴処分としました。
さらに、検察審査会に申し立てをしても、仙台地裁のおひざもとの検察審査会は、不起訴処分相当の議決をしました。


控訴棄却の判決の趣旨に合致するように、 “裁判官らによって意図的に作り上げられた控訴人の主張(行政関与の部分が完全に削除されたもの)”が判決理由とされてしまいました。そして、そのことが、控訴理由書と二審判決書というふたつの客観的証拠によって証明できることであっても、国家権力が正しく機能しない限りは解決する術がないのが現状なのです。
少なくとも、自民党政権が継続し、裁判所、検察、行政、マスコミなどの既得権の恩恵を欲しいままに享受している一部の者たちが連携し、かばい合っている以上は、変わらないと思っています。

非合法な手段を行使した国家権力に対しては強い憤りを感じていますが、私には理性が働いていますので、合法的な手段での解決策を探っている状況です。
しかし、仮に、強い怒りに理性を失った人々や国家権力に不信感を持っている多くの人々が、合法的な手段で解決することは、もはや不可能であると認識し、徒党を組んだときには、社会全体が恐ろしい事態に陥ることは、これまでの世界中の歴史からも明らかです。
不合理な社会への批判は、市民を団結させ、特権階級との武力衝突に発展するという、まさに革命前のような状況になりかねません。
そこまでいかなくても、国家権力に対する不満が蓄積した社会は、テロの危険性も高まり、治安の悪化も懸念されます。
昨年11月の元厚生事務次官宅への襲撃事件は、年金問題に対する国民の怒りと重なり、テロではないかと警戒されたことは記憶に新しいと思います。


社会に対する国民の批判や不満を平和的に緩やかに解決する手段として、政権交代が望ましいと考えます。
ですから、政権交代はある種の名誉革命(流血をみないで統治者が交代した1688年のイギリスの市民革命)ともいえると思います。
その国民の動きを、国家権力である検察が潰そうとしているわけですから、極めて憂慮すべき事態です。


これに関連したことを、北海道大学の山口二郎教授(政治学)が、3月26日の朝日新聞「私の視点ーワイドー」で述べておられますので、ご紹介します。

 どんなに偉い方の主張であっても、私は、けっこう冷ややかに批判的に見てしまうところがあるのですが、この山口二郎教授の意見には、素直に共感できました。(全文を掲載します。)


小沢氏秘書起訴
まず民主党が動きを起こせ


小沢一郎民主党代表の公設秘書が逮捕、起訴された事件は、日本の政党政治が国家統治の中での従属変数でしかないことを改めて示した。検察という官僚組織が政治的に中立でないことは、今までの政治家に絡む事件を見れば明らかであった。今回、検察は総選挙直前というタイミングでその政治性を発揮した。民主政治を支えるはずの世論も、検察とメディアの手にかかれば簡単に変えられる。

半世紀以上も日本を統治してきた自民党政権がまさに落城寸前なのだから、旧来の体制に安住してきた人々はたいへんな危機感を抱いているに違いない。政権交代がまさに権力の奪い合いであるという政治の現実を思い出させてくれたことは、この事件の第一の教訓である。政権交代を起こそうとする民主党に対して、この種の邪魔が入ることは考えてみれば当然である。それにへこたれているようでは、政党として未熟である。
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プロフィール

ろーずまりー

Author:ろーずまりー
趣味にスポーツにと、平凡な主婦の生活を送っていましたが、夫の長時間労働を労働基準監督署に相談したことをきっかけに、その生活は一転。行政の理不尽な対応に、自ら国家賠償訴訟をすることに。
理系の出身ですが、知的好奇心に駆られた私は、法律関係の勉強に、けっこうはまってしまいました。
中立性に欠ける国家賠償訴訟の実情を、より多くのみなさんに知っていただきたいと思い、ブログを開設いたしました。

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