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Category | 政治と司法

鈴木宗男氏の外務委員長就任は、歪んだ司法判断への決別姿勢かもね!

09/21
新政権と司法の関係でどうしても触れておきたいことがありましたので、今回は、この話題にします。

それは、2002年に斡旋収賄事件で逮捕され、一審で懲役2年の実刑、二審で控訴棄却の判決を受け、最高裁に上告している刑事被告人の鈴木宗男議員が衆議院の外務委員長へ就任したことです。

この報道を知って、自民党政権の下での歪んだ国家権力に対する新政権の気迫のようなものを感じました。

事件当時、テレビ報道で見る鈴木宗男氏というのは、選挙カーから降りて、笑顔で手を振りながら大またで走り回る姿、大粒の涙を流しての記者会見、「疑惑のデパート」 「疑惑の総合商社」 と国会での辻元議員からの追及・・・・
喜怒哀楽の激しい小熊のようなおじさんというマスコミにより作り上げられたイメージしか私にはありませんでした。
そして、そのころ、まだ司法やマスコミを信頼していた私は、犯罪の疑いが濃厚という印象を根拠もなく抱いていたのです。


ところが、私の抱いていた悪いイメージを一気に払拭してくれたのが、鈴木宗男氏の著書「汚名(講談社)」でした。
 日本の外交に誰よりも貢献し、特に北方領土の返還問題には、なくてはならない人物であること。
外交機密費で私腹を肥やしたり、特権を享受しては国益を踏みにじる外務省の官僚たちの実態を知り尽くし、その後始末をすることで外務省に強い影響力を持っていた鈴木宗男氏が、マスコミや官邸を見方に取り込んだ外務省によって、罠にはめられてしまったこと。
捏造された数々の疑惑で、無実の人間を、いとも簡単に犯罪者に仕立て上げる歪んだ国家権力に、改めてこの国の闇の世界の恐ろしさを感じました。


そもそも、私の国家賠償訴訟に関する一連の事件を通して、行政の機能不全や偏った司法判断を痛感し、民主国家とはいえない行政、検察、裁判所の癒着構造を認識していた私は、鈴木宗男氏が著書に書かれていることに素直に共感できました。

鈴木宗男氏と同じように国家の罠にはめられたと思われる人物に植草一秀氏がいます。
その数ヶ月前に読んだ植草一秀氏の著書「知られざる真実(イプシロン出版企画)」には、私が思い描いていた闇の世界より、さらにスケールが大きく複雑で狡猾な利権を巡るせめぎ合いが書かれていました。
驚きとともに共感を覚えた私は、是非多くの人々に、この現状を知っていただきたいと思い、Amazonに下記のようなレビューを投稿しました。

 
87  サイトを巡っているときに、たまたま植草氏のブログに出会いました。
専門的な知識、緻密な情報、鋭い洞察、主張されていることに共感できました。
あるとき、数年前、痴漢事件で世間をにぎわした植草氏であることに気がつきました。
もしかしたら、あれは冤罪事件だったのでは?
関心を持った私は、さっそく、この著書を読んでみることに。政府の中枢にかかわりがあった著者だからこそ伝えられる政治家や官僚、さらには海外の首脳、国内外の金融機関、巨大企業との利権を巡るせめぎ合い。そして、政策が国内経済に及ぼす影響、メディアを巻き込んでの情報操作、国家権力の横暴・・・・
興味深い事実に、一気に読破しました。
また、それら巨大資本の流れとは対極的立場にある弱者に対する愛や慈しみにも感銘を受けました。
著者が国家中枢の内幕を知り尽くし、それを指摘しようとしたからこそ国家の謀略にはめられたのではないかという疑念は、巻末資料の事件の経緯や不自然な警察の捜査手法、客観性の欠落した判決から推論されます。
日本の政治や経済の実情と問題点、民主国家とは到底言いがたい国家権力の腐敗が如実に表現されており、期待した以上の価値のある一冊でした。
是非、たくさんの方に読んでいただきたいと思います。

同じような経緯をたどった方は、おふたりのほかにもたくさんいますが、彼らに共通していえることは、自民党政権の下で、国家の闇を暴こうとした者は、無実の罪で司法によって断罪されるという怖ろしい現実です。

 そのことを民主党政権は、しっかりと見抜いているのではないでしょうか。

 新政権は、これまでの自民党政権下での歪んだ司法判断を重視しておらず、臆することなく鈴木宗男氏を外務委員長にして、北方領土問題への期待を託したのではないでしょうか。

 この鈴木宗男氏の委員長就任は、もしかしたら自民党政権の下、ずっと続いてきた歪んだ司法判断への決別姿勢と受け取ってよいのかもしれません。



   

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メディアによる世論誘導の手法

07/20
投稿サイトの「阿修羅」で、たまたま目にした記事に、政官財の癒着に関する記事がありました。
その記事の中に司法官僚の天下り先が列挙されており「歴代検事総長が電通に天下りしてる」というワンフレーズに、少し前に読んだ本 「官僚とメディア (魚住 昭著 角川書店)」 のことが即座に思い浮かびました。


裁判員制度導入に向けた最高裁と新聞社の共催によるタウンミーティングに、サクラが動員されたことは、みなさんも記憶に新しいと思います。
それに関連したことが、この本の最終章「第8章 最高裁が手を染めた『二七億円の癒着』」に書かれています。


一言で言えば、国民の多数が消極的であった裁判員制度が、最高裁と日本最大の広告代理店である電通とが結託した大規模な世論誘導プロジェクトによって成し遂げられたのではないかということです。(この本の初版が、裁判員制度導入前の2007年4月なので、今となっては過去形になってしまいます。)
大がかりな世論誘導プロジェクトには、当然のことながら巨額の予算が動くわけで、最高裁と電通が癒着して、総額約27億円(05年度と06年度分の合計)の広報予算が、不透明な経過で支出されているのではないかという事実が明らかになったということなのです。


30ページほどの内容を短くまとめるので要点だけになりますが、項目に分けて簡単にまとめてみました。

① 裁判員制度が生まれる背景
裁判員制度導入を目玉とした司法制度改革は、もともと経済界と自民党が主導したものであったが、刑事裁判の迅速化と効率化だけが強調された。
裁判員制度の実態も、「開かれた司法」「市民参加の裁判」というキャッチフレーズからはかけ離れ、判決の過半数に裁判官と裁判員の最低1名が入っていないといけないとか、控訴審には裁判員制度が導入されないなどの理由で、米国の陪審員制度(12人の陪審員だけで結論を出し、一審で無罪になった事件は控訴できない。)と違って、市民の自主性は発揮されず、裁判官たちの主導権が失われることもない。
また、国民の多数ばかりか、司法関係者も内心では受け入れがたいと思っている。


② それぞれが狙う利権
裁判員制度導入に向けた巨額な広報予算を獲得したい電通、共同通信、全国地方新聞と、裁判員として参加することが国民の義務であるという裁判員制度に対する前向きな世論の醸成を図りたいという最高裁の思わくが「四位一体」となり巨大プロジェクトが行われたというものだ。

ここで、電通、共同通信、全国地方新聞との関係を簡単に説明すると次のようになる。
日本最大の広告代理店・電通の大株主が共同通信社であり、共同通信社は47地方新聞(47紙の発行部数を合わせると読売の2倍近い1800万部近くになり、影響力を無視できない。)に記事を配信しており、また、共同通信社は、取材を通じて政官財界とのつながりがある。
新聞は収入の半分以上を広告に頼っており、電通の強い影響下にある。


③ 巨大プロジェクト推進のための手段
電通、共同通信、全国地方新聞、最高裁の四位一体が世論を誘導するための手段としたのが、広告と“偽装記事”を抱き合わせた「パックニュース方式」というものである。
簡単に言えば、有料の最高裁の広告と同じ紙面上に、電通の指示で全紙同じ規格で掲載される無料の裁判員制度についての社会面記事や特集記事をオマケでつけるというものだ。
本来なら、【PR】とか【裁判所の広告】といった断わりがなければならないが、あえて明記しないことで、官庁や裁判所と一線を画して、新聞社の編集に基づく独立性・中立性のある記事であるということを思い込ませ、世論形成をしようというものだ。
(同じようなことが、原子力発電所の安全性や必要性を訴えるイベント開催でも行なわれている。)


パックニュース方式を使って政府系広報の予算をとろうとしたのが電通と地方紙連合(巨額の政府広報予算を獲得するために47地方紙が結集して設立した任意団体。)で、電通が、豊富な人脈を築いている共同通信社を通じて官庁に食い込むだけではなく、共同通信社が主催する研究会や勉強会を通じて、地方紙の論説委員や編集幹部クラスをも取り込むことで、報道機関である地方紙や共同通信を政府の広報期間として利用し、巨大な世論誘導システムの構築を目論んでいるというものだ。

 裁判員制度については、国民の議論が分かれており、その制度の問題点を指摘する立場にある新聞社が最高裁と一体化してタウンミーティングを開いたこと自体ジャーナリズムの常識を外れていることで、この国の司法とメディアの世界には、想像以上に深い闇が広がっている。

大まかな内容は以上のようなものですが、このほかにも、最高裁が電通と癒着して、判例違反の「さかのぼり契約」を結び、税金を濫費していたなど、契約に関する不審な点が多くあり、詳しいことは本書をご覧ください。

 天下り等による癒着構造と、一部の企業の利権獲得のために、国民の多くが望んでいない中途半端な制度が、メディアによって世論誘導され、いとも簡単に実現されていくという過程に恐ろしさを感じましたし、癒着構造が解消されない限り、利権が絡む同じようなことが繰り返され、この国が、さらに歪められていくことを危惧しています。

 この記事に関連して、裁判員制度、最高裁の判例違反に関する過去の記事を、ご紹介しておきます。
「裁判員制度を導入する前に もっとやるべきことがあるのでは・・・・」
「なぜ凶悪事件に裁判員制度なの? ~私の推論ですが~」
「最高裁判所自らが判例違反をしているんじゃないの!」



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最高裁は判例違反の“常習犯”!

07/27
前回「官僚とメディア (魚住 昭著 角川書店)」の中からご紹介した記事(国民の多数が消極的であった裁判員制度が、最高裁と日本最大の広告代理店である電通とが結託した大規模な世論誘導プロジェクトによって成し遂げられたのではないかというの記事)については、アップした翌日、さっそく最高裁からアクセスがありました。
これまでも、最高裁と直接関係のある記事をアップした後には、必ずといっていいほどアクセスがあります。
世論誘導プロジェクトを実行するだけあって、さすがに国民の情報発信には神経を尖らせている様子ですね。


インターネットの発達により、国民の一人ひとりが情報発信できる環境が整い、以前は公にならないような裏の情報・真実の情報が、多くの人々の間で共有されるようになってきました。
とは言いましても、いきなり、「国家賠償訴訟は形骸化しており、始めから結論ありのインチキなのだ。」とか、「最高裁では、ごく一部の事件の裁判資料しか読んでいないはず。(物理的に無理です。)」なんて言ったところで、すぐには信じてくれない人も、少なからずいます。
社会的な問題意識の高い人や、実際に裁判にかかわったことのある人なら共感してくれるとしても、日頃から関心の薄い人たちにとっては、信じがたいことなのです。


ですから、最高裁が、タウンミーティングなどを通じて裁判員制度に向けての世論の醸成を図ったと同じように、司法の実態を知っている者は、裁判が必ずしも公正・中立に行なわれていないということ、だからこそ、国民が権力を監視する必要があるということを社会全体に浸透させ、国民の意識を変えていかなければなりません。
その一翼を担うためにも、私は、裁判での体験を基に、ブログで情報発信しています。


今回は、その“世論誘導”の一端として、最高裁が行なっていることは常に正しいとは限らないこと、ハッキリ言えば、最高裁が法規範を守らずデタラメをしているということを、前回の記事でも紹介した「官僚とメディア (魚住 昭著 角川書店)」の中からお伝えします。

裁判員制度導入のPRのために、最高裁と電通などの広告代理店との間で結んだデタラメ契約に関することです。

2007年2月14日の衆議院予算委員会での、保坂展人衆院議員(社民党)の追及に対する最高裁事務総局の小池裕経理局長の答弁を中心に、最高裁がデタラメ契約の実態を認める様子が、生々しく書かれています。
そのときの様子は、保坂元議員の下記のブログでも取り上げられており、これらをまとめると次のようになります。


http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/40fe990973717195d5a41d4832179f92
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/a505a99d3787f5168cb251ae480e2f74

 不審な契約の実態
 ① タウンミーティング開催のために電通と結んだ契約について
(見積書・契約書・請求書ともに3億4126万8900円)

 契約日・・・2005年9月30日
 第1回タウンミーティングの開催日・・・契約の翌日の10月1日
 契約書の文面・・・イベント請負契約には使われるはずのない用語が使用されて
 おり、裁判庁舎の補修などの契約書式を流用したようだ。
   
② 仲間由紀恵さんを使った中堅広告代理店とのキャンペーンの契約(総額約6億円)
 契約日・・・2006年10月20日
 全国紙の全面広告に掲載された日・・・契約の4日後の10月24日

③ PRのために作成した映画『裁判員』の契約(7000万円)
 未契約のまま映画が出来上がった。
 「未契約」であるにもかかわらず、ホームページには、契約日を9月25日と載せた。


①②について、注目すべきことは、契約日が実施日の直前になっていることだ。
いずれも、事前にかなりの準備期間が必要なことから、契約締結前に、すでに事業が進行していたことになる


特に①については、最高裁と電通の間の見積書・契約書・請求書がともに3億4126万8900円で、企画競争のときの入札額から、わずか2万円弱安いだけだ。
ということは、2007年10月1日に始まって全国50ヶ所で集中開催されて1月29日に終了し、すべてが終わった後に、請求書と合致した「見積書」と「契約書」が作成された疑いが強く、「さかのぼり契約」ではないか。


この「さかのぼり契約」については、「国が締結する本契約は契約書の作成により初めて成立する」という1960年の最高裁判例に違反しており、また、国の予算執行に対して「契約書作成」を義務づけた会計法にも背く。

以上が、主な内容です。

これが、法律に最も厳格であるべき最高裁のずさんな契約の実態なのですから、まったく呆れてしまいます。
ちなみに、裁判員制度の広報事業で不当な「さかのぼり契約」が行われた問題で、最高裁は、大谷剛彦前経理局長(前事務総長)ら4人を注意処分にしたということなのですから、甘過ぎる処分にも驚かされます。


以前の記事でお伝えしていますが、最高裁の判例違反については、私も見つけています。

最高裁が、上告不受理や却下になったケースについては、訴訟費用を申立人に返還することはありませんが、これは、消費者契約法施行後の2006年11月27日の学納金返還訴訟(不当利得返還請求事件)の最高裁判例に違反していると思うのです。
詳しくは、「最高裁判所自らが判例違反をしているんじゃないの!」をご覧ください。


 やっぱり、最高裁は判例違反の“常習犯”みたいですね



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最高裁の判断だからって 鵜呑みにしちゃダメよ!

09/10

一昨日、最高裁第1小法廷は鈴木宗男議員の上告を棄却する決定をし、懲役2年、追徴金1100万円の実刑判決が確定し、近く収監されるというニュースが駆け巡りました。
その直後から、私のブログ 「鈴木宗男氏の外務委員長就任は、歪んだ司法判断への決別姿勢かもね!」へのアクセスが急増しました。
鈴木宗男氏の名前を含むキーワードの検索によるアクセスが大部分なのですが、タイトルのとおり1年も前の記事なので、お目当ての情報がなく、ガッカリされた方も多いと思います。


鈴木宗男氏に対しては、かつて、喜怒哀楽の激しい小熊のようなおじさんというマスコミにより作り上げられたイメージしか、私にはありませんでした。
当時、まだ司法やマスコミを信頼していた私は、犯罪の疑いが濃厚という印象を根拠もなく抱いていたのです。
ところが、鈴木宗男氏の著書「汚名(講談社)」を読んで、鈴木宗男氏に抱いていた悪いイメージが一気に払拭されました。
(詳しくは、上記の「鈴木宗男氏の外務委員長就任は、歪んだ司法判断への決別姿勢かもね!」 をご覧ください。)


ですから、一昨日、上告棄却の報道を知ったときには、衝撃とともに、最高裁と、既得権益を守ろうとしている者たちが仕組んだ陰謀のようなものを、直感的に感じ取りました。

首相を選ぶことになる党首選を目前に控えたこのタイミングに、鈴木宗男氏に対する最高裁の決定がされたということは、国策による疑いを否定できません。
その理由は、二つ考えられます。
最大の理由は、昨年9月、民主党に政権交代した際に、幹事長だった小沢氏と、外務委員長だった鈴木宗男氏を結びつけることで、小沢氏に対する政治とお金の悪いイメージを増幅させ、党首選に悪影響を与えること。
もうひとつは、仮に小沢氏が首相になった場合、捜査機関の取り調べの手法や司法判断に強い不満をお持ちの両氏が、連携して司法の近代化・改革を推し進めることが予想され、それを阻止するためではないかと、個人的には考えております。
司法が近代化されることで、これまで既得権の恩恵を受けてきた者たちの過去の不正が明らかになる可能性が高く、彼らにとっては、どうしても回避したい事態だからです。


多くのみなさんは、最高裁の判断だから絶対に正しいのだという誤ったイメージをおもちかも知れませんが、正しい情報に基づいて個々の事件を検証してみると、いくつかの事件については、その間違いに気がつくはずです。
多くの国民が最高裁に対して抱いている信頼で築き上げられている“(表面的な)権威が発する幻想”により、最高裁の判断は絶対的で正しいというイメージが、国民の潜在意識の中に埋め込まれているということに気がつくべきです。

元大阪高裁判事だった生田暉雄氏の著書『裁判が日本を変える!』には、次のように書かれています。
「一度でも裁判に関係した人は、法的サービスという役割を忘れた裁判所・裁判官のきわだった権威主義的態度にお気づきのことと思います。裁判の内容によって国民から信頼を得るのではなく、外形的な権威で裁判の尊厳を保とうとしているのです。」
裁判を経験した私は、まさに、そのことを実感しています。
 最高裁の判断だからといって、それを鵜呑みにすべきではないのです。

最後に、鈴木宗男氏の“戦友”である佐藤優氏のブログ【佐藤優の眼光紙背】の記事「なぜ最高裁はこのタイミングで鈴木宗男衆議院議員 の上告を棄却したか?」をご紹介します。
「続きを読む」をクリックしてください。



     

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変質した民主国家!

10/21
ブログを読んでくださっている皆様からは、日頃、コメントなどで様々な貴重な情報をお寄せいただき、たいへん感謝しております。
独りよがりの情報では、知識や考えが偏りがちのなったりすることもありますが、多くの情報に触れることで、その偏りを修正することができ、信頼性の高い意見や考えをお伝えすることができますし、時には思わぬ方向へ話が展開することもあります。


最近、ある方から、私の乏しい知識に新たなカテゴリーを付け加えていただいたといっても過言ではない、素晴らしい本と、その著者を紹介していただきました。

それは、小室直樹氏の「痛快!憲法学(集英社インターナショナル)」という本です。
題名から、一見、憲法の解説書のようなイメージを受けますが、それが全然違うのです。
B5判(普通の大学ノートの大きさ)で横書き、ぺラぺラ、ページをめくると、写真や絵がふんだんに掲載されていて、さながら世界史の教科書といったところです。


実はこの本、欧米社会で、民主主義や憲法、資本主義が、どのようにして生まれ、発展してきたのかという人類の壮大な歴史が記されているのです。
キリスト教を拠り所に、元(原因)となる社会的背景から、その結果として新たな社会体制や制度が生じ、、さらに、それが覆され・・・という具合に、人々の興亡が繰り返されることで、欧米社会に、民主主義や資本主義が形成されていく過程が、壮大なスケールで体系的に描かれているのです。


それと対比する形で、日本は、どのようにして近代国家への道を歩んでいったのか、さらには、定着するかに見えた民主主義や憲法が、しだいに変質していき、司法・行政・立法の三権が官僚らの私有物と化し、日本が一種の機能不全に陥っていく様子が、戦争に突き進んだ政治情勢や田中角栄氏の暗黒裁判などを通して描かれています。

戦時においては、マスコミが大衆を戦争へとあおり立て、選挙に当選したい代議士は、マスコミに扇動された世論の方になびき、日本が、さらなる戦争へと突き進んでいく様子が克明に記されています。
マスコミに操られているという点では、日本の現在の状況と共通しています。


科学技術の発展においては、少し前まで常識であったものが、ほんの数年後には全く通用しなくなるということが多々ありますが、壮大な人類の歴史の中では、人々の怒りや不満、感情から突き動かされた社会の動きは、普遍的な社会の営みとして同じようなことが繰り返され、社会が発展してきたということが理解できます。

高校で世界史を勉強したときには暗記することばかり多くて、その面白さがわかりませんでした。
しかし、正確な史実に基づいて体系的に書かれたこの本は、歴史の流れがよく理解でき、現代社会においても歴史から学ぶべきことが多いということ、さらには、歴史を振り返ることで未来を予測できるということに、改めて気づかさせてくれました。


国家賠償訴訟をする以前は(正確には、一審判決が下される前までは)、私は、紛れもなく平和ボケした国民の一人であり、日本は平和な民主国家・法治国家であるということを疑いもなく信じていました。
ところが、インチキ裁判を経験したことで、見せかけの民主国家・法治国家であること、矛盾に満ちた社会であることに気がついた私は、社会の問題の本質を捉えている小室氏の考えに素直に共感できました。
現代日本が、なぜ民主国家・法治国家とはいえないような社会になってしまったのか
多くの社会問題を抱えた機能不全の社会に、どうして陥ってしまったのか

 幅広い知識と鋭い洞察、確かな論理に裏打ちされた小室直樹氏の本が、その解答へと導いてくれます。

       

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柳田前法相「2つ覚えて・・」発言は 「デモクラシーの死」を表現

12/04
つい最近、「国会での答弁は2つだけ覚えておけばいい。」 「個別の事案についてはお答えを差し控えます。」 「法と証拠に基づいて適切にやっています。」 などと発言した実に正直な法務大臣がいましたが、このことは、まさしく日本のデモクラシー(自由民主主義)が、すでに死に絶えていることを如実に物語っています。

などと申し上げると、何か偉そうな政治学者みたいに思われるかもしれませんが、実は、小室直樹氏の 『田中角栄の遺言 (官僚栄えて国滅ぶ)』 を読むと、その辺のことがよく理解できます。

最近よく小室氏の本を引用させていただいていますが、興味をもつきっかけとなったのが、ブログを通じて知り合ったある方の紹介です。
小室氏の本を1冊読んだだけで、すっかりファンになってしまいました。
その方のご配慮で、今では中古本しか出回っていないような貴重な本の数々を読む機会を与えていただいたのですが、小室氏の本を読んでいると、必ずといっていいほど、現代社会の問題点に深く通じている部分に遭遇します。
そして、それらが、すべて正鵠を射ているのですから、私もブログで紹介せずにはいられません。


『田中角栄の遺言(官僚栄えて国滅ぶ)』 から、ご紹介します。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
角栄氏の政治哲学というと、「デモクラシーは数、数はカネ」と言われるように、カネで数を獲得する方法のみが強調されているが、政治家・田中角栄氏の最大の遺産は、立法府たる議会を機能せしめたことに尽きる。
具体的には、議員の本分である議員立法を行ったことだ。
つまり、立法のための舞台もシナリオも角栄氏が作る。監督も角栄氏だ。そこまでお膳立てされた役人は、角栄氏の命ずるままに働くしかない。
角栄政治の偉大さは、役人を自由自在に駆使したところと、雄弁な討論によって議会を制し、議員立法によって日本再建を推進していったことである。
討論こそ議会政治のエッセンス。角栄氏のみが、この神髄を理解し、体得し、実践した。


デモクラシーの眼目は、議会を有効に機能せしむることにある。
議会の最大の機能とは、自由な議論を通じて国策を決定することである。国権の最高機関として立法を行うことである。角栄氏はこれを見事に実行した。


「自由主義とは、政治の権力から国民の権利を守ること。民主主義とは政治権力に国民が参加すること。」 この2つが結合したのが近代デモクラシーである。
憲法の条文には、そのことが盛り込まれているが、実質的に機能していなければ意味がない。

日本は、近代民主主義の根本的条件である三権分立が機能していない。


モンテスキューは『法の精神』において、三権分立の思想を定式化した。
近代国家の強大な国家権力から人民の権利を守るために、国家権力を、立法、行政、司法の三権に分け、互いに牽制させて、バランスをとらせる。
所謂、「三権のチェック・アンド・バランシズ」のメカニズムであり、それが法と正義の存立条件である。
三権分立のないデモクラシーはありえない。


 角栄氏の死後、日本国憲法は実効性を失ってしまっている。日本の立法、司法、行政はことごとく官僚に簒奪(さんだつ)され、今、国権を行う者は役人である。役人が法律を作り、解釈し、施行する。
彼らの視野にあるのは、法律と前例と、自らの権限と昇進のみ。自由な意志、自由な言論とは無縁である。
国権の最高機関であるはずの国会(憲法第41条)は、官僚の傀儡(かいらい)になってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上が、 『田中角栄の遺言』 に書かれている政治に関する部分を極簡単にまとめたものですが、まさに現在の日本は、デモクラシーから程遠い状況なのです。
国会答弁で、議員が官僚が作った原稿を読むのは当たり前、当然のこととして冒頭でお伝えした柳田稔前法務大臣のような発言が飛び出してしまうのです。
もちろん、そのような国会運営を平然と行っている他の議員らには、柳田前法相の発言を批判する資格など全くありません。


 今回は、趣向を変えて政治の話題なのかと思われるかもしれませんが、私が最もお伝えしたいのは、最終章の角栄氏の「暗黒裁判」のことなのです。
それについては、次回お伝えしましょう。




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田中角栄氏の「暗黒裁判」

12/11
昨年3月の記事 「サンプロ出演の田中真紀子氏 司法の本質をズバリ!」 では、真紀子氏が、田中角栄氏のロッキード事件の裁判を批判したことについてお伝えしましたが、先週に引き続きお伝えしている小室直樹氏の  『田中角栄の遺言 (官僚栄えて国滅ぶ)』  の最終章「第六章 暗黒裁判だった角栄裁判(江戸時代のままの日本人の法意識こそ問題)」を読むと、角栄氏の事件の捜査・裁判が、いかに異常であったかが理解できます。

独自にそれぞれの項目に分けて、まとめてみました。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 この事件を一言でいうと
(ロッキード社の旅客機の受注をめぐって1976年2月に明るみに出た大規模な汚職事件で、日本やアメリカ、オランダ、ヨルダン、メキシコなど多くの国々の政財界を巻き込んだ。)
『田中角栄の遺言』で取り上げているのは、ロッキード社副社長のコーチャン氏が、田中角栄首相(当時)に賄賂を贈ったというものである。


2 奇妙奇天烈な事件の発端
1976年2月、隣の会計事務所に行くべきロッキード社の秘密文書の郵便物が、ロッキード社を目の仇とするチャーチ委員会(米国多国籍企業小委員会)に誤配され、チャーチ委員会によって、ロッキード事件は告発された。

 これ以降、日本の角栄氏の事件についてのみ、お伝えします。

3 「暗黒裁判」と言われる一つ目の理由が 『嘱託尋問』
ロッキード社のカネが日本国内に持ち込まれたという事実、それ以降の日本国内における金銭の授受についての物証の裏付けはなかった。
コーチャン氏の自白だけが唯一の根拠であったが、日本側で直接事情聴取できないため、三木内閣は、ロサンゼルス連邦地裁にコーチャン氏を召喚し、供述させて得られた証言の記録を日本に引き渡すよう要求した。
ロサンゼルス連邦地裁が出した条件は、どんなことを証言しても贈賄罪、偽証罪で起訴しないという刑事免責を保証するのなら、要求に応じるというものであった。
しかも、日本政府や検事だけの保証では当てにならないので、最高裁が刑事免責を保証するのならOKということであった。

日本にはこのような司法取引がないが、1976年7月24日、最高裁裁判官会議は、米側証人の刑事免責保証を決議した。


4 「人権蹂躙」の別件逮捕
1976年7月27日、角栄氏を逮捕。
容疑は、全日空のトライスター機種決定という五億円収賄容疑の逮捕ではなく、外為法違反という形式犯での別件逮捕であった。
別件逮捕の理由は、角栄氏逮捕の時点で、検察側に必要な証拠もなく、起訴の自信もなかったからである。


5 暗黒裁判」と言われる二つ目の理由が 「反対尋問(審問)の機会」なきままの有罪判決
裁判所での証言は正しくなされなければならず、証人は宣誓させられ、嘘をつけば偽証罪に問われる。
米英はじめデモクラシー諸国における偽証罪はきわめて重く、社会的制裁も厳しい。
だから、世の「嘘つき」も、証言だけは嘘をつかないよう心掛けるが、さらに重要なのが反対尋問である。
検察側の証人に対しては、弁護側が反対尋問をして嘘を暴くべく努める。反対尋問こそデモクラシー諸国における裁判の要諦である。
憲法第37条2項には、「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられる・・・」とあり、これこそ、「デモクラシー憲法」の急所である。
田中角栄氏の裁判では、コーチャン氏に対する弁護側の反対尋問の要求を、東京地裁は、その必要なしと却下した。ただの一度も最重要証人に反対尋問する機会を与えられることなく、有罪判決がなされた。
角栄裁判では、デモクラシーの根本原則が真っ向から否定され、明白な人権蹂躙であった。


6 行政権力と司法権力の野合であるロッキード事件
検察が、前例にない方法によって角栄氏逮捕に踏み切り、強引に裁判を行ったということは、誰が推理しても、何か大きな闇の力が働いたとしか言いようがない。
その一つが、角栄氏を「金権問題」で引きずりおろしたものの、彼は依然として日本最強の政治家であり、なんとしても潰さなければならないというエスタブリッシュメント側(政権)の意向であろう。
それを裏書きするのが、上記の3の三木首相のすさまじい要求であろう。


7 引き延ばしにされた最高裁判決 
角栄氏の裁判は、一審、二審で有罪となり、最高裁は判決を引き延ばしにし、最終判決の前に、田中角栄氏は亡くなった。
最高裁は、有罪を確定させることだけはしなかった。だが、無罪にはしなかった。


以上が、角栄氏がかかわるロッキード事件の経緯と捜査、裁判の一連の流れですが、ここで最も重要なポイントは、次の二つです。

① 外国の裁判所に尋問を嘱託して、それを証拠として採用するなどということは、日本の刑事訴訟法では規定されていない。
② 憲法第37条に違反し、反対尋問されなかった証言そのものに効力はない。(これが「法の精神」)


 デモクラシー裁判のエッセンスは、適法な手続きである。この手続きにほんの少しでも欠点があれば、刑事裁判における被告は無罪である。
この大原則を無視した角栄裁判は、デモクラシーの死を意味している。


「刑事訴訟法の無視は“野蛮国”の証明」というサブタイトルのところには、次のように記されています。

角栄裁判は、憲法違反の物的証拠なき、違法で信頼がおけない自白しか証拠のない暗黒裁判である。この暗黒裁判で角栄氏は殺され、デモクラシーも殺された。

以上が、 『田中角栄の遺言 (官僚栄えて国滅ぶ)』 からの引用です。

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 日本は三権分立が機能しておらず、民主国家・法治国家とは言い難い状況にあるとことを実感していましたが、知れば知るほど、前近代的な野蛮で恐ろしい国であるという認識が強まります。

 次回は、引き続き 『田中角栄の遺言 (官僚栄えて国滅ぶ)』 から、英米等のデモクラシー諸国と日本の法意識の比較をお伝えする予定です。

      『田中角栄の遺言』の復刊


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日本の裁判所も検察もデモクラシーの原理をわきまえていない!

12/18
前回は、小室直樹氏の 『田中角栄の遺言』 より、角栄氏に対する捜査・裁判がいかに異常であったかをお伝えしましたが、すでに過去の事件となってしまったこの事件を敢えてご紹介した理由は、ほかでもない、法律や「法の精神」に最も厳格であるべき検察や裁判所が、それらを全く無視して暴挙に出たということを知っていただくためです。
国民に対しては法律の遵守を求め、違反したときは厳格な刑罰を科しておきながら、自らは刑事訴訟法や憲法を無視した適法性に欠ける手続きで事件を処理しており、そのようなことが現在に至るまで受け継がれているのではないかと推測されます。
これまで当ブログでお伝えしてきたデタラメな国家賠償訴訟や検察の恣意的な判断が、起こるべくして起こっていると考えられるのです


田中角栄前首相(当時)がターゲットになるという日本中の国民が注目していた裁判においてさえ、刑事訴訟法や憲法を無視した裁判がいとも簡単の行われたのです。
しかも驚くべきことは、適法な手続きによらない裁判により角栄氏の人権が蹂躙されているにもかかわらず、それを論ずる新聞もなければ、憲法違反を発言するものもいなく、そのような裁判が、国民にすんなりと受け入れられてしまったことです。
なぜ、このような不思議なことが起こったのでしょうか。
その背景について、今回も、 『田中角栄の遺言』 からご紹介します。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

異常とも言うべき角栄氏の裁判が国民に受け入れられた背景は、日本人に近代的法意識(リーガル・マインド)を欠いている人が多いからである。
デモクラシーの要諦は、為政者(現役の権力者)の権力から在野の人の基本的人権を守るにある。
日本人は、このデモクラシーの根本命題を知っていない。


欧米などのデモクラシー諸国と日本人では、法意識に大きな違いがあります。
裁判に対する意識の違いをまとめました。


【デモクラシー諸国の裁判】
裁判が始まれば、学者評論家は発言を控え、マスコミも、ごく簡単な経緯しか報道しなくなる。
予断が入って、裁判官の心理に影響が及ぶと、公平な裁判ができなくなるからである。


【日本の裁判】
検事が求刑しただけで被告を有罪と決めつけてしまう。角栄氏の場合には、マスコミがいっせいに角栄有罪と書きたてた。

対照的な例として、ニクソン大統領のウォーターゲート事件と角栄氏のロッキード事件を比較してみると、根本的な違いが明確になります。

【ニクソン大統領の犯罪】
(当時の立場) 大統領・・・現役の権力者
(告発者) マスコミ
    マスコミは権力の告発者としての任務を立派に果たしており、
    これを受けて議会は、議会の責任において権力者ニクソンを追及し、
    辞職に追い込んだ。

(検察の役割) 脇役の脇役ぐらいを演じたにすぎない。
    検事は行政官僚にすぎず、行政のトップにいるのが大統領。
    同じ行政のひとつ穴の狢(むじな)では徹底的な追及が期待できない。

(犯罪を追及の主体) 立法府たる議会と在野のマスコミ。
    為政者(政治権力者)を、在野の人びとが弾劾した。

    デモクラシーの原理をわきまえている。
       
【田中角栄首相の犯罪】
(当時の立場) 前首相・・・行政権にタッチしておらず、現役の権力者ではない。
(犯罪の追及の主体) 行政権力たる検事に、司法権力たる裁判所が加担した。
     検事は行政権力にすぎないので、行政権力者たる首相の矛先である。
     検察が求刑するや否や、マスコミも国会議員も国民も有罪と決めつけた。

    日本人は、為政者(現役の権力者)の権力から在野の人の基本的
     人権を守るというデモクラシーの原理を分かっていない。
 
    
ここで注目すべきことは、二人の立場の違いだ。
為政者(現役の権力者)であるニクソン大統領と、絶大な権力を有するといっても、当時、行政権にタッチしていない在野の角栄氏。

デモクラシーの目的は、絶大な国家権力から、いかにして人民の権利を守るかにある。
この目的のために、国家権力を、立法、行政、司法の三つに分け、互いに牽制させて、バランスをとらせる。
ここで、人民の権利を行政権力から守るために、決定的に重要な役割を演じるのが司法権力である。裁判所の主機能は、行政権力から人民(国民)の権利を守ることにある。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

デモクラシーの原理をわきまえていれば、立場の違いでそれぞれに対する姿勢がおのずと決まってくるはずなのです。
ところが、角栄氏の裁判では、行政権力たる検察に、司法権力たる裁判所が加担したのですから(詳しくは 「田中角栄氏の『暗黒裁判』」 をご覧ください。)、検察も裁判所もデモクラシーの原理を全く理解していないということになります。
刑事裁判の有罪率が99%、国家賠償訴訟の国の完全勝訴率が98%という状況からも、角栄氏の裁判だけが特殊なケースであったとは、決して考えられないのです。

 日本においては、国民はおろか、検察官や裁判官でさえも、デモクラシーの原理をわきまえていないのです。

       『田中角栄の遺言』の復刊
    

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八百長国家日本  ~本家本元は検察・裁判所~

02/08
テレビも新聞も、大相撲の八百長のことばかり大々的に報じていますが、果たして、そんなに大騒ぎするするほどの問題なのでしょうか。
真剣勝負で闘っている力士たちならともかく、一般の国民の中には、興味がない人もいますし、熱狂的なファンであったとしても娯楽として観戦している人がほとんどです。
ですから、八百長が行われたとしても、何か重大な不都合や損失が生じることなど、ほとんどありません。むしろ、仕組まれた取り組みであったとしても、観客はそれなりに楽しんでいるはずです。
映画やドラマ、アニメや小説など、ほとんどが作り話であると知っていても、すごく感動したり興奮することができます。それと似通った感覚かもしれません。
観戦を楽しんでいる国民にとっては、単なる娯楽の一部にしか過ぎず、そこで何か問題が生じたとしても重大な影響を及ぼすようなことにはならないのです。


注目すべきは、国家権力による八百長です。
社会の動向に疎い人は、「何のこと?」って思われるかもしれませんが・・・・


広辞苑で「八百長」と調べてみると次のように書かれています。
「①相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの勝負を争うこと。なれあい勝負。②転じて、内々示しあわせておいて、なれあいで事を運ぶこと。」

これは、まさに、私の国家賠償訴訟と、それから派生した刑事事件に対する検察や裁判所の対応そのものです。

これらの事件では、はじめから結論が決められていた様子でした。
それは、次のようなことから認識できます。


国家賠償訴訟
被告代理人は、本来の証拠を隠して、捏造された証拠に基づいて、虚偽の主張・陳述を続けた。
一審の裁判所は、証拠を捏造し、二転三転する虚偽の主張を繰り返していた職員の証言を証拠として採用した。
二審では、判決の趣旨に合致するように、私の主張をねじ曲げたものを判決理由とした。


前述の二審裁判官らによる虚偽の判決書作成事件
関係者を調べるまでもなく、控訴理由書と判決書を比較すれば犯罪性は明らかであるにもかかわらず、検察は不起訴処分にした。

裁判での証拠捏造事件(被告代理人の責任にもかかわる)
検察は、捏造を決定づける重要な証拠を隠して、不起訴にしようとしている。

ブログコピペ事件(警察と裁判所の関与の疑いがある)
郵政のパソコンから行われたことは明らかであるにもかかわらず、検察は被疑者不詳で不起訴にした。

これらの事件に携わった検察や裁判所からは、真実に基づいて厳正に判断しようなどという正義感は微塵も感じられません。
うわべだけの勝負であった国家賠償訴訟。不起訴処分にすることを、内々示しあわせておいて、なれあいで事を運んだ検察。
まさに、裁判所・検察という国家権力による八百長なのです。


刑事裁判の有罪率99%、国家賠償訴訟の国の完全勝訴率およそ98%という数字から、私のケースだけが特殊であるとは、到底、考えられません。
八百長が日常的に行われている可能性が高いのです。


 国家の根幹を揺るがす、国家権力による八百長こそ、大々的に報じられなければなりません。

大相撲の八百長報道が幅を利かせ、そのおかげで小さくなった報道といえば、小沢氏周辺事件と菅政権の低空迷走飛行でしょう。

 本家本元の八百長を、分家の八百長が覆い隠しているようでなりません。
 噴火による火山灰が、周辺の景色を覆い隠すように、国家による重大な不正を覆い隠しているのです。

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お薦めの書籍とブログのご紹介

09/24
いつも数あるブログの中から当ブログにアクセスいただき、感謝しております。
特に、私と同じように理不尽な裁判を経験された方や、国家の制度や仕組みに疑問をお持ちの方々からは、共感や応援のメールやコメントをたくさんいただいております。


そのような中、ある出来事をきっかけに行政のデタラメに気がつき行政訴訟に踏み切るのですが、その訴訟でも、またデタラメをされたという、まさに私と同じような経験をされたあるご夫婦を取材し、それをノンフィクション・ノベルにまとめられた有村とおる氏から共感のメールをいただきました。

私を含めブログやホームページで裁判の記録などを公開している人はたくさんいますが、資料だけの公開だったり、一記事で完結の形をとるブログでは、事件の全体像がわかり難かったりするのですが、ノンフィクション・ノベルという形ですと、とても理解しやすいのではないかと思いますので、是非、たくさんの方に読んでいただきたく、ご紹介いたします。
また、お役所とのやり取りや裁判のことばかりですと、馴染みのない人には読みにくかったり、取り付きにくかったりしがちですが、ご夫婦と小鳥とのふれあいを織り交ぜながら描かれている 「ほら、ピーちゃんが飛んでいる」 は、きっと、たくさんの方に興味をもっていただけるはずです。


(著者の紹介文から一部抜粋)
一人の民間人が政府を相手に税金問題で行政訴訟を起こしても、100%負けます。裁判官が理不尽な論理の組み立てで却下します。裁判官の論理がいかに愚かで滑稽でも、最高裁で棄却された民亊訴訟は判例集に載ることもなく忘れられます。政府と財務省がいかに悪辣な収奪をしても、マスメディアが報じない限り誰一人知ることはありません。
A氏の願いを聞きノンフィクションノーベルを書いた理由のひとつは、行政訴訟の記録を正確に残すためです。」


電子書籍「ほら、ピーちゃんが飛んでいる」の紹介文をそのまま引用させていただきます。

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ほら、ピーちゃんが飛んでいる ~文鳥、二重課税、行政訴訟~

「わたし」は、二羽の文鳥を家に迎え「ピーちゃん」「フーちゃん」と名づけた。妻の難病指定のため所得証明をもらいにいったとき、課税データから不正課税に気がついた。平成18年所得の税源移譲分に所得税と地方税のメインの税金が二重に課税されていた。
ピー・フーの賢い文鳥に励まされながら二重課税の仕組みを追及する過程で、日本の納税者は法律で定められた税率に異議申し立てできない事実に気がつく。同時に、税源移譲における財務省の悪辣な嘘を発見する。
匿名掲示板「9チャンネル」での工作員とのバトル、行政訴訟の判決理由の分析をとおして、日本の政治・司法体制のあきれ果てた真相を描くノンフィクションノーベル。
巻末に不正な「二重課税」と断定する根拠となる所得税法と地方税法の抜粋、実際に争った行政訴訟の記録を70ページにわたって掲載した。


App Store 販売中。iPad、iPhone に対応。
305ページ 600円。
ブックカテゴリーで「ピーちゃん」を検索してください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/littlebird/


著者 有村とおる氏の紹介
千葉県出身。
2004年「暗黒の城(ダークキャッスル)」で第5回小松左京賞を受賞。
角川春樹事務所より出版
2011年「ほら、ピーちゃんが飛んでいる」を App Store で電子出版
日本SF作家クラブ会員、日本推理作家協会会員
http://www.maroon.dti.ne.jp/littlebird/


下記のサイトで一部を読むことが出来ます。
http://www.maroon.dti.ne.jp/littlebird/sample/pie_sample.pdf


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 何事もなく平穏に過ごしている人は気がつきませんが、何かのトラブルをきっかけにお役所の不正に気がつく人はたくさんいるはずです。
このご夫婦のケースも私のケースも氷山の一角ではないでしょうか。
三権分立などまったく機能しておらず、実際には三権が一体となった癒着構造に気がつくはずです。


折りしも原発事故をきっかけに、欠陥のある国家の体制や仕組みが白日のもとに晒されつつあります。
そのことに関連して、私が愛読しているブログのひとつである 『showbinの「ゆるほと日記」』 のShowbin様が、「勇気ある報道 NHK Eテレ」ということで素晴らしい記事を書かれていますので、是非、こちらもご覧ください。


『東京電力の当事者、政治家、官僚は逮捕されて当然
なぜ東京地検特捜部は東京電力本店を家宅捜索しないのか』


ということで記事を締めくくられています。

 ネット上には真実の情報があふれています。
どれが真実で何が重要であるかを見極め、正しい判断をすることが、国民一人ひとりに求められています。



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従軍慰安婦問題の本質

12/20
震災による原発事故で、膨大な量の放射性物質が大気や海洋に放出され、今尚、安心できる状態にはありません。それにもかかわらず、ごくまばらなサンプリング調査で、あたかも、その地区一帯の農産物や水産資源が、すべて安全であるかのような発表を政府はしています。
除染に関しても広大な面積の中のごく一部の家屋や学校、公園などを除染しただけで、すぐさま、そこで居住可能であるとか、あるいは、長期間住み続けても健康に影響を及ぼさないというような見解を示しています。
すべては、福島県民や、その周辺地域の人々の健康や安全、生命を守ることを重視するよりも、被害者に対する補償など国家の財政支出を抑えることに力点を置いての対応のようです。
将来、癌などの病気が発症し国家賠償訴訟に訴えたとしても、そこに待ち受けているのは有名無実の国家賠償制度です。
目に見えない、においもない、広範囲に拡散する、数年たってからの発症、被曝しても発症する人としない人がいるなど、放射性物質の性質上、仮に裁判に訴えたとしても、個別な案件に対して、食事や生活習慣・遺伝・そのほかの外的な影響との関係を完全には否定できず、“原発事故との因果関係は明確でない”などとして賠償請求が退けられる可能性が高いのです。
私の裁判を例にとっても、裁判所と国の代理人である法務省双方の不正のもとに国が勝訴するように仕組まれていました。「国家賠償訴訟」と検索すると、当ブログをはじめ、不正裁判を訴えているサイトが上位にランクインします。
それほど、この国の国家賠償制度は機能していないのです。


国民の生命や健康より、天下り財源の温存のほうが重要。だから、被害国民に対しては、やむを得ないケースに限り、最低限の補償しかしない。
それが国の基本姿勢であるとしか考えられません。
となると、国民に対してさえ、そのようなスタンスを貫いているのだから、ましてや従軍慰安婦の問題も同じような理由で補償を拒否しているのかということになるのですが、それは、まったく別の問題なのです。

この問題については、小室直樹氏の 「日本国民に告ぐ」 に詳しく記述されているので、要約してご紹介します。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「従軍慰安婦」の問題のポイントは、挙証責任である。議論の過程では、挙証責任が原告(慰安婦)、被告(日本国政府)のいずれにあるのかが曖昧にされてきた。
本当に「慰安婦」であったのなら「強制連行」があるはずで、「強制連行」がなかったことを証明することは「アリバイ証明」であり、数十年前のそれを調査し証明することはきわめて困難なことである。
ただし、事実関係はこうである。
当時の朝鮮は、日本と比較にならないほど生活水準が低く、ほとんどの人が極貧層だった。一部の上層階級との貧富の格差が激しかった。その歴史的事実を無視して議論しても無意味である。
貧富の差が激しいと自発的に「慰安婦」になる人びとが出現する。当時、売春は合法であったし「慰安婦」は儲かる商売だった。『関東軍女子特殊軍属服務規程』によると、「女子特殊軍属(慰安婦)」の月給は800円だった。当時の巡査の初任給が45円、陸海軍の大将の月給が550円だから、破格の高級である。
三年間、働けば警察官が一生働いても買えない家が60軒近くも買えた(当時、500円あれば家が買えたー「月曜評論」第1260号所収の板倉由明氏の記事を参照)。
「慰安婦」たちは日本軍に強制連行された「奴隷」だったと言う人もいる。仮に、半ば強制的に連行されたとしても、当時としては過分な報酬を受け取っていた人たちを「奴隷」と呼ぶことが適切であろうか。

従軍慰安婦の問題を論ずるなら、こうしたことも踏まえて議論する必要がある。事実関係や挙証責任の問題を曖昧にしたままでは話にも何にもならない。

「従軍慰安婦」の問題で日本が犯罪国家にされてしまったことの発端は、昭和57年夏の第一次教科書事件における「宮澤喜一官房長官談話」である。
日本の教科書の記述に関して、中国・韓国などが外交ルートを通じて内政干渉してきた。
外交音痴、外交無知だった日本政府。鈴木善幸首相の訪中を控えていたことで、中国側の好意を獲得することが念頭にあり、宮澤喜一官房長官は、内政干渉である中国・韓国側の要求をストレートに受け入れた。
宮澤長官は、「政府の責任において(教科書の記述を)是正する。」との談話を発表した。
教科書会社は、近隣諸国との友好親善が充分実現するように配慮するという「近隣諸国条項」を拳々服膺(けんけんふくよう)するようになり、自虐的・反日的表現を用いた教科書が氾濫するようになった。
宮澤談話こそ、歴史の転換点であり、これを契機に、文部省教科書検定の機能が逆転した。

ひとたび書かれた記述は一人歩きをし、自己増殖・拡大再生産されて、止めるに止められなくなってしまった。
自国の政治家とマスコミによって、犯罪国家にされてしまったのである。
「自国への誇りを失ってしまった国家・民族は必ず滅亡する。」とは世界史の鉄則である。
こんな国の行く末はどうなるのか。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

韓国の李明博大統領が来日し、従軍慰安婦問題の解決を強く求めたそうですが、日本政府はどう対応すのでしょうか。

米国におもねる小泉政権下での郵政民営化、野田政権が進めているTPP問題、どこか、この従軍慰安婦の問題と重なります。
 歴史の過ちは、愚かな政治家と官僚によって繰り返されるのです。


          
       
                          
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ブログコピペ事件と同じ仲間の仕業か?

12/27
先週末あたりから、だいぶ前にアップしたある特定の記事にアクセスが立て続けにあるので、どうしたものかと、そのリンク元を辿ってみました。
驚きました!!
リンク元をクリックすると、いかがわしい広告が目に飛び込んできました。
ブログコピペ事件、発見の瞬間を彷彿させます。


ブログコピペ事件のときは、いきなり目の前に展開された画像に、一体何が起こったのかと、パソコンの前で30秒ぐらい固まってしまいましたが、今回は小さめで横に細長い広告バナー、以前ほど酷くはないので、そのときほどの衝撃はありませんが、その上を見ると、当ブログの記事のURLが貼られてあるではありませんか。

これは、ブログコピペ事件と同じ仲間の仕業か
ブログコピペ事件は仙台地検に告訴したのですが、時効まで数年あるにもかかわらず、犯人不詳で不起訴にされています。
犯人は今尚、社会を跋扈(ばっこ)しているのです。


とにかく、この事件では、捜査機関の異常な対応が目に付きました。
告訴状は、あちこちの捜査機関をタライ回しされ、正式受理までに半年を要しました。
犯人のパソコンを特定する際も、ブログで何か事実を公表するたび、それを否定するかのように隠蔽工作が行われるのですが、そのタイミングが警察の対応と奇妙に一致しているのですから、警察の関与が強く疑われます。(警察の動きと奇妙に一致する隠蔽工作のタイミング!
しかも、当初コピペされた記事は裁判批判の記事ばかり、この事件を警察に相談すると、すぐさま最高裁に連絡が行ったことは、ほぼ間違いありません。(もしかしたら、記事を削除させるための策略かも?
郵政のパソコンから行われたことは確証が得られているのですが、郵政に対する処分は示されておらず、不起訴処分の理由も矛盾しているのです。(不起訴処分の理由の矛盾
上申書を提出し、それらの点を指摘しているのですが、10ヶ月以上たった今も、仙台地検からは何の連絡もありません。
郵政の職員の単独犯行ではなく、警察・裁判所を含む組織的な犯行の疑いが濃厚なのです。


そして、今回、いかがわしい広告バナーとともに貼り付けられていたのは、 「法科大学院って、もしかしたら天下り先確保のために設置されたの?」 のURLです。
記事は、刑事告訴している裁判長が依願退官後、法科大学院に天下っていたという内容です。
またして、不正裁判と深い繋がりのある記事だったのです。


とにかく調べてみることにしました。
広告バナーが貼られているサイトのURLは、当ブログの記事のURLの途中に、ある文字列が追加されています。
その文字列を手掛かりに調べてみると、その大元がわかりました。

2ちゃんねるでした。
2ちゃんねるで何か話題にされ、そこにブログのURLを貼ると、直接、目的のサイトにリンクするのではなく、一旦、その広告のサイトを経由して目的のサイトに飛ぶ仕様になっていたのです。


2チャンネルに貼られるURLすべてが、広告サイトを経由するのかどうか、いくつか調べてみました。
すべてではないようです。広告サイトを経由せず、直接目的のサイトにリンクするのも多数ありました。広告サイトを経由したものは、すべて、当ブログと同じデザインのいかがわしい広告バナーでした。
調べた数は少ないのですが、広告バナーを経由するものは、政治とか法律関係のカテゴリーに多い感じがします。


広告の申し込み方法のサイトがあったので調べてみると、広告の種類や利用期間などの条件にもよりますが、広告料は数万円~数十万円です。
いかがわしい広告などは、さらに20万円ほどの追加料金が加算されます。

個人的なイタズラで利用するには、あまりにも高額です。
まさか、ブログコピペ事件と同じ仲間が、組織的にやっているのではないでしょうね

ブログの記事とバナー広告、これらを象徴するキーワード、「裁判」」「広告」で、以前のある記事を思い出しました。
「メディアによる世論誘導の手法」 です。
裁判員制度を導入するために、電通が中心になって世論誘導したという記事です。電通には、歴代検事総長が天下りしています。

このバナー広告が、世論誘導といかないまでも、不快な印象を与えることで、ある対象に対して嫌がらせや威圧感を与えているとしたら、表現の自由に対する冒瀆(ぼうとく)です。

表社会と裏社会が、密接に繋がっているようでなりません。
正当とは言えない表社会を合法化するために、裏社会がうごめいているのです。
ちょうどDNAのダブルへリックス(二重らせん)のように、はしご状の右半分の曲線が表社会だとしたら、左半分の曲線が裏社会で、社会(はしご)のどの部分でも、表社会と裏社会(右と左)が繋がって、社会を意図的にコントロールしているのです。


 3月11日の大震災とそれに伴う原発事故が、東日本の大部分を放射性物質で汚染し、多くの人びとに甚大な被害をもたらしました。
震災は自然災害ですが、原発事故は明らかに人災です。
利益を追求する一部の企業や政府、官僚の暴走で、その安全性が十分に検証されることなく、地震多発地帯の日本に安易に導入され・推進されてきた結果が、今回の重大事故に繋がったといえます。
知識の乏しい国民に、マスコミを通じて、原発は安全であるという意識を植え付け、原発により地域が潤うという仕組みを巧みに使いながら、国民の安全や福祉を無視して54基もの原発を作ってこられたのも、この二重構造の社会のなせるわざだったのです。
ですから、日本の再生には、この社会構造をぶち壊し、土台から新たな基礎を構築する必要があります。
そのためにも、ブログコピペ事件のような小さな事件でも、徹底的に解明される必要があります。


今年は、この記事までとさせていただきます。
 みんさん、よいお年をお迎えください。



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代表選、総裁選、維新の会で盛り上がっているようですが・・・・

09/14
マスゴミは、民主党の代表選、自民党の総裁選、大阪維新の会で盛り上がっているようですが、国民は、あんがい冷めた目で見ているのではないでしょうか。
なんといっても、国民の期待を受けて政権交代を果たした当初とはすっかり変質してしまった民主党、国民から飽き飽きされても古い政治手法にしがみついている自民党、そして得体の知れない大阪維新の会のことなのですから。


そんな国民から見放されている政治ですが、それでも主権者国民がしなければならないことは、近い将来行われる解散総選挙で正しい選択をすることです。
真に民主国家とは言えない状況にあっても、せっかく国民に与えられている権利なのですから有効に行使しなければなりません。
そのためには、正しい情報に基づいて正しい判断をする必要があります。


真実を知らずに過った先入観にとらわれている人、マスゴミに踊らされてついつい雰囲気に流されてしまう人、どのような候補者を選ぶべきか困っている人・・・・、そのような人たちに、是非、読んでいただきたいのが、孫崎享氏の「戦後史の正体」です。
この本には、これまで知られているような歴史的概念を根底から覆す驚きの事実が満載です。

さらに、戦後史を、詳細な史実に基づいて「対米追随」と「自主」のせめぎ合いという観点から分析しているところが、とても興味深く、日本の政治が歪められてきた経緯をわかりやすく示しているのです。
結論からいえば、対米追随派の政権は長期政権となり、自主派の政権は短期政権に終わっているということです。

この本を読むことで、国益のために、日本人が今後どのような選択をし、どんな方向に向っていくべきかということが見えてくるのです。

ここまでブログを読まれた方の中には、いつもの裁判・法律批判の内容から、いきなり政治関係の話題になって、方向転換したのでしょうか?とか、ついにネタが尽きたのでしょうか?なんて思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
この歴史のいくつかの節目にかかわってきたというよりは、その節目を作り出してきたのが、前回の記事で触れた超法規的な検察なのです。


「あとがき」のところに、わかりやすくまとめられていますので、要約してご紹介します。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
占領期以降、日本社会の中に「自主派」の首相を引きずりおろし、「対米追随派」にすげかえるためのシステムが埋め込まれている。
そのひとつは検察だ。なかでも特捜部がしばしば政治家を起訴してきた。この特捜部の前進が、GHQの指揮下にあった「隠匿退蔵物資事件捜査部」で、創設当初からどの組織よりも米国と密接な関係を維持してきた。
次に報道だ。米国は政治を運営するなかでマスコミの役割を強く認識し、占領期から今日まで、日本のマスコミのなかに、「米国と特別な関係をもつ人びと」を育成してきた。さらには外務省、防衛省、財務省、大学のなかにも。「米国と特別な関係をもつ人びと」が育成されている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

国民から選ばれた政治家が実行しようとした日本の国益に適う政治の流れを、超法規的手法によって妨害し、対米追随の国益を損ねる政治に引き戻す役割をしてきた組織のひとつが検察特捜部なのです。

検察が起訴し、マスゴミが大々的に騒いだ事件のひとつに田中角栄氏の事件がありますが、「田中角栄氏の『暗黒裁判』」 については、当ブログでも、以前、紹介しています。

米国による「自主派」の政権潰しに、どう対処したらよいかということが、「あとがき」の最後のところにカナダの例を挙げて書かれていますので、要約して紹介します。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことができるが、次に成立するのも、基本的には民意を反映した政権だ。政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、自分を選んでくれた国民のためにがんばればいい。
それを現実に実行したのが、カナダの首相たちで、自国の10倍以上の国力をもつ米国と隣りあっており,米国からつねに強い圧力をかけられているが、歴代の首相たちが「米国に対し、毅然と物をいう伝統」をもち続けており、国民が支持する決断をしている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 「戦後史の正体」、この本を読むことで、日本の国益のために、次の選挙ではどのような人物に投票すればよいかの判断が正確にできるのです。

対米追随の片棒をかついでいるマスゴミが、やたらともてはやしているような政党はやめておいた方がよいという結論に至るのではないでしょうか。

みなさんに、是非、読んでいただきたいお奨めの本です。

   

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民主国家・法治国家になりきれていない日本は隙だらけ!

09/20
日本政府による尖閣諸島国有化に対する中国国内での大規模なデモや暴動は、騒動の発端が石原都知事とはいえ、直接的には、それにそそのかされた政府の軽はずみな行動が引き金になったと言えます。
これまでの中国の国民性からしても、このような事態になることはあらかじめ予測できたはずであるのに、野田政権の思慮不足が今回の事態を招いたと言わざるを得ません。
震災・原発事故からの復興もままならない時期に、またして日本経済に大きなダメージを与える結果となったのです。


それにしても、この時期に、なぜ近隣諸国は、尖閣諸島、竹島、北方領土など、日本の領土を脅かすような行動をとるのでしょうか。
それは、これまで民主国家・法治国家としての仮面をかぶっていた日本の姿が、昨年の震災による原発事故によって、その仮面がはがされ、統治機構の欠陥があらわになったからではないかと、私は考えます。


その一つ目は法治国家としての形態を備えていないことです。
日本国内では、領土問題に関して「法治国家として毅然とした行動をとるべきだ」という意見が目につきますが、はたして海外の国々は、日本を法治国家とみなしてているでしょうか。
震災に伴う東京電力福島第一原発事故により、東日本の大部分や周辺海域が高濃度の放射性物質で汚染されました。また、東京電力や政府の情報隠蔽と不適切な対応で、福島県を中心とする多くの人々が被ばくしました。
それにもかかわらず、東京電力も原子力安全保安院も誰ひとりとして刑事責任を追及されていません。1年半たった今も、捜査に着手したという情報すら聞いていません。
さらには、法律で部外者の立ち入りが禁止される放射線管理区域(毎時0.6マイクロシーベルト以上)に該当する地域に、乳児や幼児を含むを含む一般の人たちが避難させられることもなく暮らしています。
国民に明確な説明がされることなく、その時々で法律の解釈と適用が変化したり、また、同じような類の事件であっても、一方の事件では逮捕・起訴され、別の事件では無罪放免になる、こんなことが日本社会では日常茶飯事なのです。
海外の国々が、こんな日本を法治国家と認めるはずがありません。
国際社会に向けて日本の立場を主張し、それが正しいことであったとしても、はたして海外の国々は、こんな国の言うことを信用してくれるでしょうか。
まさに、そこに、中国、韓国、ロシアがつけ込んできたのではないでしょうか。
原発事故で明らかになった日本の統治システムの欠陥に近隣諸国が気がつき、これは上手くいくかもという自信を中国や韓国、ロシアに与えてしまったのかもしれません。


もう一つは、民主国家であるか否かの問題です。
野田政権の足元がぐらついていることが大きな要因であることには違いありませんが、なぜ、そのような政権が誕生していしまったのかということを考える必要があります。
前回紹介した孫崎享氏の 「戦後史の正体」 から、“占領期以降、日本社会の中に「自主派」の首相を引きずりおろし、「対米追随派」にすげかえるためのシステムが埋め込まれている。”ということをお伝えしましたが、選挙によって選ばれた「自主派」の鳩山首相が引きずり降ろされた後は、国民の信任を得ていない首相が2人続けて誕生しています。
鳩山氏が対米追随派の猛攻撃によって意図的に引きずり降ろされたわけですから、次に控えているのは「対米追随派」ということになるはずです。
スポーツ選手でしたら、補欠として控えていた2番手3番手の選手が、予想外の実力を発揮し勝利に貢献するということがしばしばありますが、政治の場合は政府や官僚の意図が作用するわけですから、そうはいきません。
2番手、3番手と入れ替わるほどに、財務省のパペット、米国のポチとしての性格が強められるようです。
本来なら首相になるべき人ではない人物がなったことで、民意とかけ離れた政治が行われ、政権が不安定化し、結果として国民に不利益をもたらしているのです。


 民主国家・法治国家になりきれていない日本は、隙だらけなのです。
そこを近隣諸国は見逃しはしなかったのです。


かろうじて法治国家としての形態を保っているとすれば、一般の国民に対しては厳格に法律が適用され治安を維持していることぐらいです。
これに対し、刑事上の責任や民事上の責任が、国家や公務員に向けられる場合には、法律はまったく効力を発揮しません。検察が不正に不起訴にして事件を握りつぶしたり、国家賠償制度がほとんど機能していないからです。
見せ掛けの法治国家である所以は、そこにあるのです。

そのことが、統治システムとしての機能を弱体化し、結果として、近隣諸国からなめられ、国際社会からの信頼も失うことになっているのではないでしょうか。
政府や官僚は、自分たちの目先の利益にばかりとらわれ、そのことに、まったく気がついていないことが愚かとしかいいようがありません。

   

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「法律村」の存在

09/27
ここ2回ほど政治的な話題を取り上げていますが、決して当ブログの趣旨から外れるものではありません。
国家賠償訴訟の経験から、裁判がおかしいと思い調べていくうちに、この国は法治国家にも民主国家にもなりきれていないことに気がつきました。
結局、行きつくころは、統治機構の問題、政治の問題となってしまうのです。


この国では憲法で保障されている国民の権利など完全に無視されています。役人が職務において不正や怠慢をしたとしても、罰せられることは、ほとんどありません。その裏返しとして、国民が加害公務員に対して刑事的な処罰を求める権利、国や行政に対し民事的な補償を求める被害者の権利が侵害されています。
それらの刑事または民事の事件に直接かかわる機関が、裁判所や検察です。これらの機関が、事件を不正に処理することで、被害者の権利の行使を妨害しているのです。
このような不正な事件処理を、合法的に見せかけ、周囲から気がつき難くしているのが、裁判所や検察に都合よくできている法律です。
憲法や刑法などの一般の国民にもなじみのある法では、いかにも民主国家らしい立派なことを謳っていますが、それらの法を適用する際の手続きを定めた刑事訴訟法や民事訴訟法には、不正をしやすい仕組みが巧妙に組み込まれているのです。
当ブログでもたびたびお伝えしてきた、名ばかりで実質の伴わない「不起訴処分理由告知書」、控訴のときとは異なる「上告の際の不可解な手続き」などがそれに該当します。
不起訴処分理由告知書は 事件握り潰しの必需品!
不正裁判の芽となる民事訴訟法の欠陥


素人の私でも、裁判に疑問をもち、多少なりとも興味をもって調べてみれば、法律に不備や欠陥があること、制度に問題があることに、すぐさま気がつきました。
にもかかわらず、専門家である弁護士や法律学者は、これら法律や制度の欠陥を問題視することもなく、なぜ永年沈黙を続けているのでしょうか。
そこに、「原子力村」ならぬ「法律村」の存在が垣間見えるのです。
本人訴訟で始めた裁判から、「法律村」の存在に気がつくに至った経緯を簡単にまとめてみます。


国家賠償訴訟を行うまでは、法治国家であること、民主国家であることを何の疑いもなく信じており、裁判所こそは正しい判断をしてくれるはずと思って始めた裁判でしたが、一審、二審、上告と判決を重ねるごとに、裁判がおかしいのではないかという確信を深めていきました。
この裁判では、2つの重大な不正が行われました。
ひとつが、①労働基準監督署の職員早坂による証拠の捏造です。私の電話の内容がデタラメな内容に書き換えられたのです。
そして、もうひとつが、②二審の裁判官ら(大橋弘裁判長、鈴木桂子裁判官、岡田伸太裁判官)による虚偽有印公文書作成等です。私の主張の中から行政関与の記述を完全に削除してデタラメに要約されたものを判決理由とされた事件です。


当初は、これら2つの事件に直接かかわっていた上記の4名による単発的な事件であるという認識でいましたが、調べていくうちに、事件の更なる広がりに気がついたのです。

今回は、“裁判所ルート”ともいうべき②の事件の広がりについて、これまで各論的にお伝えしてきたものを、大まかな流れに沿ってまとめてみます。

本来なら、最高裁で正されるはずのデタラメな二審判決が確定してしまったことで、上告審に疑問をもつようになりました。
「最高裁では審理が行われていないのではないか」、「訴訟費用だけが騙し取られているのではないか」ということに気がついたのです。そのように考える要因のひとつが、最高裁判所に裁判記録が到着したことを通知する「記録到着通知書」が入れられていた封筒の消印です。最高裁判所の管轄ではない地域の消印が押されていたからです。


この消印について調べていくうちに、興味深いことがわかりました。

ちょうど郵政民営化の時期と重なり、民営化前→移行期→民営化、と推移するのですが、記録到着通知書の封筒に押されている消印が、民営化前は東京中央郵便局、民営化後は銀座支店と変化し、移行期を除いて、財務省分室の郵便を取り扱う郵便局と一致するのです。
関連記事は、次のとおりです。
最高裁判所と東京中央郵便局との怪しい関係!
最高裁の郵便、もしかしたら財務省内分室がかかわっているの?


ところが、上記の記事をアップしたおよそ3か月後、当ブログがいかがわしいサイトにコピペされているのに気がつきました。
ブログの中からいくつかの記事がピックアップされてコピペされているのですが、上記の記事を筆頭に裁判批判の記事ばかりが次々と被害にあっているのです。
警察に相談したのですが、不思議なことに、その直後、最高裁から当ブログへリンク元不明のアクセスが複数回ありました。
もしかしたら、記事を削除させるための策略かも?


警察に相談したにもかかわらず一向に進展がないので、自分で犯人捜しをすると、仙台市内の郵政のパソコンから犯行が行われていたことを突き止めました。
しかも、不正裁判が行われた二審の仙台高裁の郵便物を扱う仙台中央郵便局である可能性が極めて高いのです。
速報! “犯人”のIPアドレスを特定 日本郵政の関係者か!


ブログで、犯人特定の経緯を実況すると、犯人は隠蔽工作を試みるのですが、これが警察の動きと奇妙に一致するのです。
警察の動きと奇妙に一致する隠蔽工作のタイミング!


これらの一連の事件については、偶然の出来事として片付けてしまうには、あまりにも関連性が強いのです

前述の裁判官らによる虚偽有印構文書作成等、郵政による著作権事法違反事件、最高裁による上告詐欺事件については、仙台地方検察庁に告訴していますが、特別刑事部が、不正に不起訴にしたり、告訴状の受理を拒否していることは、これまでお伝えしているとおりです。

これらの事実関係から、次のことが推測されます。

上告しても、最高裁で審理される事件はごく一部です。
大半の事件は、上告不受理、却下となります。
かねてから疑問に思っていたですのが、最高裁で審理が行われない事件の裁判資料を、わざわざ最高裁に送るようなことをするのかということです。
最高裁で審理を終えたとされる裁判資料は、一審の地方裁判所に戻され保管されます。各地の高裁から最高裁に送ることは、そう問題ないとしても、全国の高裁から集まった裁判資料を、最高裁が各地の地裁に送り返すとなれば、相当な手間がかかるはずです。
そこに、高裁の郵便物を扱う郵便局がかかわってくのではないかと推測するのです。たとえば、資料を最高裁に送らずに、高裁から、直接地裁に送り返すとか・・・。
上告費用については、最高裁で審理が行われていないにもかかわらず訴訟費用だけを騙し取り、国や最高裁の財源として納入するとすれば、そこに財務省分室がかかわり、記録到着通知書の発送についても関係する郵便局がかかわっていると考えれば、実につじつまが合うのです。


 国の不正な司法システムを維持するために、検察のほかにも、警察や郵便局の一部に協力者がいて、非合法な手段を用いて国民の権利の行使を妨害していることは確かです。
さらに、裁判所や検察に不都合な事件が報道されないことから、そこにも、また協力者がいるはずです。
「法律村」の広がりは、「原子力村」に劣らないほど、様々ところに根を張っているようです。


 もう一方の、“厚生労働省・法務局ルート”については、次回にでもお伝えします。

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郵便局が「維新」の選挙運動!?

12/09
2,3日前に用事があって郵便局に行ったついでに、年賀はがきを購入しました。
景品にポケットティッシュとクリアファイルをくれたのですが、見てビックリ!!
これが、いただいたクリアファイルです!!


    ゆうパック 維新 縮小(表)    ゆうパック 維新(裏)縮小(裏)

表には「ゆうパック」「維新」と大きく書いてあり、裏には、「日本郵便」「郵便局」と書かれています。

衆議院選挙が公示され、まさに、その選挙運動の最中に、特定の政党名を思い起こさせるこのクリアファイルを、郵便局がくれるのって、問題じゃありませか
民営化されたとはいえ、政府が株式の100%を保有している郵便局を完全な民間企業とみなすには、かなり問題があります。
準公務員が、業務をしながら選挙活動をしていることになりませんかね

公務員が、選挙運動などの政治的行為を行うことは、国家公務員法や地方公務員法などで禁止されています。

今月7日に、元社会保険庁職員と元厚生労働省課長補佐が、衆議院選挙前に共産党機関紙「しんぶん赤旗」を配布して国家公務員法違反に問われた事件に対する上告審判決で、最高裁判所が上告を棄却し、高裁判決の元社会保険庁職員に対しては無罪、元厚生労働省課長補佐に対しては罰金10万円の有罪が確定したばかりです。

当ブログで度々指摘しているように、憲法違反や判例違反の常習犯ともいえる最高裁判所を信頼することは到底できませんが、真の法治国家として機能するまでの暫定的な司法機関として、ある程度は参考にすることができます。
最高裁判所自らが判例違反をしているんじゃないの!
最高裁は判例違反の“常習犯”!
憲法違反をしている最高裁に“違憲状態”を語る資格があるの?
最高裁は偽装がお好き!!
上告不受理・上告却下は偽装裁判!!


郵便局がくれたクリアファイルに書かれている「維新」といえば、誰でもこの時期「日本維新の会」を連想します。
「日本維新の会」といえば、市場原理主義を推し進め日本の産業構造をメチャクチャにした米国隷属の小泉政権で、経済財政政策担当大臣や郵政民営化担当大臣などを歴任した竹中平蔵氏が、参謀に名を連ねています。


維新→日本維新の会→竹中平蔵氏→郵政民営化→郵便局

 肝心の「ゆうパック」の宣伝という点では、「ゆうパック」と「維新」の関係は不明ですが、「日本維新の会」と「郵便局」の関連については、竹中平蔵氏を介して繋がります。
 選挙運動の、まさにこの時期に、郵便局は、明確な意図をもって、こういうものをくれているとしか考えられません。


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1票の格差 政権と野合してきた最高裁の判断は?

03/28
最大2,43倍の「1票の格差」が是正されないまま実施された昨年12月の衆議院選は違憲・無効として、各地の弁護士グループが起こした16の訴訟の判断が出そろいました。
一連の訴訟では「違憲・無効」の判決が2件、「違憲・有効」判決が12件、「違憲状態」の判決が2件、示されました。
無効の判断が言い渡されたのが、25日の広島高裁判決と、26日の広島高裁岡山支部判決です。
広島高裁判決が一定期間を経過した上で効力を発揮する「猶予期間」であるのに対し、岡山支部判決は「猶予期間」がありません。
いずれにしても「選挙無効」の判決が出されたことは、画期的なことです。
最高裁事務局によって統制されている裁判所組織には腐朽官僚が巣食っており、それに迎合するヒラメ裁判官が多い中、良心的な判断をする裁判官が存在することも確かです。


これらの訴訟が上告され、最高裁が統一した判断を示すことになるはずですが、最高裁大法廷が、すでに、2009年の衆議院選での最大格差2,30倍の区割りを違憲状態と判断していますので、違憲であることは変わりないにしても、「無効」と判断する可能性は極めて低いのではないでしょうか。

昔、学校で習ったように、司法・立法・行政の三権が独立していると信じて疑わない方も結構いらっしゃると思いますが、見せ掛けの民主国家・法治国家である日本では、過去においても、政治権力と司法、行政権力と司法の野合による裁判が幾度となく行われてきました。

その代表的な例が、以前の記事でも紹介している田中角栄氏の暗黒裁判です。

当時の政権(三木内閣)の意向で、全日空のトライスター機種決定という五億円収賄容疑の逮捕ではなく、外為法違反という形式犯の容疑で、検察が別件逮捕に踏み切り、強引に裁判を行った。
暗黒裁判と言われる1つ目の理由が、最高裁が刑事免責を保証した上で、コーチャンに対する「嘱託尋問」が行われた。2つ目の理由が、憲法第37条に違反して最重要証人に対する反対尋問の機会を与えられることなく、有罪判決がなされた。


詳しくは 「田中角栄氏の『暗黒裁判』」 をご覧ください。

田中角栄氏の裁判と並べて例を示すのは、大変おこがましいのですが、私の国家賠償訴訟でも、行政権と司法権の野合によって、不正な裁判が行われました。

行政に属する福島地方法務局が、本来の証拠と捏造された証拠を差し替えて、虚偽の陳述を続けたのです。
さらに、二審仙台高裁(大橋弘裁判長、鈴木桂子裁判官、岡田伸太裁判官)は、控訴棄却の結論を導き出すような証拠を見い出せなかったため、控訴人である私の主張をねじ曲げたものを控訴人の主張であるとして判決理由にするしかなかったのです。しかも、被控訴人の国も主張していないようなことを裁判所が勝手に作り出して結論づけてしまったのです。
まさに、行政と司法が一体となって、原告敗訴になるように不正に誘導したと言えます。


これら2つの例からは、裁判所が、政権や行政の不正行為に加担しているという構図になっており、言い換えれば、政権や行政が、裁判所に借りを作ったという形になります。
ですから、有利な立場に立つ裁判所が、政治権力に左右されずに独立した判断を示すかと思えば、そうにはならないはずです。
なにしろ、最高裁も、また、行政や政権に弱みを握られているからです。
上告の際に上告不受理・却下になったケースにおいては、最高裁が、裁判資料を読まずに偽装判決をしているのではないかという疑いが濃厚です。(上告不受理・上告却下は偽装裁判!!)そのことを立法府や行政府が把握していないはずがありません。
つまり、最高裁は、司法権の行使で、政権や行政に協力する一方で、政権や行政からは、詐欺同様の制度で国民を欺いているという弱みを握られていることになるのです。


 ですから、最高裁は、政治権力の圧力を排除して判断することなど、出来ないはずです。

 近代国家においては、裁判の厳格・公正を保つために、司法権は他のあらゆる権力から独立していなければならないというのが原則ですが、それが確立されてい日本は、前近代的な国家なのです。

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現実社会の中の仮想空間 それが行政関連の法律や制度

05/12
先日、調べたいことがあって、だいぶ前に購入した行政訴訟の本を開いてみました。
行政活動によって国民に生じた財産上の損害を補填する制度や、違法・不当な行政作用の是正に関する行政上の救済制度など、実に様々な行政救済制度が体系的に整備されているようです。
前者には国家賠償法に基づく補償制度や損失補償があり、後者には行政不服審査法や行政事件訴訟法に基づく行政争訟制度があります。


ところが、これらの制度、ほとんど使い物にならないようです。
裁判所と被告代理人である法務局のダブル不正の下に行われた国家賠償訴訟、それらの不正を刑事告訴しても、不正に不起訴にする検察、実際に審査が行われたかどうかは極めて疑わしい検察審査会・・・・、私がかかわったのは、それらの一部に過ぎませんが、どれもこれも、ほとんど機能していません。
まやかしの制度に翻弄される国民!


専門家が時間と労力を費やして作り上げた行政に関する法体系、改正を繰り返しながら現在に至っている行政救済制度、見掛けが立派であればあるほど虚しさがきわだちます。

ゲームの中のことやコンピューターの中だけのことを“バーチャルの世界”とか“仮想空間”などと称し、現実には存在しない世界であったりするのですが、現実社会の中にある仮想空間、それが行政救済に関係する法律の世界ではないかと思うのです。

きれいな街並み(法体系)に立派な建物(法律や制度)がたくさん建ち並んでいる。その中のひとつのお店を利用しようと思って一歩中に足を踏み入れたが、電気もガスも水道も通っておらず使い物にならない。
別のデパートと思える建物には(裁判所のたとえ)、珍しく有料のエスカレーターが動いていたので入ってみたところ、一階には気に入ったものがなく(一審)、二階(控訴)、三階(上告)と上がって行った。用事が済んだので出ようとしたところ、降りる手段がない。実際のお店でも、エスカレーターで上げておいて、降りるときは「階段をどうぞ」なんてお店もありますが、階段すらない。その建物から出ようとすると、何かしら被害を被る。
道端に自動販売機があったので、飲み物を買おうとしてお金を入れた。何も出てこなかったり、空のペットボトルが出てきたぐらいならまだしも、病原菌が入ったペットボトルが出てきたり、汚物の入ったボトルが出てきたりする。当然のことながら、それを開けた人は、大きな損害を被る。(行政による本来の損害に加え、裁判所による訴訟詐欺の被害にあい、二重の損失を被ることと重なる。)


 遠くからこの街並み(法体系)を眺めているだけの人(行政救済制度を利用したことがない人)は、見かけ上は素晴らしい街並み(法体系)に、まさか大きな問題が潜んでいるとは思わない(法治国家・民主国家であることに何の疑いを持たない)。
しかし、この街並みに一歩足を踏み入れたことのある人は、どれもこれも見せ掛けの街並みであることに気がつく(法律は矛盾しており、制度は使い物にならないことに気がつく)。
これが行政救済制度に関連する法律の世界なのです。


ところで、英語のバーチャル(virtual)は、「事実上の、実質上の」という意味で、「仮想の」という意味はありません。
IT用語にバーチャルリアリティー(virtual reality)「仮想現実」という言葉があるようですが、これは、「コンピュータグラフィックスや音響効果を組み合わせて、人工的に現実感を作り出す技術や、それによって作り出された実感を伴う空間や環境のこと」をいうそうです。


本物そっくりに作られているられれているという意味では、行政救済制度に関連する法律の世界は、現実社会に存在する「仮想現実」の世界なのです。

そもそも、なぜ、行政救済度が形骸化しているのでしょうか。
それは、憲法が、軽視されているからにほかなりません。
とにかく、憲法違反の常習犯である最高裁が、違憲かどうかの判断をしているわけですから、開いた口がふさがりません。


憲法とは、国家権力の横暴や暴走から国民を守ることを目的としていて、国家権力への命令なのです。
日ごろ偉そうなことを言っている著名人の中にも、憲法の意義をはき違えている人がいるようです。
憲法があっても、ないに等しい日本、憲法違反がまかり通っている日本において、憲法改正なんて議論すること自体が無意味なのです。
そういう意味では、憲法もまた、現実社会の中の仮想空間に存在しているのです。


 なお、日本国憲法のことは、小室直樹氏の「痛快!憲法学」 「日本国憲法の問題点」 「日本人のための憲法原論」・・・に詳しく書かれていますので、憲法改正が議論されている今こそ、是非、読んでいただき、正しい認識を持っていただきたいと思います。

          

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民主国家とは言えない日本の統治システム

10/10
外見的には、民主国家・法治国家らしい法律や制度が整っているのですが、いざ利用してみると、どれもこれも、ほとんど使い物になりません。マイナーな目立ちにくい法律や規定に、抜け道を潜ませているのです。
その目的は他でもない、法律を制定している権力側が、思い通りの結論にもっていきやすくするためです。


私の国家賠償訴訟では、裁判所と被告代理人らによるダブル不正によって、事実が意図的にねじ曲げられ、敗訴にされています。
欠陥のある民事訴訟法が、裁判所が不正をしやすい仕組みにしています。
控訴の際と、上告の際の手続きを比較してみると、これらは明らかに異なります。控訴理由書は、二審の裁判所に提出するのに対し、上告理由書は、二審判決を下した同じ裁判所にします。
ごく一部の最高裁で受理される事件を除いて、上告事件の大半は、二審の裁判所で判断されていると考えられます。それは、私の上告手続きの物証等からも確認できます。
さらに、上告の際は、最高裁で口頭弁論が開かれない限り、その理由書は、相手方に送達されることはありません。
二審の裁判所は、外部に知られることなく、不正をしやすい条件が調っているのです。

不正裁判の芽となる民事訴訟法の欠陥
“上告詐欺”がやり易くできている民事訴訟法!


まさに、その不正をしやすい仕組みをフルに活用したのが、仙台高裁のデタラメ判決です。
この裁判での、裁判官と被告代理人らによる不正行為については、刑事告訴しましたが、いずれも、不当に不起訴処分にされています。
犯罪行為を、合法的な手続きで不起訴処分にしてしまえるのが、「嫌疑なし」「嫌疑不十分」の一言で済んでしまう不起訴処分理由告知書です。
比較的メジャーな法律である刑事訴訟法には、請求があるときには不起訴処分の理由を告知しなければならないという趣旨の法治国家らしい法律が盛り込まれているのですが、それを運用する際の細かい規定を定めた事件事務規程(法務省訓令)に、事件握り潰しの小細工をしているのです。
ところが、こちらは相反する法律を、無理やり並立させているために、明らかな矛盾が生じています。
法務省刑事局の事件事務規程(法務省訓令)の矛盾を証明します!


さらに、不起訴処分に対して不服があるときは、検察審査会にへの審査申立と、公務員の職権濫用事件については、裁判所に対して付審判請求をすることができますが、これらの制度も、どれも使い物になりません。
検察審査会については、実際に審査が行われているかどうかは極めて疑わしいですし、付審判請求については、請求しても裁判にかけられる割合は、わずか0,13%で、しかも、ほとんどが警察官による暴行陵虐事件ばかりです。
まやかしの制度に翻弄される国民!


法律で定められている制度を利用したところで、何一つ解決されることはありません。それどころか、デタラメに結論づけられ、訴訟費用だけが騙し取られる羽目になります。
それを知らずに利用した国民は、まやかしの制度に翻弄され、膨大な時間と労力と費用を浪費させられるだけです。


 これらは、国家賠償訴訟を通して痛感した事実ですが、このような国家的犯罪ともいえる行為が、国の制度の様々なところで、同じような手口で行われているのではないかということを確信させたのが、「原発ホワイトアウト」 という本です。

こちらは、原発を通じて、この国の政治が、企業や政治家、官僚組織の中で、既得権益を得ている者たちの都合のよい方向に動かされていく様子・経緯が、リアルに描かれています。
小説というスタイルをとっているので、どこまでが真実で、どこからが架空なのか判断しかねるところもありますが、主要な部分においては、ほかの文献等とも一致しており、国家の中枢を知り尽くした著者が、民主国家とは言えないこの国の構造と問題点を、鋭く描写しているといえます。


ーーーーーーーーー  

東京電力福島第一原発の事故があったにもかかわらず、それを教訓とすることなく、根本的な問題が解決されないまま原発は再稼働され、再び事故は起こってしまうのです。
もちろん、再稼働は民意を反映したものではなく、総括原価方式によってもたらされる超過利益(レント)が、裏の集金・献金システムとして、日本の政治に組み込まれ、結果として、電力システム改革は骨抜きにされ、さらには、再稼働に反対する県知事は、プルサーマルに反対していた佐藤栄佐久前福島県知事のように、事件とは言えない事件で逮捕され(原発事故 前福島県知事の逮捕さえなければ・・・・)、反原発デモへの参加者は、警察による不当な逮捕、監視や尾行、嫌がらせによって弱体化された上での再稼働だったのです。
小説の中に登場する総理大臣、県知事、脱原発を掲げる俳優・・・というのが、安倍総理、泉田裕彦新潟県知事、山本太郎参議院議員・・・と重なります。
まさに、愚かな官僚や政治家たちによって再稼働に突き進もうとする日本の未来を予測するような内容なのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 是非、読んでいただきたい一冊です。

    

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国際社会における自衛権と 国内における刑罰の類似性と相違点

06/12
現在、最も注目されている政治的問題のひとつである(集団的)自衛権と、当ブログのテーマと密接にかかわる刑罰との類似性・相違点について、実に的確に分析されている本をご紹介します。
それが、小室直樹氏の、『新戦争論(光文社文庫)』です。
具体的には、国際社会における主権国家の自衛権と国際連合(国連)との関係、それと対比する、国内における一国民と国家機関との関係についてです。


集団的自衛権の行使に賛成なのか、反対なのか、良くわからないという方はけっこういらっしゃると思いますが、知っておくべき知識として、まずは自衛権と国連の関係について、『新戦争論(光文社文庫)』から抜粋してご紹介します。
 サブタイトルは、私が勝手につけさせていただきました。

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日本国民の国連に対する幻想と誤解(主権国家と国連の関係)
日本国民の大多数は、国連とは何か崇高なありがたいものだと思い込んでいる。なかには、世界政府みたいなものだとさえ錯覚している者もあるぐらいだ。少なくとも、人類進歩のシンボルくらいに思っている者が過半数だろう。
(中略)国連中心外交さえ展開していれば、日本は安全で平和だと信じて疑わない。
まったく、とんでもないことだ。
(中略)
国連を見るには、四つのポイントがある。
①国連憲章は戦争を拒否していない。
②国連は建て前としてユニバーサルな機関ではない。
③国連は、第二次世界大戦の現状維持の執行機関である。
④国連は、各加盟国が一般的な政治的了解を相互に模索する場である。
(中略)
国連というのはは、国際政治上のひとつの場に過ぎない。何らかの実態があるわけではない。国連の加盟国は、主権国家である。各加盟国は、自分の主権を制限して国連に移譲しようなどという気持ちは、さらさらない。国連憲章上、古典的な意味で多少の制約は受諾しているが、主権を損なうようなことは絶対にない。むしろ、事ごとに、主権の絶対を強調してはばからない。つまり、国連の主人は、各加盟国であって、国連そのものではないのだ。
だから、国連は国際社会において、主権国家の上を行く上級の権威だと思ったなら、錯覚もはなはだしい。
(中略)
そこが、国内における一国民と国家機関との関係とまったくちがうところだ。もっと乱暴に割り切っていえば、国連でものをきめるのは、加盟国自身なのだ。つまり、日本なのだと気がつかなければいけない。


 話題を広げると焦点がぼやけてしまうので、集団的自衛権については、別の機会にご紹介します。

国内における一国民と国家機関との関係
近代社会においては、個人が自力救済を行うことは許されない。もっとも、限られた例外的場合には、許されることがないわけではない。
(中略)
(街路で突如として悪漢に襲われた場合など)刑法上、正当防衛として許される範囲ならば、自力救済もあるのである。しかし、それは非常に厳しい条件の下にのみ認められる。つまり、極端な例外的ケースにすぎない。
このように、近代社会においては、個人の自力救済は原則として認められない。
(中略)
近代国家では、法秩序維持の機能を、国家権力が最終的に独占する、国家権力の本質は、あらゆる権力、あらゆる支配と同様に、元来むき出しの暴力であって、それが合法的に組織化されているものにすぎない。しかし、それは、言葉を換えれば、個々の私人に自己防衛のための暴力を禁じただけでなく、むしろそれをすべて吸収し、その責任までも自らに吸収してしまったという意味である。正義の法の見地から、国家権力が執行するのである。
近代国家は、無名の抽象的な法の執行者として、個々の具体的ケースをすべて処理する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

国際社会においては、外国からの攻撃を受けた場合を想定し、国内においては、犯罪に巻き込まれた場合を想定していると考えられますが、“外国からの攻撃に対する自衛権”との兼ね合いで考えるなら、国家権力が執行するのは、報復をする目的とする刑罰に該当するはずです。ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」で知られているように、犯罪に対しては、その責任に見合ったペナルティーを与えるという考え方です。

つまり、国際社会では、主権国家の「正義」の実現には自力救済しか方法はなく、最終的には自己の責任で実力を行使するほかはないということです。
これに対し、近代国家においては、正当防衛などの例外的ケースを除いては自力救済が認められないが、その代わりに、正義の見地から、国家権力が執行するということです。
ここで注目すべきは、法秩序維持の機能を国家権力が独占し、個々の具体的ケースをすべて、正義の法の見地から、国家権力が執行し、自力救済が認められないのは、「近代社会」「近代国家」だということです。


さて、日本の現状はどうかといえば・・・・
「法秩序維持の機能を国家権力が独占している」という点では問題はないのですが、「個々の具体的ケースをすべて、正義の法の見地から、国家権力が執行している」という点では大いに問題があります。
もちろん、“ささいな取るに足らない事件まで、すべて国家権力が処理していないではないか”というような問題ではなく、極めて重大で重要な事件であっても、正義の法の見地から国家権力が処理していない事件が多数あるということです。
いくつか例を挙げるならば、当ブログのテーマでもある、国家賠償訴訟における裁判所や被告代理人による違法行為、さらには、日本国民の誰もが、「日本は法治国家なのかどうか?」と疑いをもつに至った原発事故・・・・、これらの法的な責任追及は、いまだに行われていません。
告訴・告発を受けたとしても、検察は事件の内容によって意図的に選別し、国家権力の行使を放棄しているのです。
その意味では、日本は近代国家ではないのです。科学技術が発展して、生活水準が高くても、国家の中枢である検察や裁判所の前近代性が国家の病巣となっており、近代国家にはなりきれていないのです。

前述にならえば、近代国家ではないのだから、「自力救済」は認められるということになってしまいます。少なくとも、意図的に選別され、国家権力の行使から除外された事件については、それが認められなくてはならないということになります。
当ブログを読んでくださった方から、裁判のあまりに酷いありさまに、「こんな判決ばかり出していたら、そのうち暴動が起きますよ」という趣旨のコメントをいただきました。
まさに、そういう状況になりつつあるのではないかと危惧しています。


    
 
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憲法解釈 変更の波及効果!!

09/12
安倍政権は、憲法解釈を変更することによって集団的自衛権の行使容認を閣議決定しましたが、この波及効果が早くも出ているというべきか、検察審査会法 第41条の解釈が、いつの間にか変更されていたというから驚きです。
最高裁の管轄になっている検察審査会が信用できない組織であることは、当ブログでもお伝えしておりますが、悪名高い最高裁事務総局のやりそうなことです。
最高裁は偽装がお好き!!
国権の最高法規である憲法が、いとも容易く解釈で変更されるなら、そのほかの法律だって解釈を変更して何が悪いといわんばかりの暴挙です。
法律が矛盾していることは当ブログでも指摘してきましたが、さらに、法律の解釈までコロコロと変わってしまうというのでは、この国には規範というものがないに等しいことになってしまうのではないでしょうか。


下記のサイトから、ご紹介します。

MEDIA KOKUSYO
「検察審査会法の41条の解釈変更、報道されないうちに変更されていた、だれもが簡単に刑事被告人になるリスクの到来」
 より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国家公務員たちが、わがもの顔に憲法や法律の解釈を変更する風潮が生まれている。改めていうまでもなく、「憲法」解釈の変更といえば、安倍内閣の面々を連想する。が、刑事事件の行方を左右する検察審査会法の解釈が大きく変更されていた恐ろしい事実は、ほとんど知られていないのではないか?
検察審査会を牛耳る最高裁事務総局が、変更を告知したかどうかも不明だ。今後、調査する必要がある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この出だしで始まる記事ですが、検察審査会法の解釈変更という「改悪」を偶然にも発見したいきさつについては、上記のサイトをご覧いただくとして、解釈が変更されたことは、「検察審査会Q&A」と題するリーフレットの「新版」と「旧版」の比較から読み取れたということです。
ここに登場する、森議員というのは前参院議員の森裕子氏、志岐氏というのは、『最高裁の闇』の著者で、旭化成を退職した後に執筆活動を始めた志岐武彦氏です。
以下、抜粋します。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◇検察審査会法の41条の解釈変更
「森VS志岐」裁判の背景には、小沢一郎氏が東京第5検察審査会の起訴相当議決で法廷に立たされた事件がある。議決の日が小沢氏が立候補していた民主党代表選の投票日(2009年9月14日)と重なっていたために、小沢氏の支持者の間で、検察審査会を管轄する最高裁事務総局がなにか不正な策略を巡らせたのではないかという噂が広がった。

そこで調査に乗り出したのが、志岐氏と森議員だった。最終的に2人は、方針や見解の違いで決別するのだが、共同戦線を張っていた時期に、小沢検審が架空議決(審査委が架空)だった疑惑をつかむ。
その根拠のひとつが、起訴相当議決に至るプロセス違反である。

検察審査会が議決を行う場合、検察審査会は検察官に対して、意見を表明する機会を与えなければならない規則になっている。ところが小沢氏を裁いた東京第5検察審査会は、担当検察官にその機会を与えていなかった疑惑が浮上したのだ。志岐氏らは、それを裏付ける検察官の出張名簿など、数々の内部資料や証言を入手したのである。

検察審査会法の41条では、検察官による説明義務について、次のように説明している。

検察審査会は、起訴議決をするときは、あらかじめ、検察官に対し、検察審査会議に出席して意見を述べる機会を与えなければならない。

この法律の解釈は、「検察審査会Q&A」の「旧版」には、次のように記されていた。

 「起訴議決をするときは、あらかじめ検察官の意見を聴かなければなりません」

「旧版」の解釈を基にすれば、小沢事件の担当検察官は、検察審査会に説明に行っていないわけだから、審査員は「意見を聴いて」いないことになり、議決そのものが無効だったことになる。たとえ第5検察審査会が架空ではなかったとしても、意見を聴かずに議決を下したわけだから、不正な議決で小沢氏を法廷に立たせたことになってしまう。

そこで追いつめられた最高裁事務総局は、解釈を変更する必要に迫られたのではないか?かくて、「検察審査会Q&A」の「新版」は、次のように記述を変更している。

「起訴議決の前には、検察官に意見を述べる機会を与えなければなりません」

この解釈であれば、検察審査会が機会を与えたが、検察官がそれを断ったとしても、議決は成立する。すなわち検察官が説明を行わなくても、議決してもかまわないことになる。
法の解釈を180度変更したのである。安倍内閣をお手本にしたような結末である。

◇誰もが簡単に刑事裁判にかけられる
今後調査しなければならないのは、このような解釈の変更が、どのようなプロセスで行われたのかという点である。また、変更を官報などで告知したのか、という点も解明しなければならない。
さらに「新版」の解釈が採用されたわけだから、今後、最高裁事務総局が架空の検察審査会を設置して、検察官の「介在」なしに、架空議決を行っても、だれも気づかないことになる。最高裁事務総局のさじ加減で、だれでも刑事裁判にかけられ、最高裁の下部組織である裁判所がみずから判決を下すことになりかねない。
これでは軍事国家と代わりがない。

(「検察審査会Q&A」の旧版)
(「検察審査会Q&A」の新版)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回、ご紹介したのは、いつの間にか法律の解釈が変更されていたという例ですが、とにかく、デタラメを指摘されると、こっそりと法律自体さえも変更してしまうというのが、この国の常套手段のようです。
事件事務規程(法務省訓令)の矛盾について、当ブログで指摘したところ、いつの間にか、事件事務規程の冒頭に新たな条文が追加され、それ以降の条文の番号がずれて改正されていました。
改正前、「事件事務規程」等のキーワード検索でやたらと法務省からアクセスがあったので、当ブログの指摘が成因だったのではと思わずにはいられません。
刑事局事件事務規程(法務省訓令) 改正の怪!!


 今後は、権力の監視のみならず、法律の監視まで国民に課せられる破目になりそうです。

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最先端の学術研究と 前近代的な国家システム  ~日本の特異性~

10/10
今年のノーベル物理学賞には、赤崎勇氏・天野浩氏・中村修二氏の3人の日本人研究者が選ばれました。
私がブログを始めたころから数えても、実に10人の日本人が、自然科学の部門(物理学賞、化学賞、生理学・医学賞)のノーベル賞を受賞しています。
日本の自然科学の分野における最先端の学術研究と科学技術の発展を再認識するにつけ、三権分立とはいえない司法・立法・行政の前近代的な統治システムとの対比が際立ってしまいます。
このアンバランスさこそが、日本の特異性であり、自然科学や科学技術の優位性が、前近代的な統治システムを覆い隠すかのように作用して、疑似民主国家であるということを気づきにくくしているのです。

この特異性のもと、自然科学の分野が独自に発展を続けているぶんには特段の問題が生じることはないのですが、そこに前近代的な統治システムが関わることによって、自然科学の知識や理論が、一部の者たちの利益のために歪められ、原発事故や薬害事故といった科学技術立国とはいえないような事故が起こってしまうのです。


さて、前回、仙台高等検察庁から送られてきた審査結果通知書と、告訴状とその返戻理由が書かれている書面を送り返したことをお伝えしました。
仙台高検の犯罪行為を 未然に防いで差し上げました!!
それらは、虚偽有印公文書に該当する書面だからです。
刑事告訴するという手段もあったのですが、刑事告訴したところで、不起訴処分にして事件を握りつぶすことは、彼らにとって実にたやすいことです。不起訴処分の理由が書かれていない「不起訴処分理由告知書」さえ送り付ければ、手続上は合法的に理由を説明したことになってしまうからです。
ですから、刑事告訴せずに、書面を送り返すことは、役所の不正を暴く上で有効な手段でもあるのです。
書面を送り返すにしても、告訴状を受理せずに返戻するにしても、そうするためには何か理由を説明しなければなりません。そうすることで、論理の矛盾が生じ、お役所のデタラメやいい加減さが露呈することになるからです。


昨日、その狙い通りの文書が、送られていました。
ひとつは、こちらから送り返した「審査結果通知書」を再び送ってきており、それに添えられていた次の文書です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平成26年10月7日
*****殿

審査結果通知書の返戻について
貴殿から送付された平成26年9月26日付け「書面の返戻等について」と題する書面に添付された審査結果通知書についていは、事件事務規程第191条2項により、申立人に対する審査結果通知であるから返戻いたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この文書のおかしいところは、異議申立書で、事件事務規程 第72条2項17号の不起訴裁定「嫌疑なし」の要件に該当していないのに不起訴処分にしていることを指摘しているにもかかわらず、その点には一切触れずに、審査結果通知書の返戻理由として事件事務規程を持ち出している点です。
同じ法律でありながら、都合がよいところだけ利用し、都合の悪いところは規定を無視するという一貫性のなさがお分かりいただけると思います。


もうひとつは、再度返戻してきた告訴状に貼付されていた文書で、前にお伝えしたものと同じ内容です。
返戻理由としては、「犯罪事実の特定がなされていない」ということが記載されていますが、告訴状で証拠書類を提示して犯罪事実を特定していますし、仮に、詳細な特定がされていないとしても、最高裁判例は、告訴が有効としています。


 とにかく、何を指摘されようが、それに対する答えが矛盾していようが、検察は思考停止状態に陥っているようで、頓珍漢な答えしか返ってきません。
審査結果通知書と、告訴状とその返戻理由が書かれている書面は、文書を添えて仙台高等検察庁の検事長宛に送り返していますが(記事の最後に掲載)、再び送り返されてきた文書には、仙台高等検察庁検察官とあるだけで記名はありません。検察庁の判断というよりは、黒幕≒法務省の指示でしょう。
その痕跡が、当ブログへのアクセスからうかがえます。


私が送った「書面の返戻等について」と題する書面が仙台高検に届けられたのが、9月29日午前、その日の午後に久々に(証拠差し替え事件の被告訴人である)法務省から当ブログにアクセスがあり、その2日後ぐらいに、(上告詐欺・国家賠償詐欺の被告訴人でもある)最高裁が、事件事務規程についての記事を閲覧していました。
冒頭でお伝えした前近代的な国家システムを裏付けるような動きです。
最高裁と事件事務規程のつながりについては、次回にでも、お伝えします。


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米国に操られる日本

10/31
先日、書店で、タイトルにひかれて思わず手に取ったのが、「『反日中韓』を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!(馬渕睦夫著)」 という本です。
近代史の流れを金融の視点から捉えている点では、これまでにない新鮮さを感じました。
革命にも戦争にも資金が必要です。歴史的出来事の背景にある金融の動きがわかると、数々の歴史的な疑問が解けてしまうというのです。
たとえば、「第二次世界大戦のときに、敵同士であるはずのアメリカとソ連が、なぜ手を組んで日本を倒そうとしたのか」「同盟国であるはずのアメリカが、日本の歴史認識を批判するような行動をとるのか」など、人々が疑問に思うようなことが、金融に着目すると実にすんなりと納得できてしまうのです。

大きなリスクや犠牲を伴う戦争で利益を得るのは、戦争資金を融資した国際銀行家と、軍需産業の軍産複合体です。彼らが利益を得続けるためには、世界各地に対立の構図と作る必要があります。
近年、超大国アメリカを動かし、グローバリズムを推し進めているのは、ロンドン・シティやウォールストリートのユダヤ系国際銀行家ですが、彼らが強大な力をもつに至った思想や背景が、優しい語り口でていねいに記されています。

さらに、「冷戦は、米ソが協力してつくりだした八百長」「朝鮮戦争はアメリカ、イギリス、ソ連が結託して演出した戦争だった」など、驚くべき内容が満載です。
これまで私たちが信じていた史実は、実は嘘だったということになるのですが、それは、マスメディアや教科書などによって日本を貶めるための洗脳が行われてきたからです。既得権益を守ろうとしているマスメディアや政治家によって歴史が歪められてきたことになります。
TPPや慰安婦問題、拉致問題など、米中韓と様々な軋轢が生じていますが、それらの歴史認識攻勢に打ち勝つためにも、国民が洗脳の事実に気がつき、歴史の真相を知る必要があるとまとめられています。

「まえがき」からの抜粋です。
先般の朝日新聞の慰安婦問題などに関する「誤報取り消し事件」は、これまで行われてきた洗脳工作の一端が破綻した象徴的な事件です。しかし、この事件そのものは、戦後ずっと日本を覆ってきた広範な洗脳工作の終わりの始まりにすぎません。私たちが本当に言論の自由を取り戻すことができるかどうかは、国民の方々の意識にかかっています。

 今だからこそ、是非、読んでおきたい一冊です。


アメリカによる日本のコントロールという点では、ブログ「知られざる真実」で同じみの植草一秀氏の造語「悪徳ペンタゴン」や、ブログ「不思議な不正義」で紹介されていたブログ「新ベンチャー革命」の「悪徳ヘキサゴン」と本質的に共通するものです。
前述の本の内容に関連して、「新ベンチャー革命」の下記の記事にすごいことが書かれていますので、是非、こちらもご覧ください。
米国某勢力に完全に組み伏せられた今の日本が真に対米自立するには?:ネット情報で覚醒した日本人が多数派を占めることしかない


冒頭でご紹介した本は、アメリカによって操られている日本と近隣諸国との関係を中心に書かれていますが、敢えて、司法批判の当ブログで取り上げたのは、司法もまたアメリカによって操られていると確信するからです。
その一例が、だいぶ前にご紹介した「田中角栄氏の「暗黒裁判」です。
更なる関係については、別の機会にお伝えします。

      

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「売国官僚」によって歪められてきた日本の司法

12/12
前回は、裁判での書面の流れに着目すると、不正裁判のカラクリが浮かび上がってくるということをお伝えしました。
その書面の流れを規定しているのが、民事訴訟法・民事訴訟規則です。そして、この法律を作成したのは、まぎれもなく最高裁判所事務総局でしょう。
民訴訴訟法・民事訴訟規則については、確認が取れていませんが、敗戦後の新しい刑事訴訟法・刑事訴訟規則が、最高裁事務局刑事部長らによって立案されたことが、「最高裁物語(下)(山本祐司著)」に記されていますので、民事訴訟法・民事訴訟規則も最高裁事務局で立案されたものと思われます。
ついでに、この本について付け加えておくと、「最高裁物語(上・下)」というタイトルからフィクションかと思われるかもしれませんが、中身は、終戦前後から近代に至る実在の事件・人物を基に書かれた最高裁を巡るドキュメンタリーです。詳しくは、下記の解説をご覧ください。


とにかく、憲法をはじめとするメジャーな法律では民主国家・法治国家らしい規程になっているのですが、民事訴訟規則・事件事務規程(法務省訓令)などのマイナーな法律に不正をしやすい仕組みが盛り込まれているというのが、この国の法律の特徴です。
ですから、表の法律ともいえるメジャーな法律で、裁判所や検察の事件処理を追及していくと、裏の法律ともいえる不正処理が可能な規定に従って事件処理をしている彼らとの間に、上手くかみ合わない部分が歪みとなって生じ、それらが法律の矛盾だったり、あるいは、明らかな違法行為が手続き上は合法にできてしまったりという不可解な現象となって現れてきます。
これまでも追及してきた、不起訴裁定の要件を満たしていない不起訴処分、不起訴処分の理由を説明していない「不起訴処分理由告知書」、最高裁判例に違反する上告(不受理)費用・・・・、不可解な現象を表の法律の基づいて追及されればされるほど、彼らは何も説明できなくなってしまうのです。
要するに、法律の二重基準(ダブルスタンダード)が存在しているということになるのですが、そのような状況が生じた背景、それらの位置づけについて、実に的確に書かれている本に出会いましたので、ご紹介します。
『日本はなぜ、「「基地」と「原発」を止められないのか(矢部宏治 著)』という本なのですが、法律の二重基準について書かれている部分を、かいつまんでお伝えします。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『戦後日本』という国は、占領終結後も国内に無制限で外国車(米軍)の駐留を認め、軍事・外交面での主権をほぼ放棄することになった。
「自国内の外国車に、ほとんど無制限に近い行動の自由を許すこと」と、「民主的な法治国家であること」は絶対に両立しない。その大きな矛盾を隠すために、「戦後日本」という国は、国家のもっとも重要なセクションに分厚い裏マニュアルを必要とするようになった。
それが、次の3つです。

① 最高裁の「部外秘資料」(1952年9月:正式名称は「日米行政協定に伴う民事及び刑事特別法関係資料」最高裁判所事務総局?/編集・発行)
② 検察の「実務資料」(1972年3月:正式名称は「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料」法務省刑事局/編集・発行)
③ 外務省の「日米地位協定の考え方」(1973年4月:正式名称同じ。外務省条約局/作成)

これらはいずれも、独立した法治国家であるはずの日本の国内で、米軍および米兵に事実上の「治外法権」をあたえるためにつくられた裏マニュアルだ。
米兵が、基地の中で、日本人主婦を遊び半分に射殺した「ジラート事件」の犯人は、米軍と日本官僚、検察、裁判所の連係プレイで事実上の無罪となった。一審の米軍基地の違憲判決をくつがえそうと、東京高裁を飛び越して最高裁へ上告し、逆転判決となった砂川裁判では、駐日アメリカ大使、外務省、日本政府、法務省、最高裁というウラ側のチャンネルで、アメリカ側の「要望」が最高裁に伝えられた。
先の3つの裏マニュアルは、、こうしたウラ側での権力行使(=方針決定)を、オモテ側の日本国憲法・法体系の中にどうやって位置づけるか、また位置づけたふりをするかという目的のためにつくられたものだ。
この米軍基地問題に関してくり返されるようになった「ウラ側での権力行使」には、さらに大きな副作用があった。
つまり、こうした形で司法への違法な介入がくり返された結果、国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまった。
歴代の検事総長を含む、日本のキャリア官僚の中でも正真正銘のトップクラスの人たちが、この日米合同委員会という「米軍・官僚共同体」のメンバーとなることで、ウラ側の法体系と一体化してしまった。その結果、日本の高級官僚たちの国内法軽視は、ついに行きつくところまで行きついてしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

法律を無視して、権力側に都合がいいように事件を恣意的に処理している現在の検察・裁判所の体質が、どのように形づくられてきたのかが理解できます。さらに、無実の政治家が陥れられた超法規的な謀略事件の数々が、実にすんなりと納得できてしまいます。
尚、砂川裁判の最高裁逆転判決については、連係プレーだけがすべてではないようで、それについては、別の機会にお伝えします。


2冊の本をご紹介しましたが、どちらも素晴らしい本です。
『日本はなぜ、「「基地」と「原発」を止められないのか(矢部宏治 著)』という本は、日本人なら必読の書です。
もうひとつの「最高裁物語(下)(山本祐司著)」は中古本しか出回っていませんが、大日本帝国憲法のもとの大審院の判決では、「司法権の独立」を守る「勇気」と「英知」がありましたし、最高裁の発足当初は、地裁・、最高裁の垣根を越えてリベラルで闊達な議論が交わされていた裁判所が、どの辺りから変質し始め、現在に至ったのか、その“歴史”を知ることができます。


 結局のところ、日本の司法は、売国官僚によって歪められてきたということになるのではないでしょうか。

 「最高裁物語(下)(山本祐司著)」
内容(「BOOK」データベースより)
昭和・激動の時代の大疑獄事件、「司法の独立」をめぐる男たちの熱き闘い、新憲法制定の知られざる人間模様、命をかけ正義を貫いた裁判官餓死事件、猥褻裁判、そして日本中を震撼させたあの事件。再起不能といわれた著者が“奇跡の生還”を遂げ、脳出血の後遺症と闘い執筆、8年の歳月をかけた入魂の名著。司法記者が書かれざる最高裁の内幕と驚愕の真実を鋭くえぐる!1995年度・日本記者クラブ賞受賞作品。


      

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まやかしの法治国家であることが証明された一年

12/28
ブログを開設してから7回目の年末を迎えます。
裁判所こそは正しい判断をしてくれるはずと思って提訴した国家賠償訴訟でしたが、証拠を無視したデタラメな一審判決、しかも二転三転するデタラメな主張を繰り返していた行政職員の証言を証拠採用するという信じられない判決に、裁判に不信感をもつようになりました。
デタラメな結論づけに納得できるわけがありません。もしかしたら、一審の高原章裁判長だけがおかしいのではないかと思い控訴した二審でしたが、そこでは、裁判官ら(大橋弘裁判長、鈴木桂子裁判官、岡田伸太裁判官)が行政関与の記述を完全に削除し、控訴人である私の主張の趣旨を完全にねじ曲げたものを判決理由にするという、明らかな犯罪行為が行われました。
そのことを指摘した上での上告でしたが、上告してからわずか一か月、所謂、三行判決と言われる調書(決定)が届きました。
デタラメな二審判決が確定したことで、裁判所の犯罪も最高裁で訂正されることなく確定してしまったといえます。

それからまもなく、二審の裁判官らを刑事告訴しました。それが、ほぼ7年前の1月です。
その後、ブログを開設し、当初は、国家賠償訴訟が公正に行われていないという事実を、多くの方に知っていただくことを目的としていましたが、検察が裁判官らを不当に不起訴処分としたことで、ブログで取り上げる範囲は、不公正な裁判にとどまらず、恣意的な判断をする検察の処分にまで及ぶことになります。


さらに、この裁判ではもう一つの犯罪行為が行われました。それが、労働基準監督署の職員による証拠の捏造と、被告代理人の厚生労働省と福島地方法務局による捏造証拠との差し替えです。

こちらが証拠の捏造・差し替えに関与した被告代理人です。
    被告代理人1    被告代理人2

裁判官と被告代理人が違法行為をしてまで原告敗訴に誘導しているということで、国家賠償制度がまやかしの制度であることを確信しました。

裁判所がおかしい!国家賠償訴訟がおかしい!検察が・・!司法が・・・!法律がおかしい!日本は法治国家ではないのではないか!・・・、漠然といだいていた疑問を、6年間にわたりブログを通じてみなさんのお伝えしてきましたが、それらが証明されたのが、まさに今年だったのです。

今年2月に、最高裁事務総局民事局付・最高裁調査官を歴任した瀬木比呂志氏が「絶望の裁判所」を上梓し、その記者会見で、次のようにおっしゃっています。
「国が被告になっている、あるいは行政が被告になっているような困難な判断につき、棄却・却下の方向をとりやすい。また、困難な判断を避け、当事者に和解を強要する傾向が強いといえます。
最高裁の判例の一般的な傾向については、このように言えると思います。
すなわち、統治と支配の根幹はアンタッチャブルであり、しかしながら、それ以外の事柄については、可能な範囲で一般受けの方向を狙うということです。」

まさに、まやかしの国家賠償制度の実態を証言してくれました。
『まやかしの国家賠償制度』を証言してくれた救世主 瀬木比呂志氏の「絶望の裁判所」


また、前回前々回とご紹介した矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』では、まやかしの法治国家が出来上がった背景、法律の二重基準(ダブルスタンダード)の位置づけについて、実に的確に説明されています。
やはり、これまで私が考えていたことは事実であり、法治国家と言えない状況がなぜ生じたのかという疑問が解消された思いがしました。
結局のところ、日本は米国の属国であり、未だに独立国にはなれていないということになるのですが、その要所要所に売国官僚・売国政治家の影が見え隠れします。


国家中枢では、犯罪者が犯罪者として処罰されることなく、何食わぬ顔で職務を続けている状況が、あたりまえの光景になっています。そのことで、国家中枢の倫理観・道徳観は完全に麻痺しています。
「政治とカネ」の問題で経済産業大臣を辞任した小渕優子氏が、先の衆議院選挙で与党自民党から公認され、当選したことは、普通の感覚ではまったく理解できません。


それでも、日本がまやかしの法治国家であることは、一般に人にはなかなか受け入れ難いことでしたが、その状況が一変したのが、東日本大震災による原発事故です。
一般の工場が海や河川に汚染水を流しただけでも、捜査が入り関係者の刑事責任が問われるというのに、広範囲の国土や海洋を放射性物質で汚染し、さらには明らかな健康被害まで出ているにもかかわらず、その加害者である東京電力の経営者や原子力村の関係者は誰ひとりとして刑事責任を問われていません。
法律に無関心な人や疎い人も、さすがに「法の下の不平等」に気づき始めたのです。


さらに、米国で30年が経過した公文書が公開され、その研究が進んだことや、ウィキリークスによる情報公開等により、真実が明らかにされ、その関連の書籍が、近年、相次いで出版されるようになりました。
それにより、この国の化けの皮がはがれつつあります。

まやかしの法治国家が、今後も長く続くとは思いません。
真の法治国家・民主国家が訪れるまで、これからも情報発信を続けていきたいと思います。

今年は、この記事までとさせていただきます。


 皆様、よいお年をお迎えください。 

         

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裁判所の愚かの骨頂

01/05
明けましておめでとうございます。
今年もよくお願い申し上げます。


年末・年度末ギリギリになると、検察庁から何か通知が届くというのがここ数年の傾向なのですが、年末が近づいた先月半ばに、早々と仙台高検から告訴状等が送り返されて現在は手元にあるため、そういうこともありませんでした。
もっとも、仙台高裁に送った異議申立書 兼 質問書については、すでに1年半が経ちますが、未だに何の返答もありません。書類を受け取ったとも、返戻するとも、何の返答もなく無視を貫いています。そういうところからも、強大な権力をもつ裁判所の傲慢さと悪質性を強く感じます。

エリート集団ともいえる裁判所ですが、確定判決で犯罪行為を行ったことは、愚かの骨頂です。確定判決には既判力があります。つまり、その判決は今も維持されており、その犯罪行為は行使され続けているということになり、時効に達することはありません。
虚偽有印公文書作成・同行使が時効になろうが、「まやかしの国家賠償制度」という国家ぐるみの犯罪は行使され続け、それらに関与したすべての裁判官や被告代理人は共犯ということになり、時効に至ることはありません。そこが、裁判官や検察官等の個人に対する告訴状を受理してきた検察が、国に対する国家賠償詐欺・上告詐欺の告訴状だけは受理したくないという、本質的な理由なのかもしれません。
いずれににしても、チャンスは、まだあります。
虎視眈々と次の機会をうかがっています。


ところで、皆さんは、「NHK紅白歌合戦」をご覧になったでしょうか?
私も、ここしばらくは、まともに見たためしはありませんが、はじめと最後のほうは、ところどころ見ました。その中にサザンオールスターズの曲も含まれていたのですが、歌ったのは『ピースとハイライト』と『東京VICTORY』でした。この選曲は、安倍政権に対する批判だって、観ていてすぐにわかりました。さっそく、ネットでも話題になっていたようです。
はじめ、桑田さんがちょび髭をつけて登場したので、なんの真似かなって思っていたのですが、どうやら独裁者ヒトラーに擬えた安倍首相だったのではないでしょうか。
紅白の大舞台で、堂々と政権批判をやってくれたところが、スカッとしましたね
この大晦日のよい流れを、今年につなげていきたいですね。


 こちらのサイトに、歌詞と動画がありますので、是非、ご覧ください。
http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-efd5.html

ヒトラーと安倍政権の類似性については、4日の「サンデーモーニング 新春スペシャル」でも指摘しており、詳しいことは、こちらのサイトをご覧ください。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5044.html

http://www.asyura2.com/14/senkyo177/msg/464.html

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「似非法治国家」「虚構の法治国家」における国家権力のジレンマ

01/19
フランスの週刊紙シャルリー・エブドが、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことや、昨年末のサザンオールスターズのパフォーマンスなど、今、「表現の自由」が議論になっています。それにちなんで、今回は、似非(えせ)民主国家・虚構の法治国家(まやかしの法治国家)における「表現の自由」について考えてみたいと思います。

「表現の自由」と対にして考えなければならないのが、国民の「知る権利」です。それは、民主国家では国民が主権者であり、国民が正しい判断・選択をするためには正確で十分な情報や、多様な意見や考えを知っておく必要があるからです。
そこで、情報伝達という重要な役割を担うのがマスメディアということになるのですが、既存のメディアは、その役割をほどんど果たしておらず、権力の僕と成り下がっているのが現実です。
一部、司法批判をする週刊紙等もありますが、なにか中途半端さを感じます。裁判官や検察官個人の問題としては取り上げるが、国家的な犯罪という視点では決して捉えようとしない、そんな印象を受けます。
そのような状況ですから、ブログを始めたのも、不正裁判の実態をより多くの人に知っていただくためでした。


不正裁判を立証する十分な証拠がありましたので、刑事告訴すれば捜査機関こそは適正に対処してくれるはずという期待もあり、当初は、ブログでの被疑者(≧犯人)の実名公開を控えていましたが、途中から、捜査機関がまともに機能していないことを確信したので、ほとんど実名に書き換えました。

実名を公表する基準としては、次のように考えています。
① 犯人である確証が得られていこと。
② 捜査機関・司法機関・報道機関が適正に機能していない場合。
③ 社会的に重大性があり、公表することが公共の利益に適う事件であること。


裁判での不正は、これらの条件にすべて該当します。
捜査機関・司法機関・報道機関が適正に機能しているのであれば、それらの機関に捜査・判断を全面的に委ねることは法治国家として当然のことですが、これらが、まともに機能していないのであれば、国民に真実の情報を知らせるために、当事者が独自に調査し、ネット等を通じて公表すべきだと考えます。


さらに、真実の公表ということ以外に、もうひとつの重要な役割があります。国家権力が加害者を処罰してくれないのだから、被害者が国家権力に代わって復讐や仇討ちをしてもよいのではないかということになるのですが、違法行為を行ったのでは元も子もありません。法律に触れない範囲で“報復する”最大限の手段が、実名公表だと考えます。

実名公表といっても、その人と無関係で名前すら知らない人にとっては人物を識別する記号と何ら変わりません。興味を示すのは、本人や家族・知人・その関係者ということになります。
また、情報を公開する当事者も、真実の情報であることを信じてもらうために、詳細な証拠と事実の公開を心掛けます。メディアの報道ならこれほど詳細に伝えないだろうというようなことまで公開することになります。
しかも、既存メディアが一過性の媒体としたら、いつでも誰でも検索して辿りつけるネット情報は半永久的ともいえます。
捜査機関・司法機関・報道機関が適正に機能していないということは、ある意味、加害者にとっては大きな痛手になり得るのです。
しかし、憲法で、「言論、出版その他一切の表現の自由」が保障されている以上、勝手に削除することはできませんし、当事者が真実を伝えている限り、名誉棄損にも該当せず、国家権力もどうすることもできません。
しかも、国家権力による不正は、検察が不当に不起訴処分にしている事件です。つまり、公開の裁判にかけられては困る事件なのです。下手に名誉棄損等で訴えようものなら、やぶ蛇になってしまうことは明らかです。


付け加えておきますが、書面の交換だけで済んでしまう民事裁判は第三者に知られることなく不正ができるのですが、双方の書面が読み上げられる刑事裁判では不正がしにくいのです。ですから、国が被告の国家賠償の訴えは容易に受理されますが、国が被告訴人の刑事事件は、告訴状を受理しなかったり、受理しても不起訴処分にして事件を握りつぶしてしまいます。

 国家権力としては、当事者や識者によるネットでの(国家権力にとって不都合な)真実の情報公開を何とかしたいけれど、ただ見ているしかないのです。そこが、『似非(えせ)民主国家」「虚構の法治国家(まやかしの法治国家)」における国家権力のジレンマでもあるのです。

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憲法違反でもおかまいなし!! ~日本の法律は二重基準~

03/16
前回は、判決書に関する法律を短絡的に解釈したために、不正裁判の認識を誤ったケースについてお伝えしました。
不正裁判を経験された方からメールやコメントをいただくことがあるのですが、たいていの方は裁判官による証拠の採用が偏っていたとか、正当でない証拠が提出され、それが証拠採用されたなど、裁判の内容を批判するものがほとんどですが、中には、前回のケースのように裁判の内容にはほとんど触れずに、手続きの違反性のみを問題として、この判決は○○法に違反しているから判決自体が無効だというような論調のものも、ごくわずかですが見受けられます。
デュー・プロセスの原則(適法手続)の観点からも、行政権力を縛るためのルールとしての手続法が大切なことは近代民主国家として当然のことなので、仮に手続き論の違法性のみで判決を無効にすることができるとすれば、それは、受け入れがたい判決を一発で覆せる妙案のように思えるのですが、これには常に危うさが潜んでいます。


確かに、個々の法律関係すべてに整合性があって、恣意的な判断が入り込む余地がないほど完璧な法律体系であるならば、手続き論の違法性で判決を無効にできるということも可能でしょうが、この国の法律は、かなりの部分でダブルスタンダードになっています。
つまり、表のメジャーな法律(例えば民事訴訟法や刑事訴訟法など)は、いかにも民主国家らしい真っ当な法律の規程になっているのですが、目立たないマイナーな法律(例えば、事件事務規程(法務省訓令)や民事訴訟規則)に恣意的な判断が入りこむ余地や、メジャーな法律を骨抜きにする規定が組み込まれているのが、この国の法律の特徴です。

そのひとつの例が、不起訴処分の理由を説明していない不起訴処分理由告知書です。


刑事訴訟法 第261条 では、「検察官は、告訴、告発又は請求のあつた事件について公訴を提起しない処分をした場合において、告訴人、告発人又は請求人の請求があるときは、速やかに告訴人、告発人又は請求人にその理由を告げなければならない。」と規定されていますが、実際に事件事務規程(法務所訓令)(不起訴処分の告知)に則った不起訴処分理由告知書には、「嫌疑なし」とか「嫌疑不十分」等の記載しかありません。
「嫌疑なし」とか「嫌疑不十分」等は、事件事務規程(法務省訓令)第75条2項で定める不起訴裁定の主文にすぎません。
「主文」といえば、判決書の例からも明らかなように、「結論」の部分であって、「理由」は別にその後に記載されています。
つまり、「主文」は“結論”であって「理由」にはなり得ないのです。
その「結論」を不起訴処分の「理由」にしているということは、その根拠を説明しなくても恣意的に不起訴処分にすることができるわけで、事件事務規程(法務所訓令)は、事件を握りつぶすために都合のよい法律になっているのです。
法務省刑事局の事件事務規程(法務省訓令)の矛盾を証明します!
不起訴処分理由告知書は 事件握り潰しの必需品!


あれだけ重大な事故を起こしておきながら、東京電力の誰一人として起訴されていないことは、まさに事件事務規程(法務省訓令)の“恩恵”ともいえます。
さらに、憲法第9条の規程があるにもかかわらず、集団的自衛権が行使できるようにするというのも、同様に、国の最高法規である憲法に違反する法律を、その下に位置する自衛隊法等に制定しなければ出来ないことであり、重大なダブルスタンダードの法律が新たに追加されようとしています。


先日のニュースステーションで、憲法学者の木村草太氏が、現行憲法で「集団的自衛権が行使できる」という議論は、相当無理があるあるということを理路整然と述べておられました。
興味のある方は、動画付きのこちらのサイトをご覧ください。
http://www.at-douga.com/?p=13350


恣意的判断が可能となる余地を、一般市民が、普段目にしないような細かな法律の条文に忍ばせておき、国家権力が都合よく利用しているというのが現状です。
さらに、メジャーな法律との関係で、明らかに矛盾しているにもかかわらず、その整合性のない法律を大胆不敵にも平然と法律体系の中に組み込んでいるというのも、この国の法律の特徴です。


一般市民向けの法律がそれなりに機能しているのとは裏腹に、国家や国家権力者が守るべき法律には、常に曖昧さがつきまといます。言い換えれば、憲法が軽く捉えられ、国家による暴走に歯止めが効かない法律になっているのです。
そう言えば、先日、たまたま衆議院予算委員会を見ていたら、安倍首相が、民主党の議員から「憲法と普通の法律の違いは何かわかりますか?」と質問され、安倍首相が「普通の法律は、憲法の範囲内で制定します。」などとおバカな返答をしていましたが、この程度の認識しか持っていない最高権力者によって、今、この国は危機的状況に直面しています。


 国家権力が守るべき多くの法律は二重基準になっているので、表面的な法律のみを頼りに不正を追及しても無駄足を踏むことになります。立法の段階まで遡って国の責任を追究をしなければ、根本的な解決にはなりません。

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「ブラック企業」を公表する前に 自らが「ブラック行政機関」であることを明らかにすべき

05/22
厚生労働省は15日、労働環境が劣悪な「ブラック企業」のうち、違法残業が複数の事業所で行われている大企業について、書類送検される前でも企業名を公表すると発表しました。

企業名の公表は、違法な長時間労働の抑制にはある程度有効に作用すると考えられますが、それだけではブラック企業対策として不十分であるという理由が、次のサイトに掲載されてます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20150515-00045742/ より

(1) 監督官の数が不十分で取り締まりきれない
労働基準監督署の職員数は慢性的に不足している。監督官は現在全国に2900人いる(2013年)。だが、実際に第一線で監督業務に従事しているのは1500~2000人ほどだ。
今回の対策で「企業名が公表されていない企業は、ホワイトだろう」という誤解を広げてしまうことにもなりかねない。


(2) 労基法は「ザル」である上、労基法の範囲は狭く、パワハラや解雇は規制の対象外
長時間労働やパワーハラスメントは、ブラック企業の典型的な被害であるが、公表の対象となるのは、違法な長時間労働を1年以内に3か所以上の支社や営業所などで繰り返し、労働基準監督官から是正勧告を受けた大企業で、パワーハラスメントや、違法な解雇をした場合でも、ひと月前に予告をしていれば、労基法違反になることはないので、これらについては公表されない。
「労働組合(あるいは「従業員代表」)と協定を結べは」どんな長時間労働も違法ではないという、所謂「36協定」という悪名高い労基法の規定が、労働時間の上限規制を実質的に無効化してしまっているのである。


(3) 労基法違反を繰り返して「開き直っている企業」には効果がない
「すき家」(ゼンショーホールディングス)の例のように、中には、違法行為の証拠が発見されて指導が入っても、これに従わない企業もあるのだ。

(4) ブラック企業の「合法化」
今国会で審議されようとしている、いわゆる「残業代ゼロ法案」も、ブラック企業の違法行為に関係している。
年収1075万円以上の「高度プロフェッショナル人材」を対象とした制度の影に隠れているのだが、実は、「普通の営業職」の人たちの、事実上の「残業代ゼロ」を合法化する内容も、この法案には含まれているのだ。
裁量労働制とは、実際に働いた時間とは関係なく、一定時間働いたことにする制度、正確な労働時間に応じた賃金が支払われない制度だ。今でもブラック企業はこの仕組みを悪用していて、特にIT企業では、SEの残業を「40時間」などとみなしておいて、実際には100時間以上残業させるなどのやり口が横行している。
今度はこれを、営業職にまで拡大しようというのだ。この「裁量労働」には、年収要件は存在しない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
要約のつもりが一部を削除しただけで長くなってしまいましたが、これらから、またしても、この国の悪しき法律の特徴と汚い政府のやり方がうかがえます。

以前の記事で、この国の法律はかなりの部分でダブルスタンダードになっており、目立たないマイナーな法律の中に恣意的な判断が入りこむ余地や、メジャーな法律を骨抜きにする規定が組み込まれているということをお伝えしましたが、上述の(2)と(4)が、これに該当します。労基法自体がマイナーな法律ですので、(2)については、同じ法律の中に相反する法律が並立しているといえます。

それと、政府が国民に反対されそうな法案を通そうとするときや、国民に知られたくないことがあるときには、国民の注目をそらすために、どうでもよいような事件が、突然、浮上してきて、重大な問題の報道が矮小化されてしまうという傾向があります。
(4)の「営業職」の人たちの事実上の「残業代ゼロ」を合法化する法案をひっそりと通そうと、厚生労働省は、敢えてブラック企業の公表を発表することで、厚生労働省は労働者に配慮しているという姿勢をアピールしようとしたのではないでしょうか。


また、(1)のように、監督官の数が不十分であるということですが、そうすると労基署がすべてのブラック企業を見つけ出すことは困難で、あとは本人や家族からの申告ということになるのではないかと考えられます。
月100時間を超える夫の時間外労働を労基署に相談したところ、杜撰な対応をされて被害を被ったというのが、私の国家賠償訴訟の根本の事件です。
さらに、この裁判では、監督官の杜撰な対応を正当化するために、被告代理人である厚生労働省と福島地方法務局が、私の電話の内容を記したとする証拠を監督官に捏造させ、本来の証拠と差し替えています。

これが捏造された書証です!(捏造された証拠①)
捏造しなければならなかった本当の理由
捏造を決定づける証拠(捏造された証拠③)
厚生労働省・法務局・検察の被疑者(≧犯罪者)たち


 杜撰な対応をしても責任をとらないばかりか、証拠を捏造してまで行政の対応を正当化しようとした労働基準監督署と厚生労働省は、まぎれもなく「ブラック行政機関」なのです。同じ過ちを繰り返さないためにも、ブラック企業を公表する前に、まずは自身のブラックな部分を明らかにすべきです。

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砂川判決を持ち出すことの愚かさ 

06/13
安倍政権は、砂川判決を、集団的自衛権行使容認を含む安保関連法案の合憲の根拠としているようですが、これこそが、まさに安倍政権が米国隷属の政権であるということの証明でもあります。
さらに、アメリカですでに公文書が開示されているこの時期において砂川判決を持ち出したことは、最高裁が、主権国家としての威信も尊厳もなく安易に米国の言いなりになる中立性を欠く司法機関であるということを、国内外に知らしめることになります。


今回は、その理由について、次の2冊の本からお伝えしたいと思います。

       

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
砂川事件は、昭和32年7月8日、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)に基地がある駐留米軍が、立川飛行場を拡張しようとしたことから起きた。基地拡張のための測量に反対する地元農民とこれを支援した労働者、学生に警察官が暴力的に襲いかかり、基地に立ち入ったとして市民7人を日米安保条約に基づく刑事特別法違反で逮捕・起訴した事件である。
当時、基地拡大を巡る同じような事件が全国各地で起こっており、このような全国的な闘いが勢いづくのを恐れてのことだった。


ところが、東京地裁は、日米安保条約、米軍駐留を憲法違反と判断し、米軍駐留が違憲であれば、刑事特別法も違憲であり、特別に重い刑罰を加えることはできないとして、1959年3月30日、7人を無罪とした。(伊達判決)

折りしも、この時の内閣は、「日米新時代」のキャッチフレーズのもとに、安保条約を強化するためアメリカとの交渉に入っていた(安倍首相のおじいさんの)岸信介内閣だった。
裁判所が米軍駐留を違憲と判断すれば、米軍は日本から撤退しなければならず、安保体制の基礎を崩しかねない。衝撃を受けたアメリカは、日本政府に対して、高等裁判所を飛ばして最高裁判所に跳躍上告することを勧め、最高検察首脳会議は4月3日、跳躍上告を決定した。


アメリカが伊達判決を覆すために日本の裁判に干渉していた事実は、国際問題研究家・新原昭治氏が、2008年4月、米公文書館で、10通を超える伊達判決関係の秘密電報を発見したことによるものだ。
それにより、マッカーサー駐日大使(連合国軍総司令官の甥)が、伊達判決の翌日、当時の藤山愛一郎外相と密かに会い、最高裁に跳躍上告を勧めたこと、4月22日には、田中耕太郎最高裁長官と密談し、最高裁の審理見通しなどについて情報交換していたことが明らかになった。


判決は、日本の安全保障条約については、「統治行為論」を前面に押し出して、「安全保障条約が違憲であるかどうかの判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものである」として「司法審査権の範囲外」としたが、米軍駐留については、「違憲無効であることが一見極めて明白であることは、とうてい認められない」として15人の裁判官全員が一致して合憲の判決だった。
その論拠としたのは、憲法第9条第2項が禁止する「戦力」の中には、日本政府に指揮権、管理権のない外国軍隊は含まないというものであった。


しかしながら、最高裁砂川判決は、多くの著名な憲法、民法、国際法をはじめ大多数の法学者に受け入れられていない。米軍駐留は依然として、今も憲法違反とみられている。「対米従属の正体(末浪靖司)」44~46ページ)

田中耕太郎も他の法学者と同じく、憲法制定直後は第9条の熱烈な賛同者であり、支持者であった。
アメリカのマッカーサー駐日大使は、その田中と、大法廷評議の内情を語らせるほどの深い関係を、最高裁長官就任後にいかにして築くことができたのか。
その答えともいうべきアメリカ政府からの働きかけが、アメリカ政府の秘密解禁文書から明らかになった。


アメリカ政府が田中長官と直接、接触するきっかけとなったのは、ロックフェラー財団から日本の最高裁への法律書の寄贈であるが、その機会を、日米安保条約・行政協定締結に重要な役割りを担ったアメリカの政治家が総出で作った。
そもそも、極東米軍司令部は、平和条約発行後の米軍駐留が、戦争放棄、戦力不保持を定めた日本国憲法と相いれないことを知っていた。しかし、日本は、世界戦略の前線基地として米軍がどうしても手放したくない「基地の島」であり、日本に米軍が駐留し続けるために、田中が最高裁長官に就任する以前から長期にわたってアメリカ政府からの系統的な働きかけがあった。
それらは、アメリカ政府の秘密解禁文書から明らかになっており、上記の本で詳しく紹介されています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 自民党の高村副総裁が、「憲法の番人は最高裁であり、学者ではない」なんてことをおっしゃっているようですが、米国隷属の「落ちぶれた憲法の番人」を信頼したところで、日本国民にとっては何の利益にもならないことは、これまでの歴史が物語っています。
今後、集団的自衛権が違憲かどうか最高裁の判断を仰ぐ事態が訪れるかもしれませんが、砂川判決のように、最高裁長官がアメリカの餌食にならないよう、国民はしっかりと監視していく必要があります。


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プロフィール

ろーずまりー

Author:ろーずまりー
趣味にスポーツにと、平凡な主婦の生活を送っていましたが、夫の長時間労働を労働基準監督署に相談したことをきっかけに、その生活は一転。行政の理不尽な対応に、自ら国家賠償訴訟をすることに。
理系の出身ですが、知的好奇心に駆られた私は、法律関係の勉強に、けっこうはまってしまいました。
中立性に欠ける国家賠償訴訟の実情を、より多くのみなさんに知っていただきたいと思い、ブログを開設いたしました。

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